音楽の喜び フルートとともに

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BとAisの運指と音の違い

2009-07-21 20:53:44 | 音楽

うちになったスダチの実。今年はこれ一つ。アゲハの幼虫のために息子が買ったスダチの木なので、虫が優先。幼虫を獲ったら息子に叱られます。小さな鉢にピーク時は6匹の幼虫に占拠されていました。よく残ったなぁ

ヒンデミット8ピースと格闘中です。もう2ヶ月もやっているのに、はかばかしくないです。

奇妙なリズム、調性。嫌いな人とつきあうのは大変です。

「境界線がないと、一致した時しか付き合えない。嫌いな人とだけではなく、付き合えていると思っている人とだって、本当に付き合えてないのかもしれないよ。」と2ヶ月前に言われたことをまた、思い出しました。

人はいろんな面を持っていて、誰一人完全に一致する事などあり得ない。ちゃんと境界線が引けていれば、意見があっても合わなくても、「この人は、こういうときにこう思うんだ。すばらしい。」と思えるはず…。

そうか、ちゃんと向き合えていなかったかもしれない。自分で演奏していてもいいのやら、悪いのやらわからなくなってきたので、何度も録音しては聴いてみると、音の動きに、自分の身体や呼吸がついていっていないことがわかってきました。
形にしようと、無理に吹き込んだり、テンポを作ったりするので、ギクシャクして吹いてても疲れてしまいます。
ちょっと落ち着いて、ゆっくり、ヒンデミットに任せる。音に耳を傾けることにしました。すると、うまくいかなかったところがなぜなのかわかってきました。

同じ音である、B
とAisをヒンデミットは短い小節の中で書き分けています。
先生によって、音程が正確なブリジアルキーを使い、少し音程の低いFキーは使わないように、と言われています。私もその意見を採用してどんな時でも、ブリジアルキーかAisレバーを使っていましたが、何箇所かそれでないほうがいいような気がしてきました。

レガートでブリジアルキーを動かすと、親指をずらすために、どうしても音の変わり目が少し曖昧になってしまいます。Fキーは音程が低いので、Aisレバーが適切ではないかと思います。

また、HからBへの移動は、音の変り感をはっきりだすために、少し低めのFキー。
逆に上昇音の中にBが入っている場合はAisレバーを使ったほうが、音の上がり感がでやすいです。
そうやって、8曲を見直すと、結構、無造作にブリジアルキーを使っているために音の形がぼやけているところがたくさんあることがわかってきました。

何度も練習して、キーの違いもわかっているはずなのに、好みでないという理由で、通り一辺の練習しか出来ていなかったこともわかってきましたもっと真面目にやろう。今日は反省デイでした。


演歌の花道

2009-07-20 20:29:07 | 音楽

季節のゼリーと書きたかったのかな?台湾土産の「季のゼソー」ライチのゼリー。味はライチの味を閉じ込めて、上品な甘みで絶品です。
台湾の三越に売っていたそうです。「日本人が英語をかっこいいと思って、いろんなところに使っているのと同じような感覚で、台湾の人たちは日本語を使ってくれているみたいだよ。」と夫。そういわれて見れば、私達もずいぶん変な外国語を使っています。英語だけでなく、古くから、韓国語、中国語、オランダ語、スペイン語、フランス語、イタリア語…etc. 
興味を持ってもらえるのはありがたいことです。台湾の人たちとの垣根はどんどん低くなっているようです。 

今日は、父のパソコンに一太郎を入れてワードを動くようにしました。父は引退して、カラオケが趣味です。現役の時は仕事一筋、覚える時間も無く、好きな歌を一曲もまともに歌えませんでした。その父は、演歌の故郷や、背景を調べては、ワードで打ち込み、印刷してカラオケ仲間に配っています。カラオケと言っても、市後援の老人会の主宰で、週一回公民館でお酒も飲まずに、歌っています。

