音楽の喜び フルートとともに

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職場と音楽

2009-08-07 21:19:54 | 音楽

ガレージの屋根が、アイビーに占領されつつあります。建物には良くないようですが、切る気になれません。

「まさか、音楽を取り上げられるとは思わなかった。」
職場の異動で、音楽を続けられなくなった友人の話です。

彼は、音楽をするために今の職場に入りました。ずっと音楽を続けてきて、20年近く。彼の作ったブラスバンドグループは、コンクールの上位入選常連メンバーでした。

しかし職場はあっさりと、その実績を切り捨てました。不景気以前から、経費をずっと切り詰め、人を増やしてこなかった職場が彼を畑違いの、場に移動したのです。
音楽を続けるためには、職場を去るしかない。厳しい現実です。結局、彼は職場を選びました。

ずっと、そのことが気になっていましたが、それから2年。偶然街で会って、聞いたら、この言葉。

音楽をやっていて何かの役に立つとか、社会的成功に役立つとか、そんなことは、思わないけれど、私にとっては、音楽を演奏すること、その時間を誰かと共有すること、その瞬間や、プロセスそのものが喜びであり、ドキドキ、わくわくする冒険であり、幸福そのものなので、彼の言葉はやはりショックです。どんなにつらいだろうと思います。

彼のような人が、音楽を続けられる世の中であって欲しいと思います。もう少し、この社会が音楽を評価してくれれば、彼は続けられたかもしれない。とも思います。本当に残念です。

しかし、いつか、また彼は音楽をするだろうと思います。何年かかっても、きっと、どんなことをしてでも。

 


原爆の日

2009-08-06 21:58:08 | 哲学

黄実の千両。今年は豊作。だからって、食べられない鑑賞するだけです。

今日は、広島に原爆が投下された日です。
今朝なぜだか、高校の頃の先生の話を思い出しました。
上田春雄先生。「はるおちゃん」と、私も含む、女子高生から呼ばれていた美術の教師。色の白い、もう定年間近、いえ定年すぎていたかもしれないです。真面目な教師ではなかった…時々、いえ頻繁に授業中、アルコールの匂いがしました。
高名な画家だと自称していました。そのせいで、酒は問題にならないのだと私達生徒は思っていました。
でも、きらいではなかった。飄々としたおじいちゃん、っていう感じ。

彼は、良く戦時中の話をしてくれました。
東京芸大は、超難関校で、美術科出身の彼は、真っ先に徴兵された。けれど、頭が良いから、エリートとして、将校にならされました。
どこだったか、激戦地に送られて、ほとんどの部隊の人が戦士したけれど、自分の部隊は戦死者はでなかったそうです。なぜなら、「銃は撃つな。人を殺さなくてもいい、殺されるな。逃げ回れ。生きて帰ろう。」と彼が部下に命令したからだそうです。

ひめゆり部隊の女子生徒を教えていたことがあって、30年ぶりに、その生き残り、たった、6人だったか。旅館の一室で会ったけれど、お互いに一目見て、くるりと背中を向けて後は、涙、涙で何も言えなかったそうです。

当時は、飄々と話す彼の話を、何処まで本当なんだか?と大して真面目にも聞いていなかった。
でも、今になって良く思い出します。思い出すのは美術とはずれた話ばかりですが。

父は昭和4年。「田舎にすんでたから、戦争が間違っているとか、生きて帰ろうとか、国が変だなんて思いもしなかったし、思っている人はいなかった。」
なんとなく、今まで「そうだろうなぁ」と思っていました。
はるおちゃんの話も聴いていたのに、父の言っていることの方が事実のように捉えていた私がいて。
戦争まっしぐらが日本国民全員の意見だと思い込んでいた自分がいて。田舎は特にそうだと。

そうではない人が政府や軍隊の中にも、一般国民の中にも、田舎の人の中にもいたという事実は、無かったことのように思っている自分がいます。父がすべての人のことを知っているわけではないのに。

事実を科学的に見ない。すべての人の意見が一致しないとならない全体主義。個人が自分の頭で考え判断しない。それこそが戦争を引き起こしかねないというのに。強制されることなく、自らはまっている自分がいます。
それは、自分が、何かの理由があれば、核兵器のスイッチを押すかもしれない。ということだと思います。「みんなが良いといっているから。」なんて、理由で。恐ろしい。


