音楽の喜び フルートとともに

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宮城道雄をしのぶ夕べ

2022-06-19 22:05:15 | コンサート
今日は、中島警子 桐弦社中による「宮城道雄をしのぶ 筝の夕べ」
いずみホールを聴いてきました。

母山口たきこが出演しますが、コロナで毎年開催されていたものが3年間休止。3年ぶりです。
しかも母82歳
「次はないかもしれないよ。」というので妹と一緒に行ってきました。

アガパンサスの季節です。


宮城道雄作曲の
「和風楽」
「童曲3曲」
「祝典筝協奏曲」
リクエストにより、
「今日のよろこび」
「虫の武蔵野」
「ロンドンの夜の雨」
うち一曲
と、長沢勝俊作曲の「飛騨によせる3つのバラード」
石川勾当作曲「八重衣」を演奏されました。

宮城道雄のお弟子の中島警子先生は96歳、今年1月に脳梗塞を起こされ3ヶ月入院されていて、今回は残念ながら演奏されませんでした。

終演後、舞台挨拶をされましたが、車いすでしたが、後遺症もなく、来年は演奏すると明言されました。
とっても楽しみです。

先生抜きの公演でしたが、皆さんさすがの演奏でした。

「和風楽」は、驚きの胡弓7人。
初めて見ました。
日本には珍しい擦弦楽器。
音程はフレットがなく、絹糸の弦は狂いやすいです。

しかし、音程もよく揃っていました。


宮城道雄が、好きでよく演奏された笙

尺八

そして左が宮城道雄が考案した十七弦、右が箏です。
宮城道雄は400あまりの曲を書いたそうです。

そのうちこどものための曲が117あり、動物をテーマにした曲を3曲。
「ワンワンニャオニャオ」
「赤い牛の子」
「お猿のお顔」
大正時代子どものための曲が望まれ「金の船」など鈴木三重吉など、それはあらゆる分野で起こりました。
宮城道雄も、その波に乗り多くの子ども向けの曲を書きました。

鳴き声を胡弓や、三味線、箏で表現されていて、歌詞も楽しいものになっています。

出だしを少しずつ聞いて客席からのリクエストで一曲を選んで全曲演奏するというやり方で
「ロンドンの夜の雨」を村上洋子さんが演奏されました。
母は「虫の武蔵野」の箏を小牧万須美さんの三味線とで演奏しましたが、残念ながら落選。
後で聞いたら「それはそうよ。」と言っていました。
村上さんは、最近ソリストとしても活躍されている新進気鋭です。
素晴らしい演奏でした。

ロンドンの夜と雨は、宮城道雄が1953年フランスとスペインで開かれた「国際民族音楽舞踊祭」に日本代表として参加した際に、帰路立寄ったロンドンで即興的に作られました。
それはすぐにBBCでラジオ放映されました。

「祝典箏協奏曲」は「和風楽」の編成にフルートと打物と言われる打楽器郡を加えた大編成で、箏独奏は中島先生のおはこでしたが、今回は村上洋子さんが演奏されました。
華やかで素晴らしい演奏でした。

宮城道雄の子ども向けの曲あげられていました。子どもに対する希望と期待が大きな時代でした。


シューベルトとベームのセレナーデ

2022-06-19 09:26:00 | ロマン派
ギターの川原さんが来てくれました。
27日、池田ギター練習会に初参加。
池田中央公民館です。


バナナまんじゅうと鮎餅、持って来てくれました。
7月プライベートコンサートの曲を合わせました。
エルガーの「愛の挨拶」
ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」
ドビュッシーの「夢」
ピアソラの「リベルタンゴ」
アンコール「浜辺の歌変奏曲」

自作のランチを食べた後、7月西宮練習会の選曲。
シューベルトの歌曲集をベームがフルートとピアノに編曲したものを、ギター編曲した曲集。

アランフェス組曲の編曲版
ロドリーゴのワルツ曲集、そして
最後にケルティック曲集。
「ダニーボーイ」「サリーガーデン」
思いついて薩摩黄楊の頭部管で吹いたら

いい感じ。「やっぱりケルティックは木管だよね〜」と自画自賛。 
癒やされました。

曲は結局、シューベルトの中から2曲選びました。

フランツ ペーター シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

の書いた歌曲集「白鳥の歌」D957はシューベルトの死の翌年、出版されました。第4曲は「セレナーデ」

第1曲から第7曲までは、ベートーベンに依頼があったものですが、彼が死んでしまったためにシューベルトに回ってきたものです。

詩はハインリヒ フリードリヒ レルシュターブ(1799-1860年)神聖ローマ帝国プロイセン王国ブランデンブルク選帝侯領ベルリン生まれ、プロイセン王国ベルリン没によります。


ピアニストで、音楽評論家で自分でも音楽雑誌を出版し、当時フランス第一帝政の最重要人物ガスバーレ スポンティーニの影響を批判して投獄されています。

後にドイツの国家主義が起こった時にフランクフルトで権力を持ち「音楽評論上の有効な独占権」を持っていました。

彼に認められることが音楽家のキャリアに重要でした。
1825年「白鳥の歌」の初めの7曲は当時最も人気のベートーベンに依頼されましたが、弟子のシンドラーがベートーベンの死後、手にあまりシューベルトに依頼したものです。

1828年にシューベルトは亡くなりましたが、レルシュタープの詩で第8曲目の「生きる勇気」に着手していましたが、道半ばで亡くなってしまいました。

セレナーデ
秘めやかに闇を縫う 我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君

ささやく木の間を 洩る月影 洩る月影
人目も届かじ たゆたいそ たゆたいそ

君聞くや 音にむせぶ 夜の鳥
我が胸の 秘め事を そは歌いつ

鳴く音に込めつや 愛の悩み 愛の悩み
わりなき思いの かの一節 かの一節

深き思いをば 君や知る
我が心 騒げり
待てる我に 出で来よ君
出で来よ

引用:堀内敬三訳

テオパルド ベー厶(1794-1881年)バイエルン選帝侯領ミュンヘン生まれ

貴金属の加工を父から学び、円錐ベーム式フルートを発明し、フルートに革命を起こした人です。


フルート奏者としても活躍し、バイエルン王国の宮廷音楽家をしていました。
うつろな心変奏曲やポロネーズなどフルートのヴィルトゥオーゾの名曲を残しています。

白鳥の歌はシューベルトの曲を元にフルートとピアノのための変奏曲として作曲されたものを、ギターとフルートのために編曲されたものです。

YOUTUBEでは見つけられなかったので歌曲でどうぞ。