![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d7/5184e0dc900c256451375f4a059a8fe0.jpg)
今日は樟蔭のホームカミングデイでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/62/1b707de1d8b7487f1569e0e4747a9e57.jpg?1668945840)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/36/5b5dc5c75f4182c5ded79791ae3dd983.jpg?1668945881)
タイトルの写真は記念館。大正建築です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/20/4183a52dd19350c3609ed066d60131d3.jpg?1668946063)
懐かしい樟古館、なんと昔はマンドリンのクラブハウスとして使っていました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/05/49607e85069eea66de76350793beedc8.jpg?1668946347)
田辺聖子記念館。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/7d/32a288e49d0a2305b4ea5f1964aa026f.jpg?1668946433)
私の卒業写真も袴です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c8/661f6df2af8d86b69b68dfc960a8178d.jpg?1668946911)
交響曲第4番は1831-1833年にかけて作曲されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/48/a324cbb3db91e81b7a96a203bd011dab.jpg?1668960109)
就任式を見て、着想を得たことでこの曲を書き出したことが残された手紙からわかっています。
卒業して初めて行きました。
何週間か前に友だちが声をかけてくれたことで、行く気になりました。
4人で始まる前に近くの喫茶で軽食を食べて、その時点でおしゃべり満開です。
コロナで3年開けなかったそうです。
理事長、現学長、中高校長のご挨拶、中高のダンスクラブの素晴らしいデモンストレーション。
福引で、なんと私たちのグループの2人が4等と特賞に…びっくり!
茅乃舎のだしセットと、ルンバ当たりました。
他にも星野リゾート宿泊券とか、リッツ・カールトンディナー券とかあったのですが、他の人が当たりました。
後は現学舎の見学。
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タイトルの写真は記念館。大正建築です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/20/4183a52dd19350c3609ed066d60131d3.jpg?1668946063)
懐かしい樟古館、なんと昔はマンドリンのクラブハウスとして使っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/05/49607e85069eea66de76350793beedc8.jpg?1668946347)
田辺聖子記念館。
先輩もやはり袴です。宝塚より前のことです。足元は革靴。
大正時代から今も続いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/7d/32a288e49d0a2305b4ea5f1964aa026f.jpg?1668946433)
私の卒業写真も袴です。
なんでこんな暗い顔してるのか?今考えても全くわかりませんが…。
卒業の時のクラッシック音楽で検索するとメンデルスゾーンのイタリアが出てきました。
なぜ?
スカッとするからかも…。
フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847年)
自由都市ハンブルク生まれ、ザクセン王国ライプツィヒ没
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c8/661f6df2af8d86b69b68dfc960a8178d.jpg?1668946911)
交響曲第4番は1831-1833年にかけて作曲されました。
イタリア旅行中に書き始められたために「イタリア」と呼ばれています。
1833年ロンドンでメンデルスゾーン自身の指揮により初演されました。
メンデルスゾーンは裕福なユダヤ人の銀行家の息子、カントにも影響を与えた有名なユダヤ人哲学者の孫として生まれ、音楽だけでなく、画家や哲学者が出入りする家で最高の教育を受けて育ちます。
ゲーテもその中の1人でした。
1825年にはゲーテに霊感を受けて作曲し、「ピアノ四重奏曲op3」はゲーテに献呈しています。
才能のある子どもとして認識されていたメンデルスゾーンですが、1829年バッハの「マタイ受難曲」を編曲。
ベルリン ジンクアカデミーが管弦楽と合唱を務め、彼の指揮で上演。
祖母のベラ ザロモンからバッハの楽譜の草稿を手に入れていたのです。
忘れられた作曲家だったバッハがこのあと復活し、「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と言われ、20歳でメンデルスゾーンの評価が高まります。
続く数年間、メンデルスゾーンは人気の中で演奏旅行にでかけます。
1829年にはイングランド、ウィーン、フィレンツェ、ミラノ、ナポリを旅し、後に「フィンガルの洞窟」「スコットランド交響曲」そして「交響曲第4番イタリア」を書きました。
イタリア旅行でローマでは謝肉祭や教皇グレゴリウス16世の
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/48/a324cbb3db91e81b7a96a203bd011dab.jpg?1668960109)
就任式を見て、着想を得たことでこの曲を書き出したことが残された手紙からわかっています。
が、作曲は中断されています。
1832年ロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲、演奏会用序曲、声楽曲の作曲依頼を受け、作業再開。
フィンガルの洞窟とともにフィルハーモニック協会に提出しています。
初演の後、改訂講が存在しています。
写真を見た瞬間、メンデルスゾーンが頭に響き渡りましたよ!
メンデルスゾーンは大好きな作曲家ですので、興味深く読ませていただきました。
小学6年のピアノの最後の発表会で「ベニスの舟歌」を弾いたので、そのメロディアスな旋律を今!思い出しました♬
昔、ベルリンで彼のお墓も訪ねました。
よく調べもしないで訪ねたので、ベルリンでも活躍してライプツィヒ没と初めて聞いて、繋がりましたよ(*^^*)
貴重なお話をありがとうございました。
交響曲 第4番のイタリアは最初に聞いた時、こんなに明るく、伸びやかな曲があったのか、と思いました。CDを買った時、繰り返し聞いていました。でも、この曲、コンサートで取り上げられて演奏されることが少ないように思います。
でもありがとうございます。
メンデルスゾーンいいですよね!
ベニスの舟歌、そうメロディアスですね。フルートとギターで演奏してもよかったてす。
ベルリンのお墓行かれたのですね。いいなぁ!
あまりとりあげられませんね。なぜかなぁ?不思議ですね。