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紫陽花にまつわるお話し

2022-06-08 21:07:45 | ロマン派
ご近所さんの紫陽花もいい色になってきました。
多分ダンスパーティーという品種。

紫陽花は日本原産です。
奈良時代には書物にも出ています。
万葉集に
「安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ」

現代語に訳すると「紫陽花のように群がって咲く花のように、いつまでも健やかにおいでください。この花を見るたびにあなたを想います。」

江戸時代には松尾芭蕉が
「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)」

現代語訳「紫陽花が咲き、今年も帷子を着る季節がやってきた。ちょうど紫陽花も帷子も同じ薄浅黄色をしている」
と、読んでいます。

帷子 浅葱麻地水辺風景模様

これは、葛飾北斎の「紫陽花に燕」

紫陽花のクラッシック曲集を、探したけれど見つけられませんでした。
なぜなら、紫陽花が西洋に渡ったのは

フィリップ フランツ フォン
シーボルト(1796-1866年)神聖ローマ帝国ヴュルツブルク司教国ヴュルツブルク生まれ、バイエルン王国ミュンヘン没
が1829年にドイツに持ち帰ってからのことです。
1823年には、結婚しお稲という子どももいたのに、スパイ容疑をかけられ国外追放。
その時に紫陽花の苗を持ち帰りました。
日本に残した妻楠本滝 お滝さんが忘れられず、紫陽花にotaksaと名づけました。

お滝さんはその後、他家に嫁ぎます。
シーボルトは45歳で再婚しますが、長く彼女を思っていたそうです。

話しがそれました。

一般に普及するには、遅かったようで、紫陽花のクラッシック音楽は現れていません。 

代わりに北斎に敬意を称してブルグミュラーの25のピアノ練習曲集より24番「つばめ」

ヨハン フリードリヒ フランツ ブルグミュラー(1806-1874年)ライン同盟レーゲンスブルク侯国レーゲンスブルク生まれ、フランス共和国セーヌ=エ=オワーズ県マロル=アン=ユルポワ没
デュセルドルフ音楽監督にもなりました。いくつかのオペラも作曲しています。
これは、易しく段階的な練習曲。
ヤマハの教則本に指定され日本でもお馴染みです。