今日は塚口駅近くのt-raumでハープレッスン。
もう一度t-raumに戻ってヴィオラとフルートの合わせ。
ホフマイスターのヴィオラとフルートのための3つのデュオの中の一曲を
実は1月発表会のあと、二男が骨折し、手術当日とレッスンが重なり泣く泣くキャンセル。
3月は介助とフルートの忙しさにかまけて抜けてしまい、気がつけば4月。
4月21日にカフェでハープアンサンブルを、演奏します。
先生ニッコリ笑って「本番までにもう一度レッスンしましょうね。」
「はぁ〜い!」
今日はその後、金重さんと待ち合わせ。
塚口駅近くの「わらわら」でお刺身定食を食べて、これで1000円。
金重さん、美味しいものを見つけるのうますぎます!
もう一度t-raumに戻ってヴィオラとフルートの合わせ。
ホフマイスターのヴィオラとフルートのための3つのデュオの中の一曲を
6月9日に六甲 里夢で演奏します。
どれにするか?
まだ迷っていたので選曲。
第1番はわかりやすくシンプルな作りです。
第3番は振幅の幅が大きくてドラマティックです。
第2番はヴィオラが難しいらしく却下。
何度か演奏して、今回は第一番に決めました。
フランツ・アントン・ホフマイスター(1754 – 1812年)南西ドイツ(現バーデン=ヴュルテンベルク州)のロッテンブルク・アム・ネッカー生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
14歳で法律を学ぶためウィーンへ行きます。
しかし勉強していくうちに音楽で生きていこうと決め、その広く多様な作品をもってして、1780年代までにウィーンで最も人気のある作曲家の一人となりました。
1785年頃にウィーンの音楽出版ビジネスの先駆けのひとつとして、Artaria and company設立の5年後に次いで事業を設立しました。
ホフマイスターは自作や多くの当時重要な作曲家(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、クレメンティ、アルブレヒツベルガー、ディッタースドルフ、ヴァンハルなど)の作品を出版しました。
これら有名な作曲家たちはホフマイスターの個人的にも親しい仲にありました。
モーツァルトは弦楽四重奏曲第20番
をホフマイスターに捧げ、フルート四重奏曲第4番の変奏曲にホフマイスターの歌曲の主題を使っています。
またベートーヴェンは手紙の中でホフマイスターを“もっとも愛しい兄弟”と綴っています。
ホフマイスターの出版活動は1791年にピークを迎えましたが、その後は作曲活動へとシフトしたようです。
彼のオペラの多くは1790年代はじめに作曲・上演されました。
が、ビジネスセンスの欠如していたのと相まって、作曲数も減っていきました。
ホフマイスターの多様な全作品の中で有名なのはフルートのための作品です。
協奏曲や、フルートが主役の室内楽。
これらの作品の多くはフルートが最も魅力的な楽器と考えた当時ウィーンに多くいたアマチュア音楽家のために作曲されました。
フルートの作品以外に、少なくとも8つのオペラ、50以上の交響曲、多数の協奏曲(少なくとも25曲はフルート協奏曲で、他にヴィオラ協奏曲があります)、多数の室内音楽、ピアノ曲、いくつかの歌曲集などがあります。
「3つのフルートとヴィオラのための協奏的二重奏曲」が作曲された経緯ははっきりしていませんが、1790年自分の出版社から出版された多くの作品の1つとして作曲されています。
第一番
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