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新ショウガ漬けてみました。

2024-07-12 21:01:00 | ロマン派
新生姜漬けてみました。

①皮を薄く剥いて(赤いところは色つきになるので落とさない)

スライサーでスライス…のはずが、フードプロセッサーのスライスコースでやってみたら生姜が固すぎたのか?プロセッサーが古くてだめになってきたのか?ほとんど粉砕!
途中で気づいて、包丁でスライス。
初めから包丁にすればよかった。

②一分茹でて辛味を取ると書いてありましたが、心配なので2分30秒。
辛いのだめなんです。

③30分水にさらします。
④塩振って20分おきます。
⑤軽く絞って

⑥熱湯消毒した密封容器に移して、らっきょう酢をひたひたまで入れます。

⑦次の日から食べられます。

次の日。辛くない!
我ながら上手くできました。
(粉砕部分多いですが)

そのまま食べてもいいけれど、お魚を煮たりするのにも良さそうです。

生姜は5000年前から東南アジア周辺で利用されてきました。
特にインド、中国、日本では薬効のある食材として知られてきました。

アジアからヨーロッパに輸出された初めのスパイスだそうです。

ショウガに関する最初の記録は、中国の戦国時代(紀元前475-221年)に孔子の弟子たちによって書かれた『論語』です。

その中で、孔子は毎食ショウガを食べていたとされています。

406年、法顕僧侶は、ショウガは鉢植えで栽培され、壊血病を防ぐために中国の船で運ばれたと書いています。

ショウガはアラブ人によって地中海にもたらされ、150年、クラウディウス プトレマイオス(100-170年頃)

ユストゥス・ファン・ヘントとペドロ・ベルゲテによるプトレマイオスの肖像画(1476)
はショウガがセイロン(スリランカ)で生産されていると記しています。

ショウガは、その近縁種であるガランガルとともに、腎臓など富裕層しか買えない非常に高価な薬草療法の一部としてローマ帝国に輸入されました。

中世には、ヨーロッパ人の嗜好がショウガの料理として好意的に変化した後、生のショウガと保存されたショウガがヨーロッパに大量に輸入されました。

ケーラーの薬用植物の1896年カラー図版
この時期、ショウガはいくつかの国の公式薬局方にも記載されています。

14世紀のイギリスでは、ショウガ1ポンドの値段は羊1頭分でした。

北西ヨーロッパにおけるショウガの考古学的証拠は、デンマーク・ノルウェーの旗艦グリブシュンデン号の難破船から得られます。

考古学者は2022年グリブシュンデン号の船尾を調査しています。写真:ブレット・シーモア

この船は1495年の夏、ハンス王をスウェーデン評議会との首脳会談に運ぶ途中、スウェーデン南岸沖で沈没しました。
船に積まれていた高級品の中には、ショウガ、クローブ、サフラン、コショウなどがありました。

西洋料理では、ショウガは伝統的に主にジンジャーエール、ジンジャーブレッド
ジンジャーブレッドマンとジンジャーブレッドハウスの奥さん
ジンジャースナップ(ビスケット)、パーキン
パーキン、オートミールと黒糖蜜で作られるジンジャーブレッドケーキで、ヨークシャー北イングランド発祥。
スペキュラース

 
スペキュラース:船、農家、象、馬
スペキュラーススパイス(ショウガ、グローブ、シナモン、ナツメグ、カルダモン、コショウ)を使って焼いたスパイス入りショートクラスト ビスケットの一種
などの甘い食べ物に使用されています。 

カントンと呼ばれるショウガ風味のリキュールは、フランスのジャルナックで生産されています。

ジンジャーワインは、

英国発祥のショウガ風味のワインです。
ショウガは、ホットコーヒーや紅茶に加​​えるスパイスとしても使用されます。

エンゲルベルト フンパーディンク(1854-1921年)プロイセン王国ジークブルク生まれ、ノイストシュトレーリッツ没 


1872年にケルン音楽院に入学してフェルディナント・ヒラーに師事。

1876年に奨学金を得てミュンヘンに行き、フランツ・パウル・ラハナーと、後にヨーゼフ・ラインベルガーに師事。

1879年にベルリンよりメンデルスゾーン基金を得てイタリアに行き、ナポリでリヒャルト・ワーグナー

の信頼を得ます。

ワーグナーに招かれてバイロイトに行き、1880年から1881年の間《パルジファル》の上演を輔佐します。

再び学資金を得て、イタリアからフランス、スペインを旅行し、2年間バルセロナのリセウ高等音楽院で教鞭を執りました。

1887年にケルンに戻り、1890年にフランクフルト・ホーホ音楽院

の教授に就任、シュトックハウゼン声楽塾の和声法の教師も務めます。
この頃までに、フンパーディンクの合唱曲や管弦楽曲が流行り出します。1900年にベルリンに行き、マイスターシューレの作曲教授に任命されました。

メルヘンオペラ『ヘンゼルとグレーテル』三幕は
1893年12月23日、リヒャルト・シュトラウス指揮

によりヴァイマルで初演されました。

こんにちでも上演される、唯一のメルヘンオペラで、その宗教的な内容からクリスマスの時期に上演されることが多く、特にドイツでは今でも人気のオペラです。

グリム童話が原作のこのオペラの中で、ヘンゼルとグレーテルが森の中をさまよって見つけた家。
これがジンジャーブレッドハウスと呼ばれる、生姜パンでできた家でした。

屋根がケーキ、壁がジンジャーパン、窓が砂糖で作られた小さな家。
お腹を減らした2人は夢中になってお菓子の家を食べるのでした。
すると…。

組曲「ヘンゼルとグレーテル」オーケストラのための編曲版より
ジンジャーブレッドハウス。