月曜の朝10:00からは阪急塚口近くのT-raumでハープのレッスンでした。
ヤフー路線検索して、早めに着く、乗換が少ないルートを選んで出発!
の詩を取り上げています。
パリ音楽院在学中にフォーレと知り合ったリリック バリトンのシャルル バンゼラ
に献呈されています。
ヤフー路線検索して、早めに着く、乗換が少ないルートを選んで出発!
ところが、牧野発8:33 京阪本線準急でゆったり座って、半分居眠り、天満橋まで来たら、「次は大江橋」
「え?!」
中之島線?!
いい方法はないかと検索して渡辺橋まで行ってしまいました。
結局、反転して大江橋に戻って、御堂筋線の淀屋橋まで歩いて梅田に出るのが1番近いみたい。
大江橋から淀屋橋まで徒歩2分。
御堂筋線に乗って阪急梅田駅まで慌てていくと、大丈夫。
41分の普通三ノ宮行きに乗れました。
早めに出たはずが、ジャストに着きました。
しかし、中之島行きと電車には書いてあったはず、車内放送も聞いていれば途中でわかったはず。
ネットの情報ばかりを鵜呑みにして、リアルを無視してはいけないと常々言ってきたのにこの始末!
ああ情けない。
ガブリエル フォーレ(1845-1924年)フランス王国パミエ生まれ、フランス共和国パリ没
歌曲集「幻の水平線」はジャン ド ラ ヴィーユ ミルモン(1886-1914年)の詩に1921年に音楽をつけたものです。
1920年75歳頃から体力と聴力の衰えに苦しんでいたフォーレは、レジオン ド ヌール勲章を授与されるなど、功なり遂げた感がありましたが、「フランス6人組」など若手の求めに応じ、彼らへの手助けを惜しみませんでした。
1921年に作曲されたフォーレ最後の歌曲集「幻の水平線」op118
は、第一次世界大戦で27歳で亡くなった詩人のミルモン
の詩を取り上げています。
彼はキケロの詩の翻訳者、文学教授、ボルドーの市会議員としても有名な父アンリの元に6人兄弟の1人として生まれました。
パリで官職を得て高齢者支援を行っています。軍曹として採用され、ヴェルサイユで地雷の爆発により生き埋めになりました。
助け出された時には生きていましたが、背骨が折れていてすぐに亡くなりました。
パリ音楽院在学中にフォーレと知り合ったリリック バリトンのシャルル バンゼラ
に献呈されています。
1922年5月に国民音楽協会の演奏会で、バンゼラの歌とフォーレのピアノ伴奏によって初演されています。
バンゼラもパリ音楽院在学中に第一次世界大戦に参戦するために休学しています。
当時人気のバリトンでドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」でペレアスを演じ、あたり役になりました。
幻の水平線
第一曲海は果てしなく
海は果てしなく、私の夢は狂おしい
海は太陽に向かって歌う、断崖に打ち寄せながら
そして私の軽やかな夢はこの上なく満ち足りて
海の上で踊るのだ 酔いしれた鳥のように
波の巨大な動きに運びさられ
そよ風に揺られ 波の襞目の中へと巻き込まれ
船の航跡に戯れながら、夢たちはエスコートするだろう
私の心がその逃走に付き従ってきた船たちを
風や潮に酔い 泡に焼かれている
やさしく慰めて涙を洗ってくれる海の泡に
夢たちは知るのだろう 海の広さとその心地よい塩辛さを
迷ったかもめたちは、その夢を自分たちのものだと思い込むだろう
中之島行きが遅れてたのですね。そうかぁ!
いずれにせよ、自分の目と耳で確認しないとだめですね😱💦
友人と東京、横浜旅行いいですね~💖
私もいろいろ失敗ばかり、しっかりした友だちに連れて行って欲しいです。
お互いに身体に気をつけて頑張りましょうね!
さて、電車の件、ひょっとしたら当日遅れが出ていて、本来先に出ているはずの中之島行きが何らかの理由で遅れてやってきて、本来の淀屋橋行きの時間で走ったように思います。
失礼致しました。
温かいフォロー
ありがとうございます。
電車を乗り換えて〜目的地まで〜!
方向音痴の私には無理(;_;)
東京に旅した際、友人と横浜まで
うわぁこんなに近いんだ〜感激しました。
札幌は花冷えの日が続きます。
お体大切にご活躍を(^-^)