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ウスターソースの頃

2023-10-31 21:00:00 | ロマン派
京都北区鷹峰の

松野醤油



水を汲みに行った帰りがけによりました。
 
蒸した大豆を

潰して

麹を入れて塩を入れて、樽で発酵させてそのままのものをもろみ。
圧縮したらお醤油になるそうです。
許可をいただいて写真を撮らせていただきました。

濃口醤油ともろみを買わせていただきました。

その夜、もろみはきゅうりにつけてと、お鍋をしたのでお豆腐や煮大根につけて食べました。
特においしかったのは豚肉。
しゃぶしゃぶ用の安い豚肉が深みのあるコクのある味に。
おすすめです。

お醤油はまだこれから。

ヨーロッパで言うとウスターソース。
ルネサンス期では宮廷のものだったソース。
1835年ベンガル領の総督だったマーカス ヒル卿がインドからソースの作り方を持ち帰り、薬剤師のリー、ペリンズに依頼して作らせたのがリーペリンソース。
美味しくなかったので倉庫に放置。数年後倉庫を片付けていたところ、ソースが発見され、もう一度味見をしてみたら、熟成しておいしいソースになっていたとか…。
このマーカス ヒル卿がイギリスのウースター出身だったことからウスターソースと呼ばれることになりました。


本当かどうか?いまでは疑問視されているお話です。
このソースは発酵させた玉ねぎ、にんじん。アンチョビ、タマリンド(マメ科の常緑樹)と、リーペリン社の秘密の材料が入っているそう。

1839年頃のイギリスでは
ヘンリー ローリー ビショップ(1786-1855年)イングランド ロンドン生まれ、イングランド オックスフォード没

フランチェスコ ビアンキーニに師事し小品「アンジェリーナ」、バレエ音楽「タマルヤンとバヤジット」を作曲します。
1809年ドルリー・レーン劇場でオペラ「チュルケスの花嫁」を上演しますが、劇場が全焼し楽譜から全て失われました。

1810年オペラ「偏執狂」を上演し、人気が出て、3年間コヴェント・ガーデン王立歌劇場の専属作曲家になることができました。

ここで『太陽の乙女』(1812年)、『粉挽きとあるじ』(1813年)、『ガイ・マネリングと奴隷』(1816年)、『女中マリアンと一族』(1822年)、『ミラノの乙女』(1823年)を作曲しました。

「埴生の宿」の原曲「Home! Sweet Home!」はこの「ミラノの乙女」の導入部のアリアです。

1825年ドルリー・レーン劇場に復帰し、コヴェント・ガーデンのウェーバーのオペラ「オベロン」に対抗して「アラジン」を作曲しましたが、惨敗だったそうです。
(ウェーバーは1826年帰国途上ロンドンで客死しました。)

1830年歌曲「わがいとしのジェーン」を作曲し、人気になります。

1839年オックスフォード大学から音楽で学位を付与されます。
1841年エディンバラ大学教授になります。
1843年辞職。
1842年音楽家としてはじめてナイトの称号を得ます。

ビショップはオペラ歌手と2度結婚しています。
前夫人ミス・リヨンも再婚相手のアンヌ・リヴィエール(芸名アンナ・リヴィエラ)もともにオペラ歌手でした。

アンヌは後にビショップを捨て、ニコラ=シャルル・ボクサと駆け落ちしました。

「埴生の宿」ジョン ハワード ペイン(1791-1851年)アメリカ合衆国の詩人の詩に曲をつけました。