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ルネサンスダンスの開祖ネグリ

2023-12-05 21:01:00 | ルネッサンス
季節外れのわらび餅を夫が買ってきたのですが、
沖縄の陶器市で買った小鉢に入れてみました。

思ったよりかわいい🩷
冷奴や、枝豆入れとして使ってきたけど、スイーツ方面もかわいいかも。

脚は、だいぶマシになってきましたが、まだ膝を曲げると痛いので座ったら座ったまま😭
金曜日から一歩も外にでずですが、来てくれるのでたすかります。 

今日は子育てサロンのクリスマスコンサートの合わせでピアノのTさん、絵本と音楽のコラボをするので読んでくれるOさんが来てくれました。

どこでセリフを入れて、どこでめくるか?を細かく打合せ。

持ち帰って練習してくれることになりました。
後は前日にもう一回合わせます。

じっとしていたら、動きたくなってダンスの音楽を聞いています。

バリエラというのは16世紀イタリアの宮廷の上流階級の人々が踊ったダンスのことです。

チェーザレ ネグリ(1535.6-1604年?)イタリア ミラノ

ミラノは、ヨーロッパでの舞踊先進地で、舞踊はエンターテイメントの頂点でした。
実演家として、宮廷での催事やマスカラーデ(仮面舞踏会)
シャルル6世の宮廷で起こった仮装舞踏会の事件 Bal des Ardents、1450年-1480年ごろの細密画
に出演していました。

ネグリは「ほら吹き」 (il Trombone) というあだ名で知られ、1554年頃からミラノで舞踊を指導し、多くの弟子を育成しました。

ネグリの弟子たちはヨーロッパ各国の宮廷で舞踊教師となり、その数は40名を超えました。

彼は宮廷のために、大勢の出演者による寓意的なマスカラーデや幕間の劇を振り付けました。

1564年6月25日、ネグリは25台の2輪馬車を使用して人間の疑惑、欲望、恐怖などを象徴する大規模なマスカラーデの演出を手がけています。

ネグリはその生涯中にヨーロッパ各地を旅しました。

レパントの海戦(1571年)
オスマン対ハプスブルク戦争
では、カトリック教国の連合艦隊指揮官ドン・フアン・デ・アウストリア(神聖ローマ帝国皇帝カール5世の庶子)
の乗艦のデッキでカトリック教国連合艦隊の艦長たちを前に踊りました。

後にミラノでも、ドン・フアン・デ・アウストリアのために再度踊りを披露しました。

アンリ3世

アンリ3世(ポーランド王フランス王)
がポーランドから王位請求のためにフランスへ旅だったときは、クレモナでネグリとその弟子による踊りを鑑賞しました。

チェーザレ・ネグリ、バレリーニ・ミラネージ
マジェンタでもアンリ3世はネグリたちの踊りを鑑賞しました。結局ネグリは、アンリ3世の旅にアルプスまでつき従っていきました。

ネグリから教えを受けた弟子たちはパルマ、ボローニャ、ケルンなどで王侯貴族に仕え、新たな舞踊を広めました。

晩年のネグリは、1602年に自叙伝『愛のグラチエ』(愛の恩寵) (Le Grazie d'Amore) を執筆し、この本はミラノで出版されました。

Le Grazie d'Amore
『愛のグラチエ』は2年後に『バッロの新発明』 (Nuove lnventioni di Balli) と改題されて再版されました。

Nuove lnventioni di Balli
『バッロの新発明』は3部からなり、第1部は総論、第2部は55種にも及ぶ舞踊技術の規則についての解説(下肢における外旋の効果についての説明を含む)、第3部はリュートの楽譜と振付詳細を含むパヴァーヌなどの実際の舞踊を取り上げています。

この著作は16世紀における舞踊教本として最大規模のもので、舞踊技術、振付から歴史的考察に至るまで詳細な記述が網羅されています。

『バッロの新発明』は、1969年にニューヨークで英語訳による出版されました。

バリエラネグリの「愛のグラチェ」より




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アイメロディー)
2023-12-06 00:28:32
体調いかがでしょうか
どうか無理されずにお大事にしてくださいね
子育てサロンクリスマスコンサート🎄が無事にと祈っております
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Unknown (m-fluteangel16??)
2023-12-07 08:41:13
アイメロディーさん、脚だいぶマシになってきました。体調は良好てす。
温かい言葉、ありがとうございます。
子育てサロンのコンサートもがんばりますね!
返信する

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