クリスマスイブです。
ピアーズとブリテン
掃除をしなければと思うのですが、今年は脚のせいにして、大掃除はなしです。
それでも年内のゴミの日のことを考えるとそろそろきれいにしなくてはいけないのに…。自分では動けなくてイライラします。
こういう時こそ、音楽を聴いて心を落ち着けなくてはね。
ベンジャミン・ブリテン(1913-1976年)イギリス ロンドン生まれ、イギリス、オールドバラ没
歯科医の父ロバートとソプラノ歌手の母イーディスの間に生まれました。
7歳でピアノを学び、ヴィオラを習っています。
5歳で歌曲、7歳でピアノ曲を9歳で弦楽四重奏曲を完成させています。
1924年音楽祭でフランツ ブリッジ
フランツ ブリッジ1879年~1941年
の交響曲「海」を聴いて感動し終演後ブリッジにあいます。
の交響曲「海」を聴いて感動し終演後ブリッジにあいます。
ブリッジはロンドンの自宅にブリテンを招き個人指導を4年間に渡って行っています。
1930年ロンドンの王立音楽大学に奨学金を得て入学し、多くの曲を作曲しています。
1934年卒業すると直前に父が亡くなったこともあり、GDPフィルムユニット社(イギリス郵政局映画部)に就職します。
ここではウィスタン ヒュー オーデンと出会い、映画作品に彼の詩による曲を作っています。
1937年、「フランク ブリッジの主題による変奏曲」を作曲、ザルツブルク音楽祭で初演し、出世作になります。
ここで生涯の友となるピーター ピアーと出会います。
ピアーズとブリテン
1939年第二次世界大戦勃発にイギリスが参戦し、プリテンはピアーズとアメリカに渡ります。
2年半アメリカニューヨークで活動します。
1940年日本政府の皇紀2600年奉祝曲をイギリス政府からの依頼で「シンフォニア ダ レクイエム」を作曲しますが、内容が祝典にふさわしくないと日本政府は上演を拒否します。
1942年イギリスに帰国しますが、その船の中で「キャロルの祭典」作品28を書き上げます。
「7つのクリスマス キャロル」として作曲され(昔から伝わるキャロルの編曲)その年の12月、ノリッジ城図書館で初演されました。
その後いくつかの曲を変更、追加して1943年「キャロルの祭典」として出版しています。
なお、帰国した彼は「良心的な゙理由からの兵役拒否」を公的に認められています。
「キャロルの祭典」
1. 入堂 Procession
2. 主の降誕を歓迎! Wolcum Yole!
3. そのようなバラはない There is no Rose
4a. あの幼児が That yonge child
4b. 子守り歌 Balulalow
5. 四月の露のように As dew in Aprile
6. この赤子が This little Babe - 聖Robert Southwell, 1595
7. 間奏曲 Interlude - ハープ独奏
8. 凍りつく冬の夜に In Freezing Winter Night - 聖Robert Southwell, 1595
9. 春のキャロル Spring Carol
10. 神に感謝 Deo Gracias
11. 退堂 Recession
marimariです。
脚のことが書かれていたので、遡って記事拝見したら、大変でしたね。
車止め…私も何回か躓いて転んだことありますが、膝が折れている…
年末なのに、何かと不便なことと思いますが、できるだけ安静にしていてくださいね。
くれぐれもお大事にしてください!
先日、久しぶりに孫のフルートの音色を聴きました。やはり心癒される音色ですね。
車止めに…結構私もころんだという人が声をかけてくださいました。
骨折まではなかなかいませんが😅💦
ご心配ありがとうございます。
大事にしますね🙏
フルート聴きに行かれたのですね。ありがとうございます。
お金は払ったみたいですが…。
戦争になると文化が抑圧されて嫌ですね。