パソコンが壊れて、ワープロで打ちフロッピーに保存していたせいで、新しいパソコンではデータを再生できません。今度父にブログデビューしてもらおうと思っています。ネットに保存していれば、パソコンが壊れても安心。今は、母の入院で「忙しくて暇が無い」と言っていますが・・・。
ブログ提案したら、まんざらでもない様子。「演歌の花道」・・・音楽の楽しみ方は、たくさんあります。




影響力

2009-07-19 20:28:06 | 音楽

台湾から帰った夫と、次男と一緒に母のお見舞いに、行ってきました。リハビリは長くかかりそう。1週間で退院ときいていたのに、膝が曲がるまで変えれないそうです。「120度には曲がるように手術しといた。」と医師には言われたそうですが、リハビリの先生には「90度まで曲がるようにしましょう。」と言われたそうです。いずれにしろじっとはしていられない性質の母は、座って習ったリハビリの動きをゆっくりしていました。

母は今朝リハビリの間に来た父の置き手紙を見せてくれました。30年間英語の教師をしていた父は、後2日で80歳。英文交じりの手紙の文末に 「yours Kiyosi」
「結婚は忍耐や。」と言うのが口癖の父。これを聴くたび、「母の方が忍耐だわ。」と思っていた私ですが、これを読んで、父なりに母を大切にしているのかもしれないとうれしく思いました。
夫は「慣用句だよ。」とクールに言うので、「私が入院したら、毎日来て、こんな手紙書ける?」と言うと無言。手紙など書きそうに無い夫です。

「影響力」というのが、今週の私の課題でした。
赦すということの影響力。言葉の影響力。ただ、黙って見守ることの影響力。顔を見に行くことの影響力。
音楽の影響力。

替わりに何かをやってあげたり、やらせたりということではなく、相手の選択を信じながら、見守ることとか。

楽器を直接鳴らしてその場で聞こえる音だけでなく、壁や、部屋、人の自由に選ぶことの出来る心に伝わっていくことの影響力を信じて、見守る。祈リのような。まだ、はっきりと言葉にはなりませんが。
無理矢理吹き込んで、鳴らそうとするのではなく、外にある力を信じるというような。

まだまだ、形にはなりませんが、この先に何かあるような気がします。


ヘルマンハープと録音デイ

2009-07-18 22:33:44 | 音楽
マリーゴールド、千寿菊、孔雀草、山椒菊いろんな美しい名前がついています。菊科の植物に対する人々の思いの深さがわかります。こんな小さな花にまでいろんな呼び名があるなんて。
謡曲「菊慈童」では、中国魏の王の前に、現れた子どもが菊慈童と名乗り、700年前に周の時代(実際には1200年)の王に仕えたと言います。菊は切花にしても長持ちし、不老不死の象徴として尊ばれて来た歴史があるようです。

ヘルマンハープ「星のパレット」とアンサンブルデイ。
ブログ「音のしっぽ」のぴよさん宅で、録音しながら、自分達の音がどのように響くのか確かめました。
曲は「アルルの女のメヌエット」と「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」にしぼり、並び方、レコーダーを棚に置いたり、電球につるしたり、いろいろ試しながら練習しました。

グランドピアノのある、防音室はタイルカーペットが貼ってあり、フルートの残響が吸収されてほとんど残りません。ハープは反響板が楽器についているのに消音装置がないので、残響が長過ぎて時に困るけれど、音量はフルートに比べて小さい。
フルートは小さい音のような印象がありますが、近代オーケストラとともに成長して来た楽器で大きなホールで演奏したときに遠鳴りして、最高の状態で聞けるように作られています。それを日本家屋で至近距離で録音するのは、結構無理があります。

いろいろ試した結果、今日のベストはせっかくの防音室のドアを開けて、フルートだけ天井の高い玄関に通じる廊下に出て、部屋の外から吹きました。それも、部屋の真中の照明、ハープ3台の真上にレコーダーを吊るして。それでも、フルートはビンビン響いて、うるさかったかもしれません。

お客様の前で演奏するには、これだけの音量の差があると言うことを考えて、立ち位置などよほど工夫しなくてはならないことがわかりました。聴いてもらう時は自己満足では、いけないなと言うことも。こうやって、客観的な視点で自分達の演奏を聴くということが必要だとおもいました。

