Merry Christmas!
チキンを買ってきてくれました。
夫作、ハンバーグとイカ焼き?のタンパク質多目の夕飯を作ってくれました。
靴墨工場のディケンズ
オリバーツイストの初版1838年
スクルージとボブ クラチット
世界中の子どもたちが幸せなクリスマスを迎えられますように。
書いたのは昨日なので恐縮ですが…。
大人ばかりになったうちでは、スーパーのミニケーキと
チキンを買ってきてくれました。
夫作、ハンバーグとイカ焼き?のタンパク質多目の夕飯を作ってくれました。
ありがたいです。
チャールズ ディケンズ(1812-1870年)イングランドハンプシャー州ランドポート生まれ、イングランドケント州ギャッズヒル没
海軍の会計ジョン ディケンズとエリザベスの長男として生まれました
2歳の時にロンドンに5歳の時にケント州チャタムに移りました。チャタムでは6年間を過ごし、ディケンズの心の故郷となりました。
父は金銭感覚に乏しい人でエリザベスも同じでした。そのため、家は貧しくディケンズが学校教育を受けたのは4年のみでした。
1822年ロンドンに移りましたが、浪費によって1824年に破産しました。
12歳で親戚の経営していたウォレン、靴墨工場へ働きに出されました。
さらに借金不払いのため、父親はマーシャルシー債務者監獄に収監されました。家族で牢獄に住むのは認められていましたが、彼は1人靴墨工場で働かされました。
靴墨工場のディケンズ
この工場での仕打ちはひどく、彼の精神に深い傷を残しました。数ヶ月後、父親の出獄が認められました。
これは祖母の遺産によるものという説があります。この時、ディケンズはウェリントンハウスアカデミーへ行くことが認められましたが、母親に強く反対されました。
1827年法律事務所に事務員として勤めましたが、のちにジャーナリストになることを決意しました。
1834年モーニングクロニクルの報道記者になり、ジャーナリストしての活動が本格化します。
「ボズ」という筆名で書き始めました。
エッセイが1833年マンスリーマガジン紙に掲載され、感激。
継続して書き続けることになりました。
1836年ボスのスケッチ集として発表されました。
その年、キャサリンホガーズと結婚しました。2人は10人の子供をもうけましたが、結婚生活はうまくいきませんでした。ディケンズはその妹のキャサリン メアリーを愛していましたが、幼かったのでうまくいかず姉と結婚しました。
メアリはディケンズの結婚後も夫妻の住まいに同居していました。
36年メアリは急死し、ディケンズはしばらく執筆活動を中断するほどの打撃を受けました。
1837年から1839年まで雑誌ベントリーミセラニーに24回にわたって月刊連載し38年に3巻で刊行した「オリバー ツイスト」
オリバーツイストの初版1838年
は大変人気を集め、その後終生、その人気は衰えることがありませんでした。
1843年中編小説「クリスマス キャロル」が出版されると、広範囲の読者を獲得し、ディケンズは世界的に有名な作家となりました。
ロンドンの「チャップマン アンド ホール」からハードカバーとペーパーバッグの2つの形態で出版され、挿絵画家ジョン リーチによる彩色差し絵入りで出版されました。
クリスマス キャロル
守銭奴のスクルージにとって、クリスマスは得にならないことをして浮かれる馬鹿げた人々を目にする不快な日でした。
それにイブは共同経営者マーレイが亡くなった日です。
彼が亡くなって、7年目のクリスマス イブの日、恵まれない人々への寄付を募りに来た紳士たちに「恵まれない奴らは牢屋や救貧院に入ればいい」
「やつらが死ぬことになれば、余分な人口が減ってちょうどいい。」
と言って追い払います。
クリスマスに夕食を共にしようと誘いに来た甥のフレッドを追い返し、「クリスマス休暇が欲しい」という事務員のボブ クラチットには「休みを認める代わりに次の日は早く出勤しろ」と言っています。
スクルージが家に帰ると7年前に亡くなったはずのマーレイが訪れ、鎖に繋がれた姿となった自分自身を例として生前の罪に比例して、鎖が長くなると説明し、悲惨な末路にならないことを伝えるために精霊がスクルージを訪れると伝えて消えます。
マーレイが現れる
幼子のように見えながら、老成した表情をした精霊が現れ、7年前のことをスクルージに見せます。
見習いとして孤独の中で働いていたスクルージーが映り、雇い主が開くクリスマスの舞踏会で人々が楽しんでいるところを見せられます。
その次に恋人に別れをつげられるスクルージ。
彼女は「以前は貧しくても幸せだったのに、今のあなたは私よりもお金が大事になってしまい別人になってしまった。」といいます。
その後、可愛い子どものいる幸せな家庭のクリスマスを見せられます。その家の妻は彼をふった元恋人でした。
第二の精霊は現在の姿を見せます。
第二の精霊 現在
伯父を呼べなかったことを惜しみながら、知人達と楽しい夕食会をしている甥フレッドの姿が見えます。
事務員のクラチットの末息子ティムは足が悪く、病気がちで長くは生きられないことを見せられます。ロープの下に隠れていた無知と貧困の2人の子供が見えました。
「その子達を助けてくれるところはないのか」と聞くと、「牢屋や救貧院があるのでは?」と精霊はいいます。
最後の精霊は未来の姿を見せます。
「ある男が死んだ。」という話を人々がしている場面を見せます。その男は評判が悪く、誰も悲しんでいない。
その男の家から盗んだ品物を売りに来た3人の男女がそれを買いとると老人と交渉する浅ましい姿を見せます。
誰にも見守られず死んだシーツにくるまれた男の遺体を見せます。その男が誰なのか?スクルージは確認できません。
夜が明けてクリスマスの朝を迎えたスクルージはクラチット家にごちそうを贈り、人々に愛想よく挨拶し、寄付を募りに来た。紳士たちに再会すると寄付を申し出、そして甥のフレッドの家の夕食会に出向きます。
スクルージとボブ クラチット
その翌日には遅刻してきたクラチットを咎めず、給金を増やすといい、さらに彼の家族への援助を約束します。
この変わりようを笑う人もいましたが、スクルージは気にもしませんでした。
やがてスクルージは「最もクリスマスの楽しみ方を知っている人物」と人々から言われることになりました。
日本に翻訳されたのは1926年。
その後10版以上を重ね、世界中で舞台化、映画化、アニメ化、ドラマ化され上演され続けています。
ミュージカルにもなっています。
これは日本上演版の宣伝動画です。
今年もやっています。千秋楽は12月26日札幌だそうです。