梅田レッスン

2009-08-05 21:23:25 | 音楽

今日は梅田でレッスン。土佐堀にかかる大江橋を歩いて渡っていると、水晶橋の下を運搬船とタグボートが、くぐろうとしていました。海が近いので満潮時は水位が上がって、水面と橋の間に空間が極端に少なくなります。船は背が低く作ってありますが、アーチの橋脚の間をくぐるには幅がぎりぎり。一人が船の上に立って、天井(橋の下側)に手を当てて方向を微妙に操作しながら、ゆっくりゆっくりくぐります。見ていてもドキドキしました。水の都大阪ならではの光景でした。


エラート、苦手のタンギング。「ピンポン玉が弾んでいるような感じで、音を止めないで。」
一つ一つの音が聞こえるように、ゆっくり練習。何度も何度も。

「これぐらい吹けたと満足していると、気がついたらその場所よりずっと下のほうに落ちていて、出来ていた場所ははるか上の方に見えることになるよ。満足するところをみつけているより、自分の出している音をよく聴いて、もっとうまくなれる所を探しつづけること。それが音楽家というものだよ。」

確かにこれぐらい吹けていればと満足しているところがありました。先生は何でもお見通しです。

レッスンの後、同門のKさんとデュオをして遊びました。ドップラーの「アンダンテとロンド」と、「リゴレット」。
「アンダンテとロンド」の方はまだ何とかとおりましたが、「リゴレット」は大変。でも、美しい。名曲です。

それにしても、Kさんのミヤザワフルートリップレート金、管体銀の良く響くこと
それに、初見でもどんどん吹けます。とっても気持ちいい。
終わった後、休憩中の先生とKさん、私でランチを頂きました。こうしていると独身時代に戻ったみたい。
来月も約束。レッスンの楽しみが一つ増えました。
先生と、Kさんに感謝


パンプスの影響

2009-08-04 20:36:32 | 音楽
昨日は、フルートを全く吹けませんでした。今日は、仕事で、6時に帰ってから、2時間だけ。しかし体がきつい。
何がきついって、正装のために履いて行ったパンプスの影響が…。
つま先立ちで、先細り。足はかかとを中心にゆるい扇形なのに、どう考えても反対。

指を不自然に曲げて小さくするために、指の付け根の靭帯が伸ばしっぱなしに。外反母趾は、靭帯が伸びきって戻らなくなった状態です。
「足に悪いから」とパンプスを売らない靴屋さんを知っています。

足が痛いだけでなく、腰、肩、頭が重くなってきて、歩く速度は、遅いし、頭は回らない。これでも昔はパンプス生活をしておりましたが、今やもうだめ。

女が賢く強くならないために、自ら選んでいる纏足。これで、仕事できるわけないって。
それでも、慣れてくると、もう、わからない。これが動きやすいと言う人が必ずいます。
パユもマスタークラスで言っていました。「フルートの敵」と。
パユが「フルートのための靴」と、指差したのはもちろんスニーカーのような平靴でした。

昨夜、ワークで学んだ動きを何度もやって、寝ましたが、今朝職場で、立って子どもを見ているとやっぱり腰がだるい。
思いついて、かかとを中止に、1センチほどの円をかくつもりで、時計回りをしてみました。その後、指の付け根の骨、土踏まずと中心を何箇所か替えて。
外から見たらほとんど動いて見えませんが、この効果は劇的。腰のだるさは消え、終業までなんとかもったのでした。

こうなったら、フルートでも試したい。帰宅して吹きながら試してみると、思ったとおり音の伸びが良いです。
これは使える演奏の途中でも音を変えることが出来ます。
人は痛みから一番学ぶものらしいです。

奏楽堂

2009-08-03 22:42:30 | Weblog

仲人さんのお葬式で東京に行ってきました。日帰り…疲れた。朝7時30分京都発 新幹線。
電車の中でうとうとしていると、児童会から「明日は10時15分からでしたが、人がいなくて、8時30分に来られますか?」
断ったら、大変だろうなあ…「はい、大丈夫です。」明日は18時近くまで勤務。しゃんとしなくちゃ。

仲人さんは浅草生まれ。夫も、育ちは千葉ですが、浅草生まれ、6歳まで上野の近くにいたそうです。しめやかな葬儀の後、不謹慎にも上野の森へ。夫は、ここのおみやげやさんでバイトしてた。とか、この噴水の前で子どもの頃写真撮ったとか、とっても懐かしそう。



私ははじめてみた西郷隆盛。公園内の動物園と、博物館とか行ったことあるのに…記憶にないだけかな?


