桜に誘われて、伊賀上野、上野城まで行って来ました。
母と姪、私、次男の運転です。
初めは蟹満寺の駐車場近く、井手町の桜。
イタドリも。
もちろん何本か取って帰りました。
山城道の駅で、野菜を買って、茶そば定食を食べて
車で30分
上野城
桜とお城がいい感じです。
天守閣に昇りました。
調度などが
展示されています。
天守閣から上野市を望めます。
藤堂高虎が築いた高石垣
大阪城の石垣に次ぐ日本で2番目の高さの石垣です。
上野城が倒壊した1833年にヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由都市ハンブルク生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
葉桜もちらほらありましたが、
まだお花もたくさん。
イタドリも。
もちろん何本か取って帰りました。
山城道の駅で、野菜を買って、茶そば定食を食べて
車で30分
上野城
桜とお城がいい感じです。
天守閣に昇りました。
1585年に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に近世城郭としての伊賀上野城を築きました。
慶長13年(1608)6月、筒井定次は改易となりました。
慶長13年(1608)8月、徳川家康は、伊予の国(現在の愛媛県)宇和島城主であった藤堂高虎に、伊賀の国10万石・伊勢の内10万石、伊予の内2万石、合わせて22万石を与え国替えさせました。
大阪冬の陣で豊臣に対峙し勝利をおさめた後、1833年天守閣が暴風で倒壊しますが、戦乱は終わり必要なかったため城代屋敷を置き、そのまま江戸時代を送ります。
1935年に建て直されました。
調度などが
展示されています。
天守閣から上野市を望めます。
藤堂高虎が築いた高石垣
大阪城の石垣に次ぐ日本で2番目の高さの石垣です。
上野城が倒壊した1833年にヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由都市ハンブルク生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
彼は1880年デュッセルドルフの近くのクレーフェルトの郊外、リン城を訪れています。
ブラームスは1878年から1893年までの間にイタリアや他の地域を訪問し、気持ちの良い地方を探して夏の間に作曲しています。
1880年頃というと、交響曲第3番を作曲中でした。
当時の城主は音楽が好きだったようで楽器があちらこちらにおいてあります。
マリアンヌ ロディウスとクリストフエドゥアール ロディウス
1806 年にデ グライフ家が城の所有権を引き継いだとき、フィリップ デ グライフとその家族は狩猟小屋に定住しました。
マリアンヌ ロディウスとクリストフエドゥアール ロディウス
1806 年にデ グライフ家が城の所有権を引き継いだとき、フィリップ デ グライフとその家族は狩猟小屋に定住しました。
マリアンヌ・ロディウスは、フィリップ・デ・グライフとマリアンヌ・テル・メールの娘として 1814 年に生まれ、ここで育ちました。 1850年頃、彼女はケルンの商人でワイン商のクリストフ・エドゥアール・ロディウスとの結婚後、生まれた家に戻りました。
ブラームスはその頃何度かこの城を訪れています。
交響曲第3番