実家のサンシュユ(山茱萸)が咲いていました。
植えっぱなしの球根からムスカリも出てきました。
68年の在位期間、国民の敬愛も深く「国父」と呼ばれています。
1863年着工時の歌劇場。
1869年こけら落とし
1898年
もう暖かいと思ったら、雨が降って気温が下がって肌寒いです。
植えっぱなしの球根からムスカリも出てきました。
ウイーン国立歌劇場が、ウクライナを支持すると同時にロシアの音楽家を国籍で排除しないと言いました。
【人々をその出身に基づいてのみ「良い」または「悪い」に分類する世界観を厳しく拒否します。現在の発展は、国籍のみに基づいて文化的創造から個人を排除することにつながるべきではありません。】(末尾に記事全文を記載)
この劇場は1863年オーストリア=ハンガリー帝国によって着工されました。
フランツ ヨーゼフ一世(1830-1916年)
68年の在位期間、国民の敬愛も深く「国父」と呼ばれています。
彼によって、市庁舎などとともに国の威信をかけてつくられました。
「ウィーン帝立・王立宮廷歌劇場」が前身です。
1863年着工時の歌劇場。
1869年こけら落とし
1898年
コンペによりニルとジッカルツブルクのネオルネッサンス建築が採用されました。
総工費600万グルデン、客席数2324、面積8709平方メートルの大劇場。
こけら落としはモーツァルトの「ドン ジョヴァンニ」でした。
1897年 グスタフ マーラーが総監督になりました。
彼は上演時に客席の照明を落とす慣例を作りました。
オペレッタを初めて上演したのも彼でした。
1945年第二次世界大戦で連合軍の爆撃を受け、舞台と、ホワイエ、舞台衣装15万着が燃えました。
ザルツブルグ音楽祭は、もとはウイーン国立歌劇場で行っていましたが、この時からザルツブルグで行うようになりました。
1955年、カール ベームの「フィデリオ」で再開されました。
現在のウイーン国立歌劇場
ステイタスシンボルなんですね。
歌劇場が誇りなんて素敵ですね。
合理、機能優先の職場選びしそうなのに、それ以上なんですね。
さすが!