音楽の喜び フルートとともに

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こどものために

2024-08-21 21:06:00 | 国民楽派
亀メロンパン。時々夫がお土産を買って帰りますが、実質重視か、おチャラカ系が多く、かわいいものは珍しい。
珍しかったので写真を撮りました。


月曜は2時間ほど赤ちゃんのサポート。
お盆休みの間に、一回り大きくなって、寝返りまでもう少しになっていました。
目も合うようになって、「おすわりどっせ、いすどっせ…」と歌うとにた〜っと笑うようになりました。
かわいい💖

今日はダブルヘッダーで
夕方は5歳児のサポートでした。
私が幼稚園に迎えに行くと
「やった、飛行機!」とガッツポーズをしました。
2週間前の遊びをよく覚えていました。
なんかうれしい。

ベラ バルトーク(1881-1945年)オーストリアハンガリー帝国ハンガリー王国ナジセントミクローシュ生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン没

1907年バルトーク
子どもや初心者を対象としたピアノ曲集「子どものために」は、ブダペスト音楽院のピアノ科教授に就任した後の20歳台後半に作曲しました。

旋律にはハンガリーとスロバキアの民謡がほぼそのままの形で使われていて、音楽教育を目的とした作品としても民謡の編曲作品としてもバルトークの最初の大規模な曲集です。

バルトークは自分の足で歩いてハンガリー民謡を集めています。
その中の310曲を編曲しています。

1910年頃のオーストリア=ハンガリー帝国の民族分布。緑色がマジャル人(ハンガリー人)、ハンガリー北方の茶色がスロバキア人、ハンガリー東方のオレンジ色がルーマニア人

民謡の採集は全土に渡り、2000曲ほど採譜しています。

スロバキアの農村で民謡を録音するバルトーク(左から4人目)(1907年)
1908年コダーイと共著の歌とピアノのための民謡編曲集『20のハンガリー民謡(ハンガリー語版)』を作成し、その年の12月にブダペストのロジュニャイ・カーロイ社(Rozsnyai Károly、以下「ロジュニャイ社」)から出版しました。

しかし、この曲集はほとんど反響が無く、バルトークは

「『20のハンガリー民謡』それは幅広い層の人々に、探し当てた宝の一部分を紹介するために書いたのです。(略)しかしみんなは何のことだかわかりませんでした。長い間、反響もありませんでした。」と言っていたそうです。— セーケイ・ユーリア、『バルトーク物語』p.157

『20のハンガリー民謡』の失敗は、バルトークが大人達への「啓蒙」をあきらめ、将来の聴衆となる子供たちの耳を養うことに目を向ける契機となりました。

また、後年のバルトークは、

「ピアノを学習する子どもたちに、「民謡のもつ簡素で感傷的ではない美しさ」を知ってもらうために『子どものために』を作曲したと言っています。

『子供のために』の初版は1908年から1910年にかけて、まずハンガリー編が、次いでスロバキア編が作曲・出版されました。

作曲当時のバルトーク

第28番合唱曲「雄鶏を生かしておこう、生かしておこう」
第29番「おかあさん、ブーツが破れちゃった」 
第30番 「冷やかし歌」 
第31番 「星よ、星よ!恋人のもとへたどり着けますように、夜の道を照らしてください」
第32番 「白い豆の花」
第33番 未婚のまま歳を重ねた女性の、自嘲気味な開き直り(譜例・上)と、孤独(譜例・下)が表現されています。
第35番 兵役で任地へ赴く若者がブダの山から街を見下ろしながら恋人のことを想い、「これから僕は森の中にある兵舎に閉じ込められる」と前途を悲観する歌
第36番 「酔っぱらいのうた」 
第38番 「冬至の歌」
第42番 「豚飼いの踊り」「雄鶏を生かしておこう、生かしておこう」