音楽の喜び フルートとともに

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洞窟の秘跡

2023-12-06 21:06:00 | 古典
先週行った山城の山の中にがけ崩れした所がありました。





石には詳しくないので、Lensで調べてみましたが、よくわかりませんでした。
さくい岩みたいです。
近くには椿井大塚山古墳、3世紀後半の古墳があります。

竪穴式石室で、邪馬台国の女王卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」三十数面を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬品が出土しました。

山の中過ぎてJRの拡幅工事が無ければ永遠に見つからなかったかも。

その後も発見物の割に、静かで立ち寄る人も見たことないです。
周りはちょっと整備…(草刈っただけ)
この辺りは古墳慣れしすぎているのかも。

さくい岩は竪穴式住居を掘るのに良かったのかも。

アントニオ サリエリ(1750-1825年)ヴェネツィア共和国レニャーゴ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

は、モーツァルト毒殺説で有名ですが、そのことについては以前書いたので今回は触れません。
1785年にオペラ ブッファ「トロフィーニアの洞窟」を作曲しました。

この頃、オーストリアのヨーゼフ2世が就職していた宮廷楽団を解散していたのでバリに移り「ダナオスの娘たち」を成功させました。

1784年ウィーンに戻るどヨーゼフ2世は宮廷楽団を再興していてサリエリも音楽監督に復職しました。

ヨーゼフ2世オーストリア大公 ハンガリー王 ボヘミア王 クロアチア・スロベニア王 イタリア王

早速、宮廷オペラの詩人に任命されたロレンツォ・ダ・ポンテのリブレットによる喜劇『一日長者』を作曲し、1784年12月に初演しましたが、失敗に終わりました。

そこで今度はカスティ(ダ・ポンテのライバルでもあった)と組んで『トロフォーニオの洞窟』を作曲しました。

1785年10月12日にウィーンのブルク劇場


で初演されました。

ただし現存する最古のリブレットの記述によれば、それより前にラクセンブルク宮殿で上演された可能性もあります。
オペラは成功をおさめ、ブルク劇場で26回上演されました。ウィーンのほかにヨーロッパ各地で上演される国際的なヒット作品になりました。

同年、オペラのフルスコアがアルタリア社から出版されました。これは同社にとって総譜の形で全曲印刷された最初のオペラ・ブッファでした。

「トロフォーニアの洞窟」
アリストーネの2人の娘、静かな性格のオフェーリアは哲学を好むアルテミドーロを愛し、明るい性格のドーリは陽気で外向的なプリステーネを愛していました。
アリストーネはこの2組のカップルの結婚を承認します。

トロフォーニオは洞窟の精霊たちを使役し、精霊たちの合唱が答えます。洞窟を通り抜けると性格が逆になる魔法がかけられているのでした。

そこへプラトンの本を手にしたアルテミドーロがやってきます。

トロフォーニオが彼を洞窟にはいるように勧めると、知識欲の強いアルテミドーロは大喜びで中に入ります。

入れかわりにプリステーネがやってきます。

洞窟にアルテミドーロがはいったとトロフォーニオが伝えると、疑いを持たずにプリステーネも洞窟にはいります。

洞窟の出口から出たアルテミドーロは哲学のことを忘れて陽気な性格となり、逆にプリステーネは真面目な性格になります。

オフェーリアはアルテミドーロの様子がおかしいのに驚きます。
ドーリもプリステーネの性格が変わってしまったことをいぶかり、彼が芝居を打っているのではないかと疑ういます。皆はアリストーネに相談に行きます。

アリストーネは娘たちに恋人を取りかえることを提案しますが、そういうわけにもいきません。

アルテミドーロとプリステーネがふたたび洞窟にはいると、再び性格の逆転が起きて元に戻る。トロフォーニオは喜び、魔法の力のすばらしさをたたえます。

今度はオフェーリアとドーリがトロフォーニオの所にやってきたため、彼はふたりを洞窟に招き入れます。

今度は彼女らの性格が逆転してしまいます。アリストーネはトロフォーニオに助けを求め、トロフォーニオは洞窟の魔法について説明します。

アリストーネは娘2人をもう一度洞窟に入れて元に戻します。

洞窟の不思議を一同が歌って幕が降ります。