音楽の喜び フルートとともに

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音楽であそぼう!7月

2009-07-11 21:02:45 | 音楽で遊ぼう

今日は、この地域では盆踊りの練習日。7月の3週目の土曜の校区祭りを皮切りに、怒涛の夏祭り。校区で、4つ。駅前の商店街の祭りも含めると5つ。子どもたちには楽しいイベントが続きます。・・・PTAしてたときは、毎週パトロール。大変でした。
ふれあいでも、子ども達は盆踊りの練習をします。今日の
音楽であそぼうは、盆踊りの練習の合間にありました。

「浜辺の歌」野田暉行さんの編曲。今年から、枚方市の小学校にも、クーラーがついて、快適です。音楽であそぼう!も初めてクーラーを使いました。窓を閉めると音が響いて、いい感じです。

「夏って聴くとどんなことが思い浮かぶ?」
「海、プール、すいか、へちま、あさがお、なす、きゅうり、トマト、七夕、おりひめひこぼし、天の川、星、ほうせんか」

いろんな夏が出ました。

「今日は、うみをベルでします。うみっていう歌を知ってる?」
「うみはひろいな おおきいな
月はのぼるし 日が沈む

うみはおおなみ あおいなみ
ゆれて どこまで つづくやら

うみにおふねをうかばして
行ってみたいな よそのくに」作詞・林 柳波 作曲・井上武士

この歌は、1年生も歌えました。2番3番はちょっと歌詞がうろ覚えだったので、黒板に書きました。

大きくなって一緒に歌える歌がないという要望に答え、教育指導要領で何曲かは、共通に教えなくてはいけないと言う唱歌がありますが、その曲の一つがこの「うみ」です。1941年に政府が子どもにも、戦意高揚を狙って歌を作り教えましたが、子どもの曲だったためか、「日が沈む」と言う表現があっても検閲を通り、意に反して穏やかな曲となっています。私は「うかばして」と子どもの頃に歌った気がしていましたら、その通りで、1980年に「うかばせて」に改訂されたそうです。今でも、詩の意図を薄める、改悪であったと言う意見があるそうです。

ベルで演奏した後、木琴や、鉄琴で演奏しました。今日の子ども達は、じっくり型で、初めて触ったマリンバや、鉄琴で何度も何度も、納得いくまで、練習しました。

途中で、マリンバの下についているパイプの長さが違うことに気づいて、低音の方が長いことを発見しました。マレットが何種類かあってマレットの大きさを変えても音が変ることも発見。
「音が変った。」
「不思議だねぇ。」
「うん、不思議だなぁ。」
「おもしろいねぇ。」
「おもしろいなぁ。」

毎回、来てくれる子ども達によって、注目点や、集中の仕方が変るので、私達にも、毎回違う発見があっておもしろいです。


ゆるす

2009-07-10 22:43:46 | 子ども

朝、母を覗きに行くと、痛み止めを飲んで、まだ立てませんが、結構元気でいました。手術直後は痛みでひどい状態だったらしいです。左の膝小僧が割れて、ずれたので、膝の真中を切って、ワイヤーでとめたらしい・・・レントゲン写真の写しを見せてくれました。滅多に見られない・・・写真をとってしまいました。

惜しいことに全身麻酔で、術中の記憶はありませんが、前後の様子を、看護婦さんやお医者さんの対応、外で待っていた父の様子、もろもろ詳しく話してくれました。聴いていると、母はいつもの世間話をしているのと同じ、楽しそうで、私も安心しました。

昼から仕事。1年の男子数人がもめていました。
「Aちゃんがやったからや。謝らんかったし。」
「Aちゃんが最初にやったから、Bちゃんがやり返した。Aちゃんが悪い。」
「やられたら、やり返すのっていいのかな?」
「いい。殺す。」
「殺したら、自分はどうなるの?」
「自分も死ぬからいい。殺す。」
「二人が死んだら、先生は悲しいよ。そんな風になって欲しくないよ。絶対」

8日の朝日新聞に柳田邦夫さんとドナルド・クレイビルさんの対談記事が載っていました。語る会でこれをテーマに話しました。
アーミッシュ学校銃撃事件。2006年10月ペンシルバニアのアーミッシュの学校に32歳の男が侵入し、7歳から13歳までの女児5人を殺害、5人に重症を負わせ、自殺しました。事件直後、何人かのアーミッシュが男の家族をたずね、男を赦すといい、葬儀にも参列し、被害者の家族の何人かは娘の葬儀に男の家族を招き、数週間後には、双方の家族が一堂に会して悲しみを分かち合いました。

