昨夜、整形外科に行って脚のレントゲン撮ったら、膝小僧の丸い所にきれいに折れた後が見えていましたが…。とりあえず経過順調です。
イタリアのルッカでチェロ。コントラバス奏者の父レオポルドのもと、5人兄弟3番目として生まれます。
の楽長ドミニコ フランチェスコ ヴィンヌッチからチェロを学び、13歳でデビューを果たしました。
付き奏者兼作曲家となり、マドリードで後半生を送りました。
ゴヤが描いたドン・ルイス皇子の家族(1783)ゴヤ画(左脇の画家はゴヤ自身、右から3人目で立って腕組みしているのがボッケリーニと思われる)
皆さんにもいろいろご心配頂いてありがとうございました。
ただ、1ヶ月後、もう一度診て完治のようです。
少しまだ痛みもあり、立ち上がったり階段が痛いです。
とにかく皆さん、車止めには気をつけましょう。
「下向いて歩けよ!」と息子には言われています。
正論!夫と送り迎え、様々おたすけお疲れさまでした。
ルイジ ボッケリーニ(1743-1805年)トスカーナ大公国ルッカ生まれ、スペイン王国マドリード没
イタリアのルッカでチェロ。コントラバス奏者の父レオポルドのもと、5人兄弟3番目として生まれます。
父やルッカ大聖堂
の楽長ドミニコ フランチェスコ ヴィンヌッチからチェロを学び、13歳でデビューを果たしました。
その後、ローマで研鑽を積み20歳前半には父と共にウィーンの宮廷に勤め、高い評価を得ていました。
父が亡くなった後は、バイオリン奏者のフィリッポ マンフレーディとくみヨーロッパ中で華々しい演奏活動を行いました。
1768年パリのコンセール スピリチュエルで成功を収めるなど名声を極めました。
1769年スペインの宮廷に招かれ、ドン ルイス王子
付き奏者兼作曲家となり、マドリードで後半生を送りました。
ゴヤが描いたドン・ルイス皇子の家族(1783)ゴヤ画(左脇の画家はゴヤ自身、右から3人目で立って腕組みしているのがボッケリーニと思われる)
プロイセンでの人気は衰えず作品をブランデンブルク=プロイセンに送っていたりしましたが、晩年は失職し、貧困と忘却のうちにこの世を去りました。
ボッケリーニは ハイドン、モーツァルトと同時代の作曲家でありながら、独特な作風をたもってしていました。
複数のメロディーを巧みに繰り返しおりませながら行くのが特徴で、時としてバロック音楽のようにも斬新なロマン派の音楽のようにも聞こえました。
また、スペイン固有の音楽を取り入れ、国民楽派の先駆けとも思える作品を作っています。
そしてまだ通奏低音にだけ使われることが多かったチェロを生かした音楽を作りました。
ボッケリーニの音楽史上の功績としては、室内楽のジャンルを確立したことがあげられます。
弦楽四重奏曲と弦楽五重奏曲では抜きんでた量と質を誇っていて、ハイドンを凌駕しています。
ボッケリーニの弦楽五重奏曲は110曲を超え、当時としては珍しくヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ2という編成でした。
1771年に作曲された「6つの弦楽五重奏曲」作品11の5曲目の第三楽章は「ボッケリーニのメヌエット」として、特に有名で今も世界中で親しまれています。