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夕べは、雨のピークが過ぎたので、藤本川はあふれないで大丈夫でした。
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稲が伸びて、
昨日は後10cmまで来ていました。
今晩は23時満潮。
雨が止んでいるので、今日は大丈夫かと思います。
鬱々としたお天気ですが、先週の里山。
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稲が伸びて、
ヒグラシがもう鳴いていました。
蟬の鳴き声を音楽で探してみましたが、見つかりません。
ヒグラシはヨーロッパには生息していないようなので、仕方ないかと思いますが、蟬はいるらしいです。
蝶はパピヨンというリズムが出てきます。
ショパンやシューマンが書いています。
毒グモタランチュラは6/8拍子のタランテラという分野があって曲はたくさんあります。
コオロギはラヴェルが博物誌という曲に登場させています。
蟬は見つけられなかったので私の師匠伊藤公一先生の演奏でリムスキー=コルサコフの「熊蜂は飛ぶ」
オペラ「サルタン皇帝」の中で王子が熊蜂に姿を変えて悪役を退治するときの音楽です。
実際には熊蜂は温厚な性格でオスは針さえありません。
メスはまれに巣を守るときに刺すこともありますが、毒もないそうです。
日暮は、天気や陽射しに因っては、明け方だ
ったりにまるで時雨れるように鳴きます。
蝉の習性は謎です。
手元に本がないのでネットで プラトン セミ 音楽 などとワードを組み合わせて検索したら下記のプラトンの引用が出てきました。
“”むかし、あの蝉たちは人間だった。
ムゥサの女神たちがまだ生まれない前の時代に
生きていた人間どもの仲間だったのだ。
ところがムゥサたちが生まれて、この世に歌というものがあらわれるや、
当時の人間たちの中のある人々は、たのしさに我を忘れるあまり、
食べることも飲むことも忘れてただうたいつづけ、そして、自分で
それと気がつく間もなく死んでいってしまった。
その後、蝉たちの種族が生まれたのは、この人々からであって、
彼らは・・・(中略)・・・死んでからのちは、ムゥサたちのもとへ行って、
この世に住む人間どもの中の誰が、どのムゥサを敬っているかを
報告するということになったのである。
(藤澤令夫『プラトン『パイドロス』註解』岩波書店より抜粋)“”
ギリシャ語のムゥサはラテン語でミューズ、つまりミュージックの語源となる単語だそうです。
鳴き続けるセミが飲み食いも忘れて歌い続ける人間の生まれ変わりという想像力は素晴らしいと思います。
できれば僕もセミからムゥサの神様を慕っていると報告してほしいです。
先生のフルート、音がくるくる回ったりブルブル震えたり楽しいですね、ピアノも先生をしっかり支えていると思いました。
何年間も地中で過ごし、成虫になって一週間で死んじゃうなんてはかないですね。
確かに、成虫してからは飲まず食わずで鳴いて死んじゃいますね。
伊藤先生は今年78歳ですが、ますます、美しい演奏に磨きがかかって、とっても素晴らしいです。