「報復」支配の時代に、アーミッシュのゆるすと言う行為に大変驚いたという柳田さん。クレイビルさんは、ゆるし(for givness)は、痛みを心の中から追い出し、報復行為をすべてあきらめる。という二つの段階からなっているといいます。いずれも苦しい作業ですが、被害者にとって利益があり、幸せな気持ちになれ、血圧も下がるそうです。

私は、葬儀に加害者の家族を招いたり、赦すということを言ったりすることは、何とかできるかもしれない。しかし、赦すというのは、一生続く作業だと思います。死ぬまで、赦し続けるということ。日々の生活の中で、赦し続ける。そこまでの自信が無いと思いました。そして一人、行くことができるかもしれないけれど、人々と繋がったり、社会的な動きになるようなことは出来ないかもしれないと思いました。

すると、「それは、ゆるしているのではなく、それが良いことだからしているだけで、自分の優位性、優越感を満たすためにしていることでは無いの?赦すと言う行為の「影響力」を見れば、続けられるよ。」

「ゆるす」と言うことで、母から聞いた家族のエピソードを思いだしました。昔、叔父が自転車を盗まれました。残念がるみんなをまえに「よかったよ。もっと、必要とする人のところへ、いったのだから。」と叔父は言ったそうです。私は、叔父の言葉に感動しましたが、母が「本当に、あの子はあほや。」と、最後に付け加えました。
この話をすると、「自分の深い感動よりも、母との関係性の方をとったんだね。だから、こういうできごとは人とは分かち合うものではなくて、一人心の中ですることになっていたんだね。」

また、一つ、自分の無意識に選びがちな癖が発覚しました。こういう鎖を解いていくことで少しですが、不可能だと、思えていたことが可能だと思えるようになってきました。子ども達のために、何より自分の幸福のために、美しい行為を選べるようになるには、一つづつ。まだまだこの作業、続けたいと思います。


スーパー主婦

2009-07-10 00:14:21 | Weblog

きゅうりと万願寺、Mさん、Tさんからのおすそ分け。今日はGさんから淡路の味付け海苔も頂きました。
きゅうりはMさんが庭で収穫し立て、この花、ブツブツの生き生きとしたこと今夜の夕食はとても豊かでした。ご近所さんの暖かい愛情に包まれて生きている私です。

Mさん宅でドレスの最終(たぶん)合わせ。とっても良いです。
「胸元にハギレでコサージュをつけたら」「それなら、Gさん」ということで、電話。このグループは手作り大好きグループなのですぐ、得意分野の人が思い浮かびます。
Gさんは手でチクチク縫いのものなら、なんでもかわいく仕上げてしまいます。ぬいぐるみ、フェルトの小物。
なんだか嬉しくなってきました。私が大好きな友人たちに作ってもらったものを着て、演奏できるなんて。
ホントに楽しみです。
今日は、しまった!写真をまた忘れてしまった
Mさんはおいしいバターケーキと、チョコとバターのマーブルケーキを作っていてくれていました。おいしく頂きながら、手を動かしながら、3人で、おしゃべり。

家事をほぼ完璧にこなしながら、このキャパ、私はMさんをひそかに「スーパー主婦」と名づけています。
有能なGさんは、手作りだけでなく、地域活動のプロ。主婦にしておくにはホントもったいない。今は、やめてしまいましたが実際、耳鼻科にパートに出たら、あっという間に専属契約。
この二人の生き方から、いつも刺激をもらいます。

今日も、楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。


骨折とレッスン

2009-07-08 22:09:07 | 音楽

ポーチュラカの花壇。派手な美しさは無いですが、愛らしい花です。

昨夜、珍しく母から電話があったので、何事かと出てみると、家で転倒して、膝の骨を折り、明日朝10時に入院して、手術に備えなければならない。同居の妹は仕事。父は目の術前検査。明日誰もいないから、病院まで送ってくれないか?というものでした。

朝、レッスンに行く前に自宅から、車で30分ほどの実家に行って、母を送り、そこからさらに病院へ。
受付を済ませて、レッスンのために梅田へ。
膝から先をギブスで固定した母は、足以外は元気。特にお口は元気で、お稽古先の生徒さんの手配、先生の会費、あちこちへのお知らせ、病室で書いて、帰るまであちこち、手配。
入院は最短で1週間。その後、リハビリだそうですが、入院でもしなければ、じっとしていない母に神様がくれた休養かも。10年に1回位こういうことがあります。

