音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

チャルダッシュとシャコンヌ

2021-06-19 21:28:20 | コンサート
うちのアプリコット フレグラント。
きれいでしょ?

今日も雨でした。

夕方、買い物に出たら

墨絵のような空から

雲の下から夕焼け

街が燃えているみたい。
明日は晴れそうです。

モンティのチャルダッシュとヴァイスのシャコンヌの動画です。

パウエルの14Kにグラナディラ(アフリカンブラックウッド)の頭部管を着けて演奏しています。

金属の頭部管に比べて音量が少ないですが、柔らかい音が出ていると言ってくれましたがいかがでしょうか?
無観客コンサートになったので平服で演奏しています。
聴いて頂ければうれしいです。






ハイドンとモーツァルト

2021-06-18 22:45:44 | 音楽
森のイオン出まくりの場所。

杉苔もオゾンの宝庫。


川を見たら探索する人。
生物オタクの魂は大人になっても死なず。

1732年生まれのハイドンとモーツァルトは24歳の年の差があります。

エステルハージ家に30年あまり勤めてロンドンに移住したハイドンと、人生の大半を旅をして過ごし、決まった長く雇用主を持たなかったモーツァルト。

モーツァルト19歳、1785年ハイドンセットと言われる弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈しています。

その後、ハイドンは父のレオポルドに「あなたの息子さんは私が知っている作曲家の中で最も偉大な方です。」と賛辞を送っています。

モーツァルトはハイドンの影響を強く受け、死ぬまで尊敬していたそうです。









モーツァルトと天然痘

2021-06-17 22:29:31 | 音楽
先週末行った森はベリーがいっぱいでした。
これはナワシロイチゴ。
甘い。

ヤブヘビイチゴ。
これは食べられるけれど、味はしないらしいと書いてあって、食べませんでした。

クマイチゴ
これは甘くておいしかった❗種が多いですが。

たくさんなっていました。

モーツァルトがウィーンに入った1767年。
マリア テレジアの娘のマリア ヨゼファがナポリ シチリア王と結婚するので作曲の1つでも受注できないかと11歳のヴォルフガングと姉のナンネルを連れて父レオポルドはウィーンにやって来たのでした。

ところが、お祝いのために大勢の人が集まったために、感染症天然痘が流行り花嫁になるはずだったマリア ヨゼファが罹患し亡くなってしまいます。

この流行を目にしたレオポルドは現在のチェコ モラヴィア地方のオロモウツまで避難します。

王妃が亡くなったのが10/15。
200キロの旅のはてオロモウツに着いたのが10月末。

ここでヴォルフガングが高熱を出し、続いてナンネルも。

天然痘にかかってしまいます。

ところが若かったせいなのか、二人は天然痘を克服し生き残ります。

ジェンナーによって牛痘種痘方が論文が発表されるのが1797年。
危なかった。
この時亡くなっていれば、名曲の大半が失われていました。

ところで調べていたら、この1767年は北アメリカで初めて生物兵器として天然痘が使われた戦争が行われていました。

ポンティアック戦争で
イギリス軍が天然痘患者が使用した毛布をインディアンたちに配ったというものです。

毛布を配る前から流行っていたと言うこともあるそうですが、天然痘やチフス、赤痢などヨーロッパから持ち込まれた感染症の流行によって2000万人以上いたネイティブアメリカンの人口は25万人に減ってしまったと言うことです。

こわっ!








冗談音楽ドンジョン

2021-06-16 22:11:41 | 名曲
たぶんカワラナデシコだと思います。
別名ヤマトナデシコ。

里山で1ヶ所だけ咲いているところを見つけました。

他に見たことはありません。
府県によっては絶滅危惧種と言うことですが、少なくとも大阪で見たことはありません 。
あのきれいな

オオキンケイギクに住みかを奪われていると言うことですがそれだけでは無いような気がします。

冗談音楽と言うと、ハイドンや、モーツアルトが有名ですが、フルートの曲にもあります。

ヨハネス ドンジョンJohannes Donjon
1839年リヨン生まれの作曲家で、パリ音楽院でトゥルーに学び、卒業後はパリオペラ座管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、パドルー管弦楽団に入って活躍しました。

