音楽の喜び フルートとともに

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アルス・ノヴァ(新技法)

2024-09-16 20:59:00 | ルネッサンス
9月15日は知恩寺手作り市
ご近所のママ友Mさん、Gさんと朝8:52発の電車で行きました。

真っ先にいつもの袋物屋さん。
楽譜入れ、ペン入れ、消しゴム入れ、楽器スタンド入れ、楽器メンテグッズ入れ。
こっちは撮影OKの食品サンプル屋さん、

キーホルダーなど小さなものが人気。

やっぱり暑かった〜!

その場でセットしてくれるミニチュア店舗
疲れたのでお昼は近くのサイゼリア。

食後のコーヒーゼリーとアイスのセット。
Gさんが買った帆布のバッグ。

安くて丈夫です。
今日の収穫。

お土産の招き猫

知恩寺は1212年法然が亡くなった時にその恩に報うために建立されました。
1331年地震が起き、その後流行り病が起き、七日七夜百万遍の念仏を称えながら大念珠繰りをしたところ疫病が治まったことから「百萬遍」の号が下賜されたそうです。(知恩寺ホームページより)

1322年頃にフィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361年)によって書かれた、新しいリズムの分割法と記譜法を論じた音楽理論書『Ars nova (新技法)』

F-Pnm Français 146の Vitry のAman novi/Heu Fortuna/Heu me, tristis est anima mea の原稿、 Roman de Fauvelのバージョン

この本の名前に因んだ音楽様式「アルス・ノヴァ」がヨーロッパに広まります。

フランスの写本『ロマン・ド・フォーヴェル』のページ、パリ、BN Fr. 146(1318年頃)、「アルス・ノヴァ音楽の最初の実用的な情報源」

代表的な作曲家
ギヨーム ド マショー(1300年頃〜1377年)フランス王国ランス近郊生没



シャンパーニュ地方ランス近郊のマショーの貴族出身で聖職者になるための教育を受けます。

ボヘミア王兼ルクセンブルク伯ヨハン
14 世紀のボヘミアの聖ヨハネの胸像、ボヘミアとルクセンブルクの紋章が描かれたプラハの聖ヴィート大聖堂
の秘書となり、ヨハンの兵と共にイタリア、ハンガリー、ボヘミア、シレジア、プロイセン、ポーランド、リトアニアなどヨーロッパ各地に赴きました。

この間、ヨハンよりヴェルダン、アラス、サン・カンタン、さらに1334年もしくは1337年にランスのノートルダム大聖堂(司教座聖参事会員等の名誉職を得ました。

ノートルダム大聖堂

1346年、百年戦争初期のクレシーの戦いでヨハンが戦死すると、後のフランス国王ジャン2世(1350年 - 1364年)の妃であるヨハンの娘ボンヌ
ボンヌとジャン2世
に仕えます。
居をランスに構えます。

その後、1364年からフランス国王になったノルマンディー公シャルル(フランス王シャルル5世)、

同じくジャン2世の末子でブルゴーニュ公になったフィリップ(豪胆公)、

ナバラ王カルロス2世、

サヴォイア伯アメデーオ6世、

華麗な時祷書で知られるベリー公ジャン

など多くのパトロンに仕えました。

Dame, de qui toute ma joie (B42 または RF5)、1342 年以前、Le Remède de Fortuneより 

1349年のペスト(黒死病)大流行の後、自作品を集大成し、これらは数冊の『マショー写本』として残されています。

1359年 - 1360年には、ペスト禍が納まって再び始まった百年戦争のランス包囲戦を経験しています。

1377年4月、ランスにて死去。ノートルダム大聖堂に葬られました。

わが終わりはわが始まり
私の終わりは私の始まり 
わが終わりはわが始める
そして私の始まりと終わり
わが始めはわが終わり