レッスンはフォルテの音量をだす。
ffを表現するためには、身体を緩めること、しかし完全に脱力するのではなく、下腹を膨らませながら息を吐く。単に強い音という意味ではなく、充実した音。いのちある音で演奏すること。ヴィヴラートを掛けるのも良い。

S先生によると、世界中の演奏家は二つに分けられるそうです。一つは、いのちのある音を追求する人たち、もう一つはまあ、それは置いておいて、指が回ることでよしとするタイプ。そして、いつもメジャーで人気があって人数が多いのは、後者のほうだそうです。

良い音は間近で聴くと、小さくて聞こえない。でも、遠鳴りがする。
モイーズ先生の音もそうだったそうです。

先生方が追求してきた「いのちのある音」
少しでも近づきたいものです。


生命のある音

2009-07-07 23:13:02 | 音楽

ポーチュラカ(ハナスベリヒユ)は公園の、植え込みに植えられていました。小さな、かわいい花は園芸品種というより、スベリヒユという雑草に近い感じがして、可憐です。

フルートの神様、マルセル・モイーズ先生はソノリテの中で、「生命ある音で演奏すること」と書いています。

仰向けになって演奏して、起きて演奏したものを録音して、聴き比べてみると、全く別人が吹いたのかと思うほど違います。

演奏する時には、リラックスした方が良い、脱力と柔軟。呼吸は腹式呼吸。と言うことは、誰でも学んでいることだと思いますが、さてそれを実践するのは中々大変。
立って、細かい音符を読みながら、楽器を構え、左右非対称の不自然な体の形で演奏します。息はまっすぐではなく少し下に向けて吹き、息の4分の1は外に向かって出て行ってしまいます。

結局のところ、どんな細かい操作や技術を積み上げても、「生命のある音」で演奏できなければ、惜しい演奏にしかならないということがわかってきました。

誰が一番柔らかい身体をもっているか?と考えてみると、赤ちゃん以上に柔らかい体を持っているヒトはいません。そして、誰しも赤ちゃんの時には柔らかい身体を持っていました。だから、思い出しさえすればいいのです。

安心して、すべての体の器官が、世界中に開かれていた時代。五感、すべてを使って世界を知ろうとしていた時代。意識は忘れていても脳は覚えているはず。

遺伝子は生命が生まれてからすべての生物の記憶を、私達の細胞の中に保っているそうです。
一つの鎖が切れても、今いる私の存在は無い。人になってからでも1000人以上の、遺伝子が記憶されているということです。
どんな大天才でも、脳の10%しか使わずに死んでいくそうです。それならば、誰でも、もっと、よりよく動いたり、感じたりする可能性がある・・・もちろん、私にも。

では何が、その能力を生かすことを妨げているのか?

私達は、みんな子どもの頃、大人に守られて育ってきました。その過程で、無知でいたり、無力でいた方が得なことがあると言うことを学んできました。争いを避けるためだったり、自分の命を守るためだったり。そのときは間違っていなかった選択は、もう必要の無い今この時にも、私を縛って解き放たない。
フロムがいう「自由からの逃走」とはこのことなのでしょうか?

過去を振り返って嘆くことはありません。誰でもみんなそういう部分を持っているから、後、1%でも、必要な時に選択できれば、かなり自由に動く心や身体をえることができるはず。もうすでに、私達は今ここに、生きているだけで奇跡の存在なのですから。


ゴセックのガボット

2009-07-06 22:44:15 | ロマン派

夏の花梨。緑の実と、大きな葉が涼しげです。

フルートでよく演奏される「ガボット」の作曲者、フランソワ・ジョセフ・ゴセック(Francois Joseph Gossec)1734年~1829年は、フランス交響曲の父と呼ばれています。

実はオーストリア領ネーデルランド、現在のベルギー出身で、17歳の時にパリに出てきて以来、フランスで活躍しました。たくさんの作品を残し、創立したばかりのパリ音楽院でも活躍しました。しかし同時代人2歳上にハイドンがいて、彼の影に功績は隠れてしまいました。

「ガボット」は歌劇「ロジーヌ」(1786年)の中の一曲で、今ではいろいろな楽器で演奏されています。
その題名は、フランスの一地方
ガヴォ(Gavot)で踊られていたフォークダンスのリズムから来ています。4分の4拍子か2分の2拍子、中庸の速さ、小節の途中、アウフタクトからはじまるという特徴を持っています。
この時代大変流行しました。


