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報復殺人ジェズアルド

2022-04-17 20:57:15 | ルネッサンス
お久しぶりの酒屋神社裏の池。
暖かい日和でした。

新緑が美しい! 

タンポポがいっぱい。



ここのはニホンタンポポです。

足を踏み入れるとぽちゃんぽちゃんと湖音がして

亀さんが…。

イタドリを取ってきました。


カルロ ジェズアルド(1566-1613年)

ヴエノーザ?生まれ、ジェズアルド没
イタリア貴族で、聖職者の家系に生まれます。
ミラノ大司教で聖人のカルロ ポッロメーオは叔父、母はローマ教皇ピウス4世の姪です。


1586年いとこで侯爵令嬢のマリア ダヴァロスと結婚。
2年後にアンドリア公ファブリツィオ カラーファと情事を重ねます。

1590年、ジェズアルドは狩りに行くと嘘をつき、ナポリの宮殿に手下を連れて乗り込みます。

妻と愛人の情事を見つけ、寝台の上で二人を惨殺します。

そして報復を恐れジェズアルド城に逃げ帰ります。

この殺人事件は広く宣伝され、トルクァート・タッソーなどミラノ中の詩人により取り上げられました。
貴族による不貞の妻に対する報復殺人は当時珍しくはなかったそうで、ジェズアルドはつかまることはありませんでした。
手下を連れて行ったこと、一騎打ちでなかったことで評判は落ちましたが。

妻殺しのあと、赤ん坊の息子を殺したとか、復讐に現れた義父も殺したという史料も。
武装した兵士に自分を守らせていたそうです。

1594年フェラーラに赴き、大公アルフォンソ2世デステの姪レオノーラと再婚します。
エステ家の宮廷には文化人が集まっていて、仕事がすすみ、初めのマドリガーレ集を出版します。

1595年ジェズアルドに戻り、フェラーラ時代のような文化拠点を作ろうとしますが、豊富な財源で雇い入れることでしか人を集めることができませんでした。

レオノーレは、しばしば実家のエステ家に虐待を訴え、エステ家は別れさせようとしています。

1600年再婚後もうけた息子が早世します。
カプチン会教会にレオノーレと息子と自分を描いた絵画を委嘱しています。

1613年マリアとの長男エマヌエレが亡くなった3週間後に亡くなっています。

後半生はうつ病だったとも言われています。
毎日専用の使用人を雇い、自分を鞭打たせていたそうです。
曲は「苦痛」「死」「恍惚、喜悦」「苦悶」などと言う名前をつけています。

また、半音階を利用する作風は19世紀ロマン派を待つまで現れず、まさに孤独の作曲家といえるでしょう。

「幸せな春よ」はマドリガーレ集1に収録されていて!まだ調性音楽にとどまっていますが、後半に行くほど半音階が使われるようになります。











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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (atcchin)
2022-04-19 23:07:26
こんばんは。
これだけのイタドリどうされるんですか。
食べれる?生け花?
まさかフルートのような横笛。(笑)

きょうの記事にupしていますが
じゃがいも畑の雑草もイタドリでしょうかね。
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-04-20 21:56:35
@atcchin さん、受けま〜す🤣
いたどりは、皮をむいて塩して食べまーす。すっぱくてサッパリした春の味です。
立派なじゃがいも畑ですね。
いつも、感嘆しています👍
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Unknown (atcchin)
2022-04-21 14:47:40
ああ、食べれるんですね👌
でも此方のはちょっと違うような・・
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-04-23 09:21:42
@atcchin さん、え?そうなのですか?
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