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ジャパニング漆塗りが起源

2024-06-04 21:01:00 | バロック
結局、流行らないデコパージュ。
100均で調達するのはやめて、メルカリで紙ナプキン(まだ着いてない)、デコパージュ液は木工用ボンドでできるそうなのでどちらも家にあるもので試作してみました。

紙ナプキンは3枚重なっているので、柄のついているものを1枚剥がします。

薄いっ!地が白なので大丈夫。

木工用ボンドと水、1対1で良いそうです。

適当。
 
100均のティシュケースの蓋に液を塗ります。
ちょっと弾く感じですが大丈夫。

スポンジで空気を抜いて、シワを伸ばします。この時完璧に伸ばそうとすると破れるので上から叩く位で、シワも味と考えて

端を切って整えます。

上から液を塗ります。これも擦らないように…破れるから。
液を置くように塗って、ドライヤーで乾かします。
3回位塗っては乾かすを繰り返します。
他の面も同じ工程で、できました。

作業としては難しくはないけれど、4面貼って乾かしてはサロンでするには時間がかかり過ぎかも。

そうだ、いいこと思いついた。
それは材料を手に入れてから…。

デコパージュの起源は
ジャパニング(英: Japanning)。
アジアの漆器の欧州での模倣品に起源を持つ仕上げの一種です。最初は家具に使われましたが、後には金属製の小物によく利用されました。

ジャパニングされた茶盆(ひどく使い古されています)
ジャパニングはほとんどの場合黒色の「ラッカー」で、ほとんどエナメル塗料に近いそうです。

黒色が一般的でした。
この欧州の技術はシェラックに似た樹脂を主成分とするワニスを用います。これを加熱乾燥した層に塗布し、次に磨くことで滑らかで光沢のある仕上げとなります。黒以外にも赤や緑、青の仕上げも可能でした。

陶磁器のための化粧塗料としてインド、中国、日本で生まれた漆器は17世紀までに欧州に伝わりました。
17世紀末、高品質の漆器が輸出されなくなると噂がたち、イタリアでの生産が始まりました。その伝統的な様式は黒の基調色と金色の意匠と絵を用いていました。

ジャパン塗装がされた18世紀の懐中時計

ジャパン塗装されたものの需要が高まるにつれ、アジアの漆器を模倣するイタリアの技術も広まりました。

ジャパニングの技は17世紀のイギリス、フランス、イタリア、北海沿岸の低地帯諸国で発展しましたた。

この技術は1688年にオックスフォードで出版されたStalkerとParkerの『Treatise of Japanning and Varnishing(ジャパニングとワニスの技法論)』

といったマニュアルに記載されています。
植民地時代のボストンはアメリカにおけるジャパニング取引の主要拠点でした。

イングランドでは、デコパージュ(紙切り細工で他の品物を装飾する技法)、特に植物から着想を得たメアリー・ディレイニーの作品が非常に人気となりました。

メアリー・ディレイニー(1700-1788年)イギリスヴィルスターシャー コールストン生まれ、イギリスウィンザー没

はイギリスのペーパークラフト作家、画家、園芸家です。
曽祖父が軍人のベヴィル・グランヴィルで、叔父に政治家で劇作家の初代ランズダウン男爵、ジョージ・グランヴィルがいます。

幼い頃、家族はロンドンに移り、おばのスタンリー夫人と暮らし、婦人から英語やフランス語、歴史、音楽、裁縫、ダンスなど王室の女官となる教育を受けました。

10歳の時にメアリーはロンドンを初めて訪れたヘンデルと出会い、そこから手紙のやりとりや、ヘンデルへの支援を続け、ヘンデルの没する1759年まで続きました。


1714年にアン女王が没して、ステュアート朝が断絶し、王室内の勢力関係が変わると、グランヴィル家はグロスタシャーに移り、政治から離れました。

17歳の時に叔父の意向で、60歳の政治家で裕福な地主のアレクサンダー・ペンダーブスと結婚しました。

コーンウォールの夫の屋敷で過ごし、1721年に夫婦でロンドンに戻りました。1726年に夫は没しますが、遺産は継承できませんでした。

ロンドンでは後にブルー・ストッキング・サークルと呼ばれる知的な女性のなかで過ごすことになりました。

アイルランドの牧師で金持ちの未亡人と結婚し、文学的な趣味人として過ごしていたパトリック・ディレイニーと知り合い、ディレイニーの妻が1741年に没した後、1743年に結婚しました。

1744年に夫がアイルランド教会の要職、ディーン・オブ・ダウンに就任した後はアイルランドのダブリンに住んみました。

ダブリンでは夫と園芸などを楽しみ、植物学者のジョゼフ・バンクスやダニエル・ソランダーとも知り合りました。

1761年に出版された6巻の書簡集は、貴族や作家のスイフト、作曲家のヘンデルとの書簡が収められていて貴重な資料となっています。
2度目の夫は1768年に没しました。

70歳を過ぎてから製作が始められ、視力を失う88歳になるまで紙による花の模型を作りました。
紙細工による、花のオブジェで知られていて、これは現在大英博物館に展示されています。

マグノリア

フィザリス

アイリス シューダコルス

ブラッシュ ローズ

1710年、ヘンデル25歳 メアリー10歳の時に出会い、終生メアリーはヘンデルと書簡を交わし、支援をしました。
ヘンデルはその頃、ハノーファー選定侯に仕えていましたが、ハノーファーに、いつかず、勝手にイタリアに行った後、イギリスに渡り、そこでの足がかりを得ようとパトロンを探していました。

出資者たちを得て、翌1711年オペラ「リナルド」をロンドン、ヘイマーケット女王劇場で上演し、大成功を収め、イギリスに大きな足場築くのです。
「リナルド」よりリナルドが誘拐された婚約者のアルミーダを取り戻すために山の洞窟に住む魔法使いの力を借りに行こうと決意する時のアリア。
技巧的で力量のいるアリアは若きヘンデルの野心を表しているような気がします。当時は男性のみで演じられ、音域の高いリナルドは少年、もしくは去勢された男性カストラートが演じました。現代では女性が演じています。




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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素敵です (もにもに)
2024-06-04 17:09:28
紙ナプキンでこんなに素敵にデコパージュできるんですね。
確かに、その手間と時間を考えると ちょっと手が
伸びませんが・・・。
自分好みにリメイクできて良いと思います。
私は面倒くさがりなのでマスキングテープを貼るくらいです。
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デコパージュ (takan32)
2024-06-04 18:31:44
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
デコパージュという言葉、初めて知りました。(^^;
人生できょう、初めて出会いました。(^ ^)
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-06-04 23:14:42
もにもにさん、ありがとうございます😊
日本のデコパージュのブームは去ったみたいですが、私は結構好きです。
やってみたら簡単ですよ💖
マスキングテープも素敵ですね。
デコパージュコーナーは無くなっていましたが、マスキングテープ売り場はますます広がってました。
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-06-04 23:17:11
@takan32 さん、いつもありがとうございます。
デコパージュ…初めてでしたか!
世界中どこでも行っていて、なんでもご存知なのかと思っていましたが、なんだか好感増しました💖
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Unknown (たたら)
2024-06-05 06:55:29
お邪魔します(*- -)(*_ _)ペコリ
凄く素敵なティッシュケース。
自分で作れるんですね。
私は不器用なのでうまく貼れないかもしれませんが、自分で作れば楽しいし愛着も湧きそうです。
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-06-07 01:41:29
たたらさん、ありがとうございます😊
普段子どもたちのことばかりのお母さんたちが少しの間でも集中することでリフレッシュしてくれるといいなあ~。と思っています。
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