1mm

2009-07-05 22:48:53 | 音楽

朝、夫と息子が近所の公園に置いたトラップを見に行くというので、散歩がてら、写真を撮ろうと着いて行きました。トラップの目的はもちろんクワガタ。・・・がしかし、仕掛けたスイカは蟻の山。写真をお見せするのはやめときます。替わりに近所の保育園のフェンスにみつけた、ど根性かぼちゃ。植物の生命力には感服します。「どうやって収穫するんだろう?」なんて考えてはいけません。

今日は、朝の散歩の後は一日練習…すればするほど、ドツボに入っていくような気がします。
仰向けに寝て吹くと、ふけないフレーズはなく、音も太く芯のある音がします。しかし、立った途端に音が痩せます。
今日は、寝て吹いた時と、立って吹いたときと「何処が違うのか?」を部分部分に分けてみていくことにしました。
まず唇は?寝てると、横に引く力がほとんどかかっていません。口の中は喉頭が高く上がり、のどの奥が自然に広がっています。音を変えて吹くときには、息の方向をホンノ少し変えるだけで、筋肉を大きく動かさなくても柔らかく、敏感に変っていきます。首の後ろは触ってみると柔らかいです。肩甲骨や、腹、足、膝、指は多少大胆に動かしても、ロングトーン
は微動だにしません。

立って吹くと、唇を横にぎゅっとひき、口の中は喉頭が低くなり、のどの奥が狭くなっています。首の後ろは固く、他の部分を動かすと、音が変化するような気がして、ある一定の基本の形で固めてしまっています。

脱力、柔軟であることは大切だし、ずっと心がけてきてはいますが、寝て吹く時ほど、立っている時は筋肉が柔らかくないことがわかってきました。

短いフレーズで区切って、同じ状態で演奏できているかどうかを何度も確かめます。
難しいけれど、段々近づいてきました。早いフレーズはまだまだですが、ゆっくりしたフレーズなら固めずにふけるようになって来ました。

体で言えば、骨や床が自分を支えていることを感じる。
心で言えば、人は一人で生きているのではない、いろんな人、世界に支えられて、今の自分があることを感謝しながら演奏する。

まだまだ、一人でがんばっているつもりの意固地な私があるようです。1mmづつ、積み上げるしかない。1㎜でも昨日より、進めたことに感謝。


骨の動き

2009-07-04 23:53:36 | 音楽
私立高校の長男は土曜日は普通に登校日。私は朝STEPフォローセミナーを受講、午後は自宅でフルート自主練習。夫と次男は山城方面のとある里山にくわがた採りに。またまたシーズン到来です。夕方帰ってくると「よかったでぇ。ミヤマとのこチンが、おった。大量のすずめ蜂。怖かったで~」と帰るなり、採集したノコギリくわがたのお世話に親子で嬉々として取り掛かります。写真はミヤマクワガタ、これはお世話が大変だそうでお山に置いてきたそうです。古代を感じさせるミヤマは、効率の悪い大きな体と、幼虫は柳の木に住むので、繁殖が難しく、年々数が減っているくわがたです。

今日は5時間位練習できてよかったです。
水曜のワーク以来、立った時に骨が、どう動いているかをずっと意識しています。
足の裏から甲、くるぶし、ひざに向かって一つづつ、足の骨が下から積み上がっているその上に体が支えられていて、一つ抜けていても立てないです。
しかし、意識するって難しい。座って、坐骨をさわって、動かすといいのだから、立った時に同じように足を床にぐりぐりとこすりつけるようにして、立ってみると骨が意識できるかもしれない…やってみると、これはつかえます。骨で身体を支えれば、筋肉を一生懸命固めて支えなくても大丈夫になるので、筋肉の力が抜けて音が変ります。

魚、両生類、動物と4つ足で立つところまでは、生物は経験があるけれど、2本の足で立つことに関して、骨盤や、内臓すべての体の器官は、初めての領域にヒトは踏みだしました。ここから先は一人一人が、それぞれの経験から学んでいくしかないのです。と言う話を聴いてきて、いろいろ自己流で実験中です。

明日は、これを進めて、腕と、肩甲骨の動きをもう少し研究してみたいと思います。

昨日見つけた三点支持の密着面を意識することも引き続き実験中。
この固定しなければいけないとされてきたポイントは、多少動かしても楽器を支持できることに気がつきました。もともと右手の小指の4つのキー、AISレバーを押さえる時に、親指を少しうごかさなければ、押さえられないキーがあるのですから、この発見はとても便利。10倍くらい効率がよくなりました。



