うちの千日紅は元気に咲いています。
父はロシア、母はベラルーシからのユダヤ系移民でした。
1828年ラヴェルの誕生日を祝う会、右端がガーシュウィン
南米産、花季が長いのでついた名前。
百日紅=サルスベリより長い…。かどうかはわかりませんが。
百日紅は7月〜10月
千日紅は6月〜10月
花の少ない暑い時に咲いてくれます。
雨がどしゃ〜っと降ったと思ったら、快晴33℃、また雨。
今日木ようは快晴です。
ジョージ ガーシュウィン(1898-1937年)アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス没
父はロシア、母はベラルーシからのユダヤ系移民でした。
13歳からピアノを学び、1919年には歌曲「スワニー」を書き大ヒットします。
1920年からは兄のアイラ(1896-1983年)
と組んでミュージカルやポピュラー音楽を書いてヒットさせています。
と組んでミュージカルやポピュラー音楽を書いてヒットさせています。
1924年、「ラプソディ・イン・ブルー」1928年「パリのアメリカ人」を書き、管弦楽との曲に、自信が無かったガーシュウィンはラヴェルに教授を頼みます。
1828年ラヴェルの誕生日を祝う会、右端がガーシュウィン
しかし、ラヴェルは「ガーシュウィンには生まれながらの音楽的才能があり、その邪魔をしたくない」とナディア ブーランジェへの手紙に書き
「既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と、断ります。
1935年フォークオペラ「ポーギーとベス」は、オール黒人キャストで初演されます。この中で歌われた「サマー・タイム」はポピュラーソングのスタンダードになっています。
詩は兄のアイラと作者のエドワード ヘイワードとの共作です。
ボストンのコロニアル劇場で初演されました。
「ポーギーとベス」
アフリカ系移民の住むキャットフィッシュロウ(なまず横町)が舞台。
足の不自由な乞食のポーギーは給仕女のベスに思いを寄せています。
ベスの内縁の夫クラウンは賭博のトラブルから仲間を殺して逃亡します。
これを聞いたベスはポーギーと一緒に暮らすことになります。
住民たちはブラウンに殺されたロビンスの部屋に集まり、彼の死を悼むとともに泣けなしの金を出し合って葬儀の費用を捻出します。
殺人事件の1ヶ月後、ナマズ横丁の住民たちは離島にピクニックに出かけます。ポーギーは足が不自由なために留守番です。ベスもピクニックに参加しますが、島に隠れていたクラウンと出会ってしまいます。
島から戻ったベスが、熱を出して寝込み、ポーギーが献身的に彼女を看病をします。回復したベスはクラウンのことを告白し、ポーギーへの愛を誓います。
その翌日、ハリケーンが島を襲います。住民たちが集まっているところにクラウンが登場し、ポーギーと険悪ムードになります。
漁師ジェイクの妻クララが難波した夫の船を見つけ、嵐の中へ飛び出していきます。クラウンは嵐を恐れる住民たちを臆病者と罵りクララを追います。
ハリケーンの翌日嵐のために死んだ仲間のために葬式が終わった後、クラウンがポーギーの部屋に忍び込みます。発見したポーギーは乱闘の末にクラウンを殺してしまいます。
翌日警察による捜査が行われ、ポーギーは検視のための参考人として警察へ連行されます。
ポーギーが犯人であることは発覚しなかったものの、彼は自分が殺した相手を見ることができなかったため、警察に1週間拘留されてしまいます。
勾留が解けて帰ってきたポーギーはベスの姿がないことに気づきます。
住民たちからポーギーがいない間に遊び人の麻薬の売人スポーティング ライフがベスを誘惑し、二人が遠いニューヨークへ行ってしまったことを知らされます。
ポーギーは悲嘆にくれるどころか、ベスを見つけるため、不自由な足を押して数千キロ離れたニューヨークを目指し、旅立ちます。
「サマー・タイム」は第一幕の冒頭で生まれたばかりの赤ん坊にクララが歌いかけるブルース調の子守歌です。
夏になれば豊かになれる。
魚ははねてバターの木は伸びる。
父さんは金持ち。
母さんは綺麗だから、坊や泣くのはおよし。
ある朝、お前は立ち上がって歌う。そして羽を広げて飛んでいく
でもその朝まで
何にもあなたを傷つけさせない
お父さんとお母さんがそばにいるから