そして、奏楽堂。日本最古の木造洋式音楽ホール。
滝廉太郎や、山田耕作、尾高尚忠・・・日本における西洋音楽の興隆期を音楽家とともに歩んだホールです。



今日は、休館日でコンサートも無く、中は見られませんでしたでも、外からでも見られて良かった。明治時代。音源もろくに無い時代に、西洋音楽を志した人々を支え、支えられたホールです。
人々の西洋音楽にかけるあこがれや、強い思いを感じました。



The Flute 100号記念

2009-08-02 20:39:58 | 音楽

色が変化するのは、紫陽花だけではありません。ランタナは七変化。ピンクとオレンジ、他にも、オレンジだけ、白、紫いろいろあります。

「The Flute」8月号 100号記念号を買いました。
17年間の軌跡として、世界のフルーティストの過去に掲載されたインタビュー記事が載っていました。
アドリアン、ラリュー、マリオンの巨匠対談。ランパルと吉田雅夫さんの世紀の対談。金昌国、工藤重典など、日本のフルート会をひっぱてきた人たちからのメッセージなどとても興味深い内容でした。

フルートを勉強する人へのメッセージとして、パユ、アドリアン、ギヨー、ガロワ、ゴールウェイ、マリオンなどが寄稿していましたが、おもしろいのは、ほとんどの人が、テクニックよりも、音楽であることが大切であると書いていることです。

アドリアンは「音楽は言葉」だから「聴いたことの無い人でも語りかければ必ずわかってもらえるはず。」

パユは「表現のことや、こんな音楽にしたい。頭を使って知的に練習すること、

ギヨーは「耳の感覚、音の構成、音楽的な理論の基礎が合って、音楽的な解釈ができる。」

ガロワ「どうやって年を重ね、成長していくかが問題。音楽家の役割は句読点をさがすこと、解答は一つではない、どうしてこの音を吹くのかがわかっていない音は一つも無い。それぞれの音がどうしてあるのかを知りたい、だからこそ研究し、勉強する。」

ゴールウェイ「毎日これを克服するにはどういうことをすればいいのだろう?」と考え続けること

ラリュー「音というものは毎日、いつまでも探求しなければならない」いつも感覚の中で、より明るくより多くの色彩を持った音をみつけることです。深く納得の行くまで追求しつづけるのです。やめてはいけません。「永遠の追求」これが最高のフルーティストへの道です。

グラーフ「完璧に」ということではなく、聴衆との間に存在するある種のコミュニケーションが大切なのです。

ランパルは大切なのは「音」です。自分の出している音をよく聴くこと。指なんか問題外です。

そして、マリオンは「演奏家は演奏することが好きであること。どんな問題があろうとも、一度舞台にたったら幸せ、と言う気持ちを持つこと。聴衆は幸せを味わいに来るのです。テクニックやアナリーゼは演奏者のすることです。演奏者はたとえ憂鬱であっても、それを舞台で見せてはいけないし、ひとたび舞台に上がったら光り輝いていなくては。」

100号おめでとうございます。おかげさまで、音楽を愛し、続けていく勇気をもらえました。


豪雨の切れ間に

2009-08-01 23:56:31 | 音楽
猛烈な雨の後は、さわやかな晴れ間。また雨。晴れ。不思議なお天気の中。
母が一泊帰宅。私達の仲人をしてくださった方が亡くなり、長い付き合いのあった母の変りに、私達夫婦が、急遽月曜日に東京へ行くことになりました。香典やら、お花の手配のために帰宅したのでした。

香典と、喪服を取りに実家に行くと、庭の木にアゲハチョウがとまっていました。
豪雨をしのいだ小さないのちがいとおしい。

ピアノやフルートで表現された雨は、ここまでの集中豪雨を想定した曲は少ないような気がします。
スコールはやはり、アジアや亜熱帯のもの。ヨーロッパはもっと乾燥していて、雨は少ない。
今度の災害では、避難を勧告するサイレンが聞こえなかったそうです。雨の音自体が想定外。

部屋の外で大音量の雨ですが、フルートを部屋の中で吹くと、音がいつもより良く聞こえて、伸びるような気がします。大音量の雨のおかげで、余計な雑音がかき消され、音の芯を捕らえて聴くからではないかとおもいます。聞こえすぎる…ということが、マイナスに作用することがあるのは、興味深い。
枝を聴くか?みきを聴くか?
それで、音楽も人の心も変ってきます。みきを聴こうとして、枝だと思って切り捨てていると、そこに確信がかくされていたり。
私達の耳はいつも惑わされています。できうれば、真実を見極める耳を持ちたいものです。