奴隷

2009-07-17 21:50:58 | 子ども

この花はよく見ていたけれど、「藪枯らし(ヤブカラシ)」という名前は初めて知りました。どんな木でも這い登って陽をさえぎり、枯らしてしまうからだそうです。別名貧乏蔓(ビンボウカズラ)ひどい名前。身近なものにひどい名前をつけることはよくあります。へクソカズラ、ベンジョムシ、ゴミムシ・・・親しいものにこそ、尊敬と信頼の気持ちを表したいものですが、現実はなかなか難しいようです。

3年生のAくんとBくんは「カラスや!カラスや!」校庭に来たカラスに水をかけようと、出してはいけない水栓をあけて学校の芝生用のホースで実際には自分達に水をかけあっています。
止めに来た私と、C先生は水を掛けられて、あんまり止まらないので、私は濡れながら、水栓を閉じました。
最後に私の顔に水を掛けて、やりすぎたと思ったのか、叱られると思ったのか。突然、Aくんは、私の前に土下座して「先生、ごめん」
「やめて、そんなんせんといて、気持ち悪いわ。そんなことするぐらいだったら、2度とこんなことしないで。」

部屋に入る時間になってもAくんは入りません。覗きに来たEくんに、
Aくんは「俺たち友達やねんな。」E
くん「うん、そうや。なかよしや。」
「おい、E。あれ持ってこい」
「友達に命令するんや。命令されていくのは友達と違って、奴隷ちがうの?」
動きかけてE
くんは、とまってしまいました。
「自分は命令されたっていつも怒るのに、友達に命令するのはOKなんだ。」
私の顔を不思議そうにじっと見て「もう、帰る。」AくんはE
くんの傘に入って、静かに部屋に入りました。

子ども達は、謝るのは屈服すること、友情とは奴隷のように相手の言うとおりにすること、思っているような気がします。
私だって、わからないときがあります。選んで黙っていいなりにするのか?友情からだまっているのか?心から悪いと思って謝るのか?相手をなだめるために謝るのか?自分の立場を守るためだだったりして…。
子ども達といると、自分が曖昧にしてごまかせてきてしまったことに気づかされます。

音楽も、究極はこういう心根が反映してしまうような気がします。子どものおかげで少しずつですが、心の掃除ができるような気がします。


今夜あったこと、肩甲骨を知るワーク

2009-07-16 22:49:34 | 音楽

今夜は茄子とピーマン。ドレスの補正をもってったら、またまた頂いてしまいました。我が家の夏の味覚はご近所さんに支えられています。感謝

夫が台湾から帰ってきました。実は昨夜遅く関空に着きましたが、関空近くのホテルで泊まりました。
台北空港で飛行機油圧系統の不具合で空港で7時間足止め。結局飛行機を変えて出発。

その間、「台北で足止め、JL645便を検索して下さい。」なんてメールが夫から届き、仕事中、返信も検索も出来ず、台風やらハイジャックやら、妄想してドキドキしました。台湾土産のマンゴーケーキ…甘さは控えめでいいのですが、ケーキの生地がやっぱり、いつものようにパイ生地とケーキ生地の中間のような味。こういうのが台湾の人はお好みなのかなぁ?
こう頻繁に出張だと、お土産にも力が入らない夫です。

今夜は、もう一つお題が、私の足の裏にとげが刺さりました。床に敷いた木製カーペット。もうとっくに、お買い替えの時期です。あんまり痛かったので、写真を撮りました。指先の点がとげです。


水曜日に、「心と体のワーク」で肩甲骨を脳に意識させる動きを習いました。
壁を背中に立って、片方の肩甲骨を壁につけ。もう片方の手で肋骨、胸骨、鎖骨を順番に触りながら、軽くあてたほうの腕を、ゆっくり上下左右に動かします。ひじを曲げてもいいです。
1分もしないうちに、寝ころがると、肩甲骨や肩の位置が変化します。
同じようにもう片方もします。
もう一つの動きは、仰向けに寝ころがって、壁にひじを軽く曲げて両手をつきます。片方の足の膝を立て、片方はのばしたまま、そのまま、両手で壁を押し、脱力を繰り返します。しばらくしたら、伸ばした足のかかとを垂直に曲げ、同じ動作を繰り返します。
そのままゆっくりと、寝、立ち上がると、体がまっすぐ、私の場合は反ったような気がしました。いつも前かがみであるいているから。何より、肺が広がったような気がします。

