土曜日、伊藤先生のレッスンの後、梅田ドルチェ楽器さんで見せていただきました。
オケゲムの最初の記録はアントウェルペンのノートルダム寺院に残されています。
にムーランで仕えました。
ルイ11世
に士官し、ノートルダム寺院
聖ブノワ寺院にも務めていました。
からカスティーリャ王女イサベル
への求婚の意を託されてイベリア半島を訪れました。
1800年代のゴッドフロイのフルートと、製作会社不明の木管円錐管。
ゴッドフロイはルイ・ロットの義父です。
キーの位置が現代のフルートより狭いです。
管体が軽く、大きな音はしませんが滑らかな吹き心地。
正体不明の円錐管は未調整、ヒビが入っていたのを修理したあとがあるそう、低音のキーがふせぎきらないので音が出にくいですが、まろやかな音色がしました。
円錐管木管のフルートを復刻させようという試みがされていますが、金属のキーはいくらでもできるそうですが、木を加工する技術が失われていて
何年も乾燥させた木の真ん中にまっすぐの穴を開ける時に、木の木目の回転と回転しながら開けるグラインダーとが合わなくてヒビが入って割れてしまうそうです。
古くても無傷の管体さえあれば、円錐管はつくれるそうですが、残っている数が少なくなかなかつくれないそうです。
ヨハネス オケゲム(1410-1497年)
エノー伯領サン ギラン生まれ、フランス王国トゥール没
オケゲムの最初の記録はアントウェルペンのノートルダム寺院に残されています。
1443年〜1444年ノートルダム寺院に務めていました。
1446-1448年 フランスのブルボン公シャルル一世
にムーランで仕えました。
1452年頃パリに移り、フランス宮廷楽長、トゥールのサン・マルタン寺院
の出納方に就任。
シャルル7世
ルイ11世
に士官し、ノートルダム寺院
聖ブノワ寺院にも務めていました。
1470年ギュイエンヌ公シャルル(ルイ11世の弟)
からカスティーリャ王女イサベル
への求婚の意を託されてイベリア半島を訪れました。
ルイ11世が1483年に没してからはオケゲムの所在は不明になります。
ブルッヘ、トゥールを訪ねていて、トゥールで遺言を残していることからすると、おそらくその地で亡くなっただろうと考えられています。生前から「我らの良き父」と人々の尊敬と信頼をえていたオケゲムの死は多くの人々を悲観させました。
オケゲムの「死者のためのミサ曲」は現存する最古のポリフォニックなレクイエムです。いくつかの偽作も混じっています。36声部の「デオ グラディアス」(主に感謝せよ)は他人による作品の見込みが極めて高いですが、真相は分かりません。
オケゲム レクイエム「イントゥリアス」(入祭唱)
アントワープとパリのノートルダム寺院はどちらも入ったことがあります。パリでは夕方にノートルダム寺院に着いて、歩き疲れて、後ろのほうですわって、休憩していました。
吹くとホッとして胸が暖かくなるような音色でした。今でも後悔してます、唯一の木管で、貴重なものとは知らずに売ってしまったことを。
アントワープは行ったことがありませんが、ノートルダムは入りました。
あれが、焼けてしまったなんて信じられませんね。
見ておいてよかったです。
リッタースハウゼンはハンミッヒが修行したところですよ。
私も見たことがないです。
一時でも手にできて良かったですね。