音楽の喜び フルートとともに

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婦人の指

2023-09-01 21:01:00 | ルネッサンス
オクラができました。
3年連続、筋だらけで失敗。
大きくしようと欲張ったからだめなのか?と早くとってみたりしましたが、それでも筋だらけ。
食べれなくはないですが、残念な食感。

今年はもうオクラはやめた。と、思っていたら、留守の間にオットが植えていました。
「また、あかんのちがう?」と、いったら、「大丈夫。今度はスジ無しのオクラだから。」

そうなのか?と、思いながらセッセと水をやって、ようやく収穫
ピーマンはドンドンなって、ハズレ無しなんだけどなあ!
採れました。
さあどうかな?

さて、オクラは…息子の食べたのは美味しかったそう。
私のは…残念!スジだらけ。
一勝一敗。
初めての一勝!
後一本なっているから、期待できる。

オクラはアフリカ北東部エチオピア原産日本では越冬できないため1年草です。
オクラは英語名で、語源はアフリカガーナのトウィ語のnkramaに由来します。その形状からレディースフィンガー婦人の指とも呼ばれています。

日本に入ってきたのは幕末で、昭和30年代ぐらいになって一般に広く栽培されるようになりました。


レディースフィンガーといえば
この絵
1516年頃描かれたラファエロのラ ヴェラータ


この絵の指の形が美しいとされ、ブロンズィーノのエレオノーラ ディ トレド1543年

指の形を真似ました。
パルミジャーノの長い首の聖母1535年

も指が同じ。
マニエリスムの特徴だそうです。他にもいろいろありますが、
ルネッサンスからバロックまでの間の絵画。
16世紀の絵画を尊敬し、極めようとしてなんだか変になってしまった。
「マニエラ」=手
マンネリという言葉の語源だそうです。

音楽でマニエリスムはいわれていませんが、その頃の作曲といえばアンドレア ガブリエリ(1533?-1585年
ヴェネツィア生没。

聖マルコ大寺院のアドリアン ビラールに師事します。

1557年聖マルコ大寺院


のオルガニストの座を争って敗れたために、ヴェネチア共和国カンナレジオ地区のオルガニストになりました。

1562年ドイツに行き、フランクフルトアンマインとミュンヘンを訪れます。
1566年ようやく聖マルコ大寺院
のオルガニスト

に専任され、終生その地位にありました。

独自の方法の表現を発展させ、次のバロックの音楽用式を部分的に決定づけることになり、
複合唱様式やコンチェルタート様式の発展に多大な影響を及ぼしました。

歴史的に言うと、レバントの海戦における勝利を祝した機会音楽(1571年)その他1585年天正遣欧少年使節の謁見のためにモテット(聖書の言葉を歌詞とする中世の無伴奏多声部合唱曲)を作曲しています。

後半世は教師としても有名になりました。
モテット「大いなる神秘」




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2 コメント

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Unknown (m-fluteangel16)
2023-09-02 07:17:04
@takan32 さん、初めて行かれたのがベニスだったのですね。サン・マルコ寺院も!
私も行きました。100年後には無いと言っておられました。
小さな路地を行くと突然ビバルディの家に行き当たったり。
美しくて、由緒のある街でした。
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ベニス (takan32)
2023-09-01 19:36:06
久米さんへ、最初に観光で海外旅行に行ったのがイタリアのツアーでした。その時、ベニスにも行きました。ゴールデンウィークでした。ゴールデンウィークにヨーロッパに行くと天気がよくて、気温もちょうどいいですね。ベニスのサンマルコ大聖堂にも入りました。
ベニスも地球温暖化の影響が激しく出るところです。海面すれすれの街ですから。今後、海面が上昇すると大変なことになってくるでしょう。
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