フルートを吹くと、寝て演奏した時とだいぶ近づいてきて、息をたっぷり使えます。
これは本当に素晴らしい体が楽です。


場所の音を聴く

2009-07-15 21:26:20 | 音楽

カサブランカが咲いていました。見事と言う他無い美しさ。ゆりを見るとアルフォンス・ミュシャの「百合の中の聖母」を思い出します。ミュシャと言えば、パリ時代の広告が有名で、百合もそのときに描かれた花4部作の「百合」が有名ですが、チェコスロバキアに帰ってから描いた「百合の中の聖母」は百合に包まれた聖母がチェコスロバキアの民族衣装を着た少女を見守るように立っていて、清らかでしかし、力強いです。
ミュシャを故郷に向かわせたのは、1908年アメリカに招かれた時に聴いた、ボストン交響楽団の演奏したスメタナの「わが祖国」だそうです。

今日は、ファミリーポートひらかたのホールをお借りして、Sさんとアンサンブル。
もと、幼稚園のお遊戯室で、天井が高くよく響きます。気持ちいい。
とても、うまくなったような気分。

気分だけではなく、自分の音をよく聴いて演奏し、しかもリラックスしているから、普段よりいい演奏に当然なります。残響の少ない部屋でも同じように聞ければいいのですが、聴いているけれど聴いていない。聴くところが違うのではないか?と最近思うようになってきました。

うまい人は、自分の体の中でなっている音、周りで鳴っている音、そして、部屋全体に反響してなっている音、これをバランスよく聴けているような気がします。特に最後の反響は、よく響く場合はいいのですが、残響の少ない部屋の場合とても難しい。けれど、これを聴くことで、不可能な音量で演奏しようと、一生懸命吹き込んだりすることが減るような気がします。

明日は、普段の自室で、この理論を確かめたいと思います。


子育てサロン7月

2009-07-14 21:40:52 | 子ども

この変った色の花は、ハルシャギク、孔雀草、蛇の目草とも言うそうです。ハルシャはペルシャのことだそうですが、ペルシャとは関係ないそうです。この花を見てペルシャの感じがすると命名したのでしょうか?

今日は子育てサロン。
今日は1歳4ヶ月~3歳児までが、集まりました。今年二人目誕生を迎えるおかあさんが4人も。
二人目を連れてきてくれる日も近い・・・うれしいです。

手遊び、絵本の他に、今日は、ダンボールの室内プールを作りました。といっても、開いたダンボールの箱をガムテープでつないで丸くしただけです。

お水の替わりに、新聞広告チラシを子ども達と一緒に破って、小さくして投げ込んで行きます。
普段「やったらだめ。」と言われていることを思う存分、ビリビリビリ・・・夢中になって破る子、お母さんに破ってもらったチラシをポイッと投げ入れるのがおもしろい子。

プールを作るのを楽しんだ後、「1.2.3!」で中に飛び込みました。
普段は部屋の中に入るのを躊躇したり、泣き出したりする子もいるのですが、今回ばかりは、すぐに、チラシをいっぱいつかんだと思うと、自分でかぶったり、お友達にかけたり、チラシの中に寝ころがったり、泳いだり、埋まったり。

お母さんといつも離れたがらない子どもも、プールの周りでニコニコしているお母さんの顔を見て、安心して入ったようです。

4月から何度かサロンに来てくれている親子も多く、すっかりここに来たら、お母さんと離れて遊ぶと言うことが定着して、離れてぐずる子どもも、ほとんどいなくなってきました。
お母さん達同志が仲良くなって、お茶を飲みながらゆっくり話してくれているのもうれしいです。

