日曜日、コンサートの帰りに妹からLINE。
お昼ごはんは一緒に食べて、取り敢えず昨日妹がコストコの惣菜を冷蔵庫に詰め込んで帰ったらしいので、今晩は大丈夫。
久々に明日から通いになります。
ザクセン=ヒルトブルクハウゼ公子ヨーゼフに見出され特別の教育を受けました。
のメンバーとなります。
によって貴族に列せられ、フォン ディッタースドルフという家名が付け加えられました。
母が剪定してて、ホースに足をとられて転倒して頭と、肩打って、右腕が動かないから病院に来てる。
頭は大丈夫だけど、肩は剥離骨折。
救急の先生だったので、明日もう一度連れて行って。
偶然、実家に妹がいてよかった。
って、言うことで朝7時に出発して母を京田辺の病院へ。
整形外科で、レントゲンとCTと診察3時間、脳外で2時間。
頭は大丈夫。肩は手術はしなくていいそう。
三週間ギブスで、そこからリハビリ。
ほっとしたものの。これ…
お昼ごはんは一緒に食べて、取り敢えず昨日妹がコストコの惣菜を冷蔵庫に詰め込んで帰ったらしいので、今晩は大丈夫。
久々に明日から通いになります。
コンサートの夢から一気に覚めた〜😱
その間にMessengerで友達のコントラバス弾きから、「聴き合い会」でディッタースドルフのコントラバス協奏曲を弾けないか?と連絡があり、慌てて調べました。
カール ディッタース フォン ディッタースドルフ(1739〜1799年)
神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン生まれ、神聖ローマ帝国ボヘミア王国ノイホーフ没
神聖ローマ皇帝カール6世の宮廷劇場の衣装デザイナー(刺繍職人)の父親の元に生まれます。
父はカールを幼い頃から音楽の教師をつけ教育しました。
ザクセン=ヒルトブルクハウゼ公子ヨーゼフに見出され特別の教育を受けました。
1761年22歳ウィーンの宮廷歌劇場管弦楽団
のメンバーとなります。
その頃、グルックが楽長をしていました。当時のウィーンの最高の楽団はヨーゼフ公子の楽団でアウアースベルク邸で毎週金曜日の夜に演奏が行われていました。
1763年24歳グルックとともにイタリアを旅行します。
1714-1787年グルック
1765年26歳から1769年30歳の時に
ミハイル ハイドン
(1737-1806年)(フランツ ヨーゼフ ハイドンの弟)
の後を継ぎ、ハンガリーのグロースヴァルダインの司教の楽長を務めます。
の後を継ぎ、ハンガリーのグロースヴァルダインの司教の楽長を務めます。
シレジアの貴族シャフゴチ伯爵
がパトロンとなり、オペラブッファを9曲作曲しています。
ロシア教皇アレクサンデル3世より黄金拍車賞を授与をされます。
オーストリア領シレジアのヨハネスベルク城でシフゴチ家に使えます。
1772年マリア テレジア
によって貴族に列せられ、フォン ディッタースドルフという家名が付け加えられました。
1786年47歳皇帝の命令でオペラ「医師と薬剤師」を作曲します。
当時、すっかりモーツァルトの栄光を奪ったと伝えられています。
1795年56歳パトロンの伯爵が亡くなると年金を受けますが、貧しくボヘミアのロードロータの住居を提供され、そこで残りの人生を家族と共に生活します。
バイオリン演奏の巨匠で、バイオリンの協奏曲もたくさん残しています。
コントラバスと管弦楽のための協奏曲変ホ長調が有名です。
お祈りもありがとうございます。
ありがとうございます。
無理せず、通いたいと思っています。
股関節痛、辛そうですね。お大事になさってくださいね。
母のこと悔いのないようにしたいと思っています。
周りの方をお大事になさってくださいね。
そうですね。自覚はあるようですので、あまり言わないでおこうと思うのですが、剪定などは私達がやるから、やらないで休みの日まで待っててと言っても聞きません😢とうとうこんなことになって、つい剪定はやめてと言ってしまいました。
しかし、待ってられないと、よけいに意地を張ってしまいました。
母は、何年かに1度転けて骨折するようになってきました。気をつけて欲しいのですが…。
3回もお怪我されたのですね。大変だったでしょう!
母はまだ入浴まではいいと言っているのですが、もうそろそろ入れないとと思っています。
2日目くらいまでは痛みがひどかったみたいで、辛そうでしたが、今は元気になってお口もよく回ってきました。
ご心配ありがとうございます。
だいぶ元気になってきました。
平日は毎日行ってますが、土日は姪も来てくれるので助かっています。
できるだけのことはしたいと思っています。
すみますん(^^;;
最後まできちんと読まずにイイね押してました。
お母様はやくお元気になられて普段通り元気に生活できることをお祈りしております。
お母様の痛々しい姿…
でも重症ではなく良かったです。妹さんがいらっしゃる時で不幸中の幸いでしたね。お母様も心強かったことでしょう。
通いでお母様のお世話、母を亡くしている私としては羨ましいです…
くれぐれも無理なさらず、お大事になさってください。
蒸し暑い季節でなくて良かったですね、ギブスをしていると痒くなるみたいですから、私は膝関節痛歩行が でもカート押して犬の散歩に筋肉無くなるのは辛いから努力してます。
親の年にならないとわからない事も多いけど(81)歳になってもあの時もう少し優しくしてやれば良かったと思うことあり どうぞお母様よろしくお願いしますね。
ありがとうございます。
自分を置き換えて!!大変です。
お大事になさってください。
《返信は不要でお願いします。》
骨折は利き手(右)でしょうか?だとしたら尚更のことご不自由ですね。
ご本人が一番よくお分かり(自覚)と思いますので、余りお年の事は言わずにお怪我と心のケアに専念されますように
<返信は不要です>
お怪我されたのはお気毒でしたけど、ギブスで済んだと思えばまだ良かったんじゃないでしょうか。
あとはリハビリがちょっと大変でしょうか。
どうぞお大事になさって下さい。
妻の母は大腿骨骨折で寝たきりとなり、そのまま介護状態となって寿命を縮めてしまったので骨折は心配。
お近くにいらっしゃることだし、さほど遠くない病院の様ですしお母さまも心強いことでしょう。