7:00出発。1月8日は1年の内で1番日の出が遅い日だそうです。
大阪では7:06日の出。
これからどんどん日の出は早くなってきます。
無事手術終わりました。
右目は真っ赤で眼帯をしているので、鏡を見るとちょっと自分でも引いてしまいますが、よく見えます。
楽譜が見えるように45センチに合わせてもらったので近場はバッチリ。
視力検査は遠いので眼鏡をかけて1.0
それでもだいぶ見えるようになりました。
左目は1月29日。
これはだいぶ期待が持てます。
1週間は安静。目薬、3種を日に4回。
洗顔、洗髪禁止。
多くの方に応援していただいて感激しています。
本当にありがとうございました。
オペラ「ホヴァーンシチナ」(ホヴァーンスキー事件)は1872年
モデスト ムソルグスキー(1839-1881年)ロシア帝国ブスコフ州生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没
によって書き始められました。
1875年第1幕と第2幕を完成させましたが、第3幕の半ばでウラジミール スターソフ(1824-1906年)
に批判され続きは難航しました。
結局第5幕の合唱の手前まで書いたところでムソルグスキーは亡くなります。
そこで旧友リムスキー・コルサコフ(1844-1908年)
が1882年改訂編曲して完成させます。
しかしこの改訂を帝国劇場は赦さず、上演は長らくされませんでした。
リムスキー・コルサコフが亡くなってからマリインスキー劇場で上演されました。
1959年にショスタコーヴィチ(1906-1975年)
がムソルグスキーのピアノ版をもとに忠実に再現しました。
現在ではリムスキー・コルサコフ版は前奏曲「モスクワ河の夜明け」が演奏・録音される程度で、大半はショスタコーヴィチ版が用いられています。
他に1913年ストラヴィンスキー版、
ゲルギエフ版などが、存在します。
れている。
前奏曲
『モスクワ川の夜明け(Рассвет на Москве-реке)
「前奏曲」(Прелюдия)と訳されました、草稿には「序奏」(Вступление)と記されています。
川の小波、鳥のさえずりなど、モスクワの夜明けの美しさが変奏曲の形式で描かれ、続くオペラ本編の人間たちの壮絶な政治闘争の描写と好対照を成しています。
1682年の銃兵隊反乱を描いたコルズーヒンの絵画(1882年)。ピョートル1世のおじイヴァン・ナルイシキンを連行・殺害する銃兵隊、それを嘆く母ナタリヤ・ナルイシキナと幼いピョートル、その横にソフィア・アレクセーエヴナ。
ピョートル(大帝)
がまだ幼いころ、父帝が亡くなり、兄イヴァンとその摂政ソフィアとの家督争いとなっています。
モスクワでは銃兵隊を束ねるホバンスキー公
が摂政のソフィア
にそそのかされて反乱を起こし、ピョートルを陥れようとしていました。
が、ソフィアは力を強めたホバンスキーを嫌い、
部下のゴリツィン公
を使ってホバンスキーを陥れようとする。
ホバンスキーはというと、1人の女(エマ)を親子で取り合ったりしていてのんきにしています。
ホバンスキーの息子アンドレイの元カノのマルファは占い師で、
ホバンスキーは王位を狙っているというデマを流されたためにピョートルにも狙われ、暗殺されます。
ゴリツィンも失脚し流刑の身となる。やがて、旧勢力である古儀式派がすべて粛清されることがわかり、ドシフェイらは殉教する決意をします。
ピョートルの軍が旧勢力を一掃するために近づいてきます。
マルファは絶望しているアンドレイをともなって殉教者らと運命を共にします。
銃兵処刑の朝 スリコフの絵画(1881年)
最後は修道院に立てこもって火を放って全員焼け死にます。
ノヴォデヴィチ女子修道院のソフィア。レーピンの絵画(1879年)。 太った醜女として描かれ、窓外には処刑された銃兵の遺体が見えますムソルグスキー
前奏曲「モスクワ川の夜明け」
無事に手術が終わってよかったですね。
私、モスクワに2019年10月に行きました。
モスクワ川も見ました。モスクワあたりは平原で、その平原の中を流れていました。
(;ΦдΦ)
無事におえられて良かったです!次は左の方ですね、成功する事願ってます🙏
おかげさまで手術成功してよかったです💖
2019年はまだ平和でしたね。
平原に流れるモスクワ川、雄大でしたでしょうね。
ありがとうございます💖
1/29も頑張ります😉👍
ありがとうございます。おかげさまで順調です。
そうですね。情報をどう受け取り、どう使うか?たくさんある中でそれぞれが
これでいいのかな?他の意見を聞いてみよう…みたいなあり方が必要なのでしょうね。