7月21日(日)は塚口駅近くのt-raumで、ハープの発表会でした。
なんと!プログラム1番。
ゲストのプロ演奏のお一人が演奏されたすぐ後です。
内心「ひえ〜!」という感じ。
リハーサルのために12:00入り。
12:30から10分「ロンドンデリーの歌」を弾いてみました。
1回目は上がってて、手元を見たら楽譜が見れず、楽譜を見たら手元が見れず…そして目は悪くなってて楽譜がよく見えない。
という感じで、ミスばかり。
「時間あるから、もう一回弾いてもいいですよ。」と先生。
2回目は落ち着いてきました。
本番もこんな感じならいいのに!
さて、後から来た金重さんと持ってきたお昼を食べて、着替えて、さあ、本番。
すぐに自分の番。
う〜ん。途中でペダル操作をA♭→Aにして、その後A→A♭に戻すはずが、隣のG→Gシャープに
気づかず続行したら変な音がでてしまいました。
先生が、「その隣、隣です。」とこっそり教えて下さって、戻ってペダルを治して、3和音引きなおして、最後まで…。
ハープって本当に難しい。
練習では一度も踏み間違ったことは無かったのに…。
野田千晶先生が出演されるコンサートのお知らせがありました。
2023年1月に亡くなられた作曲家の藤井修先生の追悼コンサートです。
今回出演した若手演奏家の2人と後もう一人の3人が高校生の時に3人のために作曲された曲もあるそうでその曲も先生が入って演奏されます。
藤井修
1946年10月1日ー2023年1月27日没
岡山県笠山市生まれ、
3歳で母 貞枝死去(享年39歳)
1951年4歳の時に父再婚 継母に育てられます。
1963年1月 16歳 父 善一死去(享年56歳)
1965年4月~1967年10月 18~21歳
奈良ドリームランド音楽隊に就職し、
クラリネットで入隊します。(打楽器)
打楽器を永野成計氏、山口十郎氏に師事
この頃、ドリームランド内でアイヌの人々と知り合い、アイヌ文化に興味を持ち始めます。
1968年4月~1972年5月 21~25歳
大阪PL吹奏楽団首席打楽器奏者として就職。
PLマーチングバンド連盟創設に携わり、初代講師とし0人編成の女子鼓笛隊を創立し指導、NHK紅白歌合戦にも出場します。
1972年6月~1980年11月 25~34歳
芸能プロダクションに所属し、芸能人のバックバンドでヴィブラフォン、ドラム、ラテンパーカッションを担当し、テレビ・ラジオ・コンサート・スタジオレコーディングなどで演奏。
NHK大阪放送管弦楽団、宝塚管弦楽団等のオーケストラで、ティンパニー、各打楽器を担当
ヤマハ、カワイ、テクニトーン、梅田ナカイ楽器等で、ドラムやラテンパーカッション等のレッスン担当をします。
1976年6月 29歳
継母 ヲキミ死去(享年70歳)
1977年~2014年 30~68歳
多くの中学高校吹奏楽部、アマチュア吹奏楽団にて、オリジナルのシステムによる吹奏楽、打楽器、打楽器アンサンブル指導を行い、地区大会、全国大会出場等の好成績に導きます。
1978年~2018年 31~72歳
プロ・アマの各音楽団にて、編曲・打楽器演奏を行います。
1980年4月~2006年3月 33~59歳
カワイ(旧 中央)音楽学園講師を務めます。
吹奏楽作品、打楽器作品など多数。
ハープの曲もたくさん残しておられます。
その中の一曲「星の歌」を野田先生が披露してくださいました。それが本当に美しい曲!
ぜひいらしてください。
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