水曜日は知恩寺手作り市に行きました。
お店は以前の賑わいが戻っていました。
木瓜の花
河津桜が満開。
椿の木の根本に花が落ちて壮観でした。
Gさんと同じ店で買った竹細工。
ろうそくで少しずつ温めながら、曲げていく技ざ。
耳かきは私の耳のサイズを見て選んでくれました。
日本に残っている最初の耳かきは簪に由来するものだそうです。
落語の「耳垢取り屋」が出てくる話によると松竹梅の3つのランクがあり、松は金の耳かき、竹は銀の耳かき、梅は釘の頭というものです。
同じ頃の京都の「耳垢取り唐人越九兵衛」などの名前が見られます。
ドイツで出土した4世紀の耳かき
がモダンチェンバロによる演奏を録音し高く評価されました。
友だちのGさん、Mさんと一緒。
お店は以前の賑わいが戻っていました。
木瓜の花
河津桜が満開。
椿の木の根本に花が落ちて壮観でした。
今回買った手作り品
Gさんと同じ店で買った竹細工。
私のは耳かき。
ものさしの形のバレッタと、孫の手。
ろうそくで少しずつ温めながら、曲げていく技ざ。
耳かきは私の耳のサイズを見て選んでくれました。
小さいです。
煤竹と言って、囲炉裏の釜の上に吊るされて100年経つとこんなふうに飴色になるそうです。
希少傾向で高いらしいですが、これは茶杓をとった端材で作るので安くしてくれています。
耳かきをすると今までの耳かきとは違う極上のかき心地!
日本に残っている最初の耳かきは簪に由来するものだそうです。
これの先をへラ状にしたものが始まりで江戸時代、高橋図南という人物により享保年間に発明されました。
この江戸時代には「耳垢取り」という職業があったそうです。
落語の「耳垢取り屋」が出てくる話によると松竹梅の3つのランクがあり、松は金の耳かき、竹は銀の耳かき、梅は釘の頭というものです。
山東京伝の「骨董集」に貞享ごろの江戸の「耳垢取り紺屋三丁目長官」
同じ頃の京都の「耳垢取り唐人越九兵衛」などの名前が見られます。
正徳版の「老人養草」に「近来京の辻󠄀丶、耳垢取」として紅毛人の形に似せてとあるように、服装は唐人姿でされたそうです。
元禄末、正徳の頃まであった商売だそうです。
ヨーロッパではローマ時代の遺跡から耳かきが出土しています。
ドイツで出土した4世紀の耳かき
しかし研究が少なくよくわかっていません。
骨董品として1800年代のものが出されることがあるそうです。
最近ではASMR(Autonomous Sensory Meridian Response「自律感覚絶頂反応」)
心地よい音として人気がある音の2位に入っているそうです。
ちなみに1位は咀嚼音、3位はスライムを練る音。
これを聴くと、よく眠れるそうです。
動画をいくつか見てみましたが、私はちょっと…。
こちらの方が眠れるかも。
ヨハン セバスチアン バッハ(1685ー1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選定侯領アイゼナハ生まれ、ローマ帝国ザクセン選定侯領ライプチヒ没
が、1741年に出版した「2段の手鍵盤のチェンバロのための変奏曲 BWV 988」(ゴルトベルク変奏曲)は1004巻からなる。グラビーア練習曲集の第4巻、バッハによる表題は「二段鍵盤付き、クラビチェンバロの為のアリアと種々の変奏」となっています。
バッハが音楽を手ほどきした。ヨハン ゴッドリーブ ゴルトベルク(1727ー1756年)ポーランド リトアニア共和国グダニスク生まれ、プロイセン王国ドレステン没
が不眠症に悩むロシア帝国のザクセン大使だったヘルマン カール フォン カイザーリンク伯爵
のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」の俗称で知られています。
伝記作家のヨハン ニコラウス フォルケルが、その出来事から60年後1802年書いています。
「伯爵(カイザーリンク伯爵)はしばしばライプツィヒに立ち寄りゴルトベルクを連れてきて、彼(ゴルトベルク)にバッハの指導を受けさせようとしました。伯爵は病気で夜中に眠れなくなることが頻繁にありました。そういう時、彼の家で暮らしていたゴルトベルクは控えの間で夜を明かし、不眠の主人のために演奏をせねばならなかった。(中略)
ある時伯爵はバッハに向かって次のように言いました。ゴルトベルクのための鍵盤楽曲がいくつか欲しい。自分が眠れない夜に少し元気づけられるような滑らかでいくらか活気のあるものが良いと。」
「バッハは1作品でこの曲ほどに報酬を受け取った楽曲はなかったのではないだろうか?伯爵は100ルイドール金貨を満たした金のゴブレットを授けました。しかし、その千倍であっても
曲の芸術的価値への代価としてはまだ足りないだろう。」
お気づきのようにファルケルはバッハの熱烈なファンで、彼により脚色がされていると思われます。
しかし、ゴルトベルクは14歳という年齢にも関わらず、当時すでにヴィルトゥオーゾ奏者として知られており、ちょうどカイザーリンクに雇用されていた時期にもあたり、彼が作曲したカンタータがバッハのカンタータに類似していることから、場所はライプツィヒで師弟関係もあった可能性も高いと言われています。
ピアノが主流となった時代から20世紀初等まで演奏されることはなくなりましたが、ワンダ ランドフスカ
がモダンチェンバロによる演奏を録音し高く評価されました。
また、グレングールドはレコード会社に反対されながらも、デビュー版にこの曲を選択、1956年にリリースされたピアノ演奏のレコードは世界的な大ヒットとなりました。
この55年版は最後の81年版に比べると、ちょっと普通wな感じがしますが、それでもやはりグールド独自の解釈の塊だと思います。
どちらも甲乙つけがたい、どちらもグールドのバッハという感じです。
楽器を外で聴くのと、施設の中でも異なります。
風の音も、強ければ不安を掻き立てる。
でもそれらが、皆同じでもないのでしょうから、まさに聴覚も原因ありですね。
そういった音を、瞬時に聴き分ける体質の方もおいででしょうね。
グールドのバッハ!
55年も81年版も聴いておられるのですね。時とともに演奏も変わって行きますね。
どんなに素晴らしいオーケストラ、素晴らしい演奏家もいつも同じように演奏できるわけではありませんね。
演奏家の状況もありますが
聴き手の力は大きいと思います。
音楽はコミュニケーションの一部だと思います。
聴衆と演奏家の間に生まれる何か?
動画を紹介していてなんですがぜひ会場で、リアルなコミュニケーション体験をしてほしいと思っています。
特にアナザン・スターさんのような感性のある方には…。
グールド素晴らしいですね。
よく聴いておられるのですね。素晴らしい!