思い切り遊んだ後は、お片づけ。ごみ袋に一杯のチラシを入れますが、いままで、お友達と取り合いしたり、お片づけしなかった2才過ぎの男の子が、今日は率先して、入れてくれました。こどもはきっかけさえあれば、貢献したがっている。そんなことも感じたサロンでした。


息を吐く

2009-07-13 22:45:13 | 音楽

アガパンサスは、うっとうしい梅雨空に清涼感を呼び覚まします。

子ども達が学校で栽培したきゅうりをくれました。「持って帰ってお母さんにたべさせてあげないと。」と言ったら、「おかあさんはきゅうりが嫌いだから」と置いていってしまいました。
くるっと捻じ曲がった小さなきゅうり。ありがたく頂きました。
夏には体温を下げる効果のある瓜類が、ちゃんと実って、地球は生物にとってバランスが取れています。

モーツアルトのアンダンテを演奏すると、たくさんの息を吹き込まないでも、演奏できてしまいます。ただし、ベールを一枚かぶったような音で特有のクリアーな感じがでません。
といって、息を大量に吹き込んで、ヴィヴラートを効かせすぎると、今度はこの時代の特製が失われてしまいます。

寝て吹くと、大きな違いは一度に吹き込むことができる息の量が多いということ。そして、全身の筋肉が緩むことから、唇が柔らかく動き、上を向くことで、のどの奥の壁が広がります。のどの筋肉が緩むことで、舌は、大きな動きをしなくても、音を自然にきることができます。これはモーツアルトを演奏する時にとても好都合です。

モーツアルトを演奏する時には、大音量は必要ないですが、豊かな息の量で細かいニュアンスを表現したいところです。
モーツアルトを演奏すると、音自体の美しさ、きらめき、艶やかさがないと、「おやっ?」と言う演奏になってしまいます。素の音がバレてしまう恐ろしい曲です。だから、コンクールには必ずと言っていいほど、モーツアルトの曲が入っています。

耳鼻科の先生に聴いたら、肺を100%使い切っている人は少ないそうです。私は調子が悪い時に一度測ってもらったら、30%といわれました。良い時でも60%位らしいです。
それは、気道の狭さと関係があるそうです。筋肉を緩め、横隔膜を下げ、気道を広げれば、肺も広がり、呼吸も深くなるのは道理です。息をコントロールする時に、フレーズの途中で息が切れてしまうことを怖れるあまり、節約奏法になってしまうことがよくあります。下腹、脇、背中の筋肉も緩めその周辺にも息をいれるつもりで、息を吸い、そして吐く時には、膨らんだ腹や胸をへこまさずに、張るようにして吐けば、息はたっぷり使うことができます。モーツアルトを吹くときにも豊かな音で吹くことが出来ます。一度、試してみてください。


世界が私を支えている?

2009-07-12 23:20:57 | 音楽

金柑の花。柑橘系は何でも好きです。すっぱいくだものが好きです。八朔、紅玉、檸檬、石榴。
今日は、息子達を母のお見舞いに連れ出しました。特に上の子は家族と行動することが少なくなり、母ともお正月以来のご無沙汰。母は会えて喜んでいました。母の生徒さんたちもお見舞いに来て、病室は大盛況。リハビリ150日かかるそうですが、母は意気軒昂でした。

相変わらず、寝たり起きたりして練習しています。
今日はフォルテで演奏することに絞って、、
立って芯のある音を出すためには、自分のすぐ周りでなっている音ではなく、部屋の中をめぐる音を聴く必要があるのではないか?と思ってきました。

耳栓をして演奏した直後、耳栓を取って演奏してみると、雑音が多いですが、芯のある大きな音がしています。聴くところがちうのかもしれない。
力を抜いて、部屋に響く音に集中します。我が家は古い日本家屋。畳の部屋は音が響きにくいですが、とりあえず気は心。録音してみると少し違うみたい。

それに床や壁が音に力をくれるようで、いつもより楽に演奏できます。世界が私を支えていると言うことを信じながら、演奏する。明日もこれを突き詰めてみたいと思います。