録音

2009-07-03 22:58:12 | 音楽

夜、Sさんと音楽で遊ぼうの打ち合わせ。夏にふさわしい曲、野田暉行さん編曲の「浜辺の歌」を合わせてみるとやっぱり美しい。いろんな人が編曲しているけれど、野田さんの編曲をやってみると、もう他の編曲では物足りない。他の人もそのようで、この曲集は増刷を重ねています。
7月はこれで行こう!

otakaのコンチェルトを打合せが終わってから、最後に合わせて録音。
前回、ボイストレックのステレオマイクを忘れて、録音を決行したら、和音を弾いたら「ボッ」、単音「ポポン、ポポン」と鼓のような音。フルートは音がやせて情けない。
残響が少なく至近距離、家庭の防音室での録音にはマイクがないとだめ。ということがわかりました。

機械のことはよくわからないですが、ボイストレックで録音したらwma方式になり、Ituneに入れたら、変換されてmpeg4になります。すると、8MB位のが、27MB位のファイルになって、音質がとてもよくなります。
演奏した以上にはなりませんが。とっても不思議です。

otakaは聴いてみると、一楽章は私が慌てすぎてバタバタ。二楽章は落ち着いたものの、三楽章は8分の7拍子が甘い。リズム感が課題です。

よく見える鏡を覗くと、しみやしわが見えて嫌になりますが、夢や希望ではなく、今の等身大の自分を知ると背筋がピンと伸びるような気がします。録音を聴くことは鏡を覗くことと同じ。
音を客観的に聴いてみると、まずいところがいろいろあることがわかります。ぞっとするけれど、それも自分。ありがたいことに演奏は変えていくことができます。まずいところに向き合えば、必ず解決の糸口は見えてきます。音楽は生もの、取り組み続けること、前進し続けることこそが、音楽だと思うこの頃です。





ヘルマンハープと限界に挑戦

2009-07-02 22:08:49 | 音楽

ルドベキア、原種はアフリカ、大反魂草(オオハンゴンソウ)の園芸品種だそうです。オオハンゴンソウは指定植物で勝手に取ったり植えたりできません。世界中から国境を越えて集まってくる植物に垣根を作るのは難しいようです。

今日は午前中、お久しぶり、ヘルマンハープ「星のパレット」とアンサンブル。

久しぶりのアルルの女と、カヴァレリア・ルスティカーナ。
いつもながら朝一、音の出が悪いです。特にアルルの女はフルートの名曲ですが、音程を取るのが大変難しい曲です。充分なアンブシャーの柔軟性がないと、首を絞められたよう音が出てしまいます。
ハープ3台の真中にレコーダーを置いて、フルートはその輪の外に立って吹いてみましたが、録音を聴いたらぼーっとした音程の悪いフルートに、元気良すぎて行進曲のようなハープのアルペジオ・・・これはもっと研究しなくては
残響が残りすぎて、一部和音がにごって聞こえるところがあります。
耳の良いくるみさんが「間違ってんのかな?」結局、くるみさんのパート、音の数を減らして、前の音を消音することにしました。すると、音数は減ったのに良い感じ。ヘルマンハープってこういう引き算をしないといけない楽器だったんだと、また新たな発見

カヴァレリアは、「ハープの対旋律をもっと歌っぽく聞こえたらいいのに。」と言う私の無茶なお願いに、まいさんが新奏法を開発。タッチを変えたら、音が激変。まろやかに。しっとりと変化しました。
ヘルマンハープは、新しく誰でも弾けるようにと開発された楽器で、奏法もニュアンスもまだまだどれだけの表現の幅があるかも確立されていない楽器です。今日聞いたハープの音はまだ誰も聴いたことの無い音です。
録音を聴いたら、アルルの女のアルペジオ、対旋律もこの奏法で弾いたらよいような気がしました。

イタリア音楽のルバートと戻しをみんなに伝えたいけれど、中々伝わらない。「指揮しても良いかな?」とついに提案してしまいました。
とはいっても、ハープは伴奏だけだし、旋律は必要。フルートを吹きながら揺らしてもいいけれど見て判断するのが難しそう。結局フルート吹きながら、足でトントンリズムを刻んで、一緒に弾いてもらいました。
すると、一発でクリア。

しかし、「ハープは五線の楽譜じゃないから、音の波や全体の進行がつかみにくくて、今は覚えてるけれど、今度またやってみたら、できないかもしれない。」と言うぴよさんの意見。
ホント、そう思います。小節線もないのによく弾けると思います。しかも、ハープも弾けないド素人から注文はどんどん言いたい放題・・・私のことか。

でも、月に行って帰ったくらい違うから 使わないのはもったいない。また、いろいろ実験しましょう。