今日は、実家で父を見る番です。毎週金曜日は、お昼に行って、夜ご飯を作って一緒に食べ、10時に母がお稽古から帰ってくるまで一緒に過ごします。
いつも、5分か10分ごとに、「お母さん、今日は遅いんか?どこ行ってるんや。と聞いてきます。
今日は食後、父と同居しているうちの長男のノートパソコンを借りて、カラオケに挑戦です。
前回、うまくいった美空ひばりさんの歌を検索したら、「真っ赤な太陽」が出てきたので、出してみると、ひばりさんが歌っているものでした。「やっぱり、うまいなぁ。いいなぁ。」といいながら、歌おうとはしません。やっぱりカラオケでないとだめみたい。
しかし、なかなかカラオケが出ない。真っ赤な太陽は諦めて、「愛燦燦」を出すと、歌う歌う。しかも、前回ほとんど出ていなかった声が出てます。うれしくなってきました。
「どの歌知ってる?」と聞くと、「わからん。何か知ってるはずやけどな。」適当に流行っていた歌をだしてみます。
都はるみさんの「大阪しぐれ」。この歌は、よく覚えていたのか、さっきより、リズムもあっています。
そのあとは、どんどん。結局、母が帰ってくるまで。歌い詰め。
今まで家に引きこもり状態で、ぼぅっとテレビを見ているだけの父が、疲れも見せず3時間歌い詰め。
「これどうしたんや。これ買うわ。」とパソコンのことを何度も聴き。その度に「長男が持っているから、いつでも、貸してもらえる。」と何度も言い。でも、父が、嬉しそうに歌っているのを見ると、私も嬉しくて、何曲も、歌を出し、一緒に口ずさみました。
驚いたのは、藤山一郎さんの「影を慕いて」を歌ったとき、
まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦(こが)れつつ 忍び泣く
わびしさよ
せめて痛みの なぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) 行(ゆ)く秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し
君故(ゆえ)に
永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ
古賀政男さん、作詞作曲の有名な曲ですが、「いい歌やなぁ。何か今頃になって歌詞がわかるような気がするわ。」と父が、私に言うのです。
その目が、生き生きとして、以前の父のような、豊かな表情です。
昭和3年、人生に絶望した古賀さんが、自殺を図った後、蔵王の夕焼けを見て思い浮かべた詞。暗い歌です。
悲しみ、うれしさ、怒り、楽しみ。喜怒哀楽。どの感情でも、感情が動く。ということが、人を生き生きとさせ、生きている実感を感じさせます。
奥底に眠っている感情を、この音楽は、揺さぶり、起こしたのです。
共感によって。
人はみんな、老い、死んでいきます。どんなに頑張って何かをなしても、希望が潰え、最後には全て手放していかねばならない。成就したり手に入れる望みはもうない、しかし、胸には、誰かを想う気持ちだけは、静かにいつまでも燃えている。
私も改めて感動しました。
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