パリオペラ座管弦楽団、1866年入団当時は主席が今に残る教則本の作者アルテス、二番奏者がタファネル&ゴーベールのタファネルと言う豪華さでした。


そのドンジョンの残した独奏会用フルート練習曲集。
一番のエレジーが有名ですが、

4番Volubile
おしゃべり
上に上がったと思ったら、下に行ったり、ぐるぐる回ったり飛び込んだり

あちらこちらに散らかし放題、言い放題のおしゃべりの様子が想像できます。

第6番は皮肉
Pasquinade
こちらの方は、スタッカートの嵐で、さっきよりとんがった感じです。

ドンジョンの先生トゥルーと言えば、ベーム式フルートをパリ音楽院を退任するまで赦さなかった人です。
ドンジョンは、在学中は木製のフルートを吹いていましたが、卒業するとあっさりベーム式フルートを手にします。

ルイ ロットのベーム式を愛用していたそうです。

才能があってもベーム式を選ばなかったトゥルーの弟子ドゥメルスマンと対照的です。

ドゥメルスマンは33歳で亡くなリましたが、
皮肉やおしゃべりの中でも、世界を楽しみ、健康に生きる術を知っていたドンジョンは長くパリ音楽院管弦楽団に勤め、1912年73歳まで生きました。






ヴェニスのゴンドラの歌

2021-06-15 22:39:04 | コンサート
植えて無いのに生えてきた紫式部。
Japanese beautyberry という英名が素敵ですが、実は食べられません。

蕾もかわいい。

鳥が運んで来たのかなぁ?
ブルーベリーの鉢を占領しつつあります。

今日も母のおつかい。
父の入院証明書の申請を病院に行き、NTTの手続き…まだ父の名義です。電話が通じないと言うのです。

電話してみたら、音声案内の電話番号聞き間違っていました。
あっていても電話は混み合っていて、なかなか通じません。20分ほど繋がるまで待ちました。
その後病院に行って、電気屋さんで血圧計とマッサージャーを買いに行って、食材を買って書き込みノートをダイソーで買って…任務完了。

元気なのでいいですが。

Tさんが、メンデルスゾーンの無言歌集 ヴェニスのゴンドラの歌の演奏を送ってくれました。
ギターは本庄定雄さん、フルート久米素子
無観客なので平服で演奏しています。ごめんなさい。
これはパウエル14K で演奏しています。






怖い説グリーンスリーブス

2021-06-14 22:14:12 | 名曲
昨夜、投稿した記事、編集しようとしたら消えてしまいました。
いいねして下さった方すみませんでした。
記憶をたどって再掲載します。

これは土曜日に行ったいつもの山城の里山の風景です。

ネズミモチ

お茶の畑の緑がまぶしいです。

7/10(土)川原さんから招かれたホームコンサートの最後の一曲はグーリンスリーブスです。

よく知られたこの曲は、スコットランドとイングランドの境界辺りで生まれたそうですが、判然とはしていません。

1580年にはロンドンの書籍出版組合の記録に「A new northern ditty of Lady green sleeves」として登録されています。
1584年掌中の悦楽の中で「A new courtly sonnet of the Lady green sleeves 」として登録。

これが別の二曲なのか?はわかっていません。

17世紀にはイングランドでは誰もが知る曲となり、ロンドンでリュート用の楽譜も出版されています。

Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you so long,
Delighting in your company.

Chorus:
Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.

ああ、私の愛した人は何て残酷な人、
私の愛を非情にも投げ捨ててしまった。
私は長い間あなたを愛していた、
側にいるだけで幸せだった。

グリーンスリーヴスは私の喜びだった、
グリーンスリーヴスは私の楽しみだった、
グリーンスリーヴスは私の魂だった、
あなた以外に誰がいるだろうか。

ヘンリー8世がアン ブーリンのために作曲したという説は年代がおかしく否定されていますが、長く多くの人に指示されています。

カトリック教会から破門されてまでキャサリン王妃と離婚し、アン ブーリンと結婚。

ところが、娘しか生まれないことに不満を持ち、流産の後、わずか2年で姦通罪、近親相姦、魔術を使った罪を着せて処刑。

処刑の翌日ジェーン シーモアと婚約。

怖い!
ヘンリー8世、その後も三人の女性と結婚しています。

グリーンスリーブスはアン ブーリンが書いたならまだわかるけれど、ヘンリー8世が書いたと言うのはなんだかなぁ?
と思うけれど、力を乱用する理解不能な為政者が少しでもアンに心を残していたと言うストーリーは民衆の心を和ませたと思われるし、裏読みすると、アンがヘンリーに言いたかった言葉のようでもあります。







残月

2021-06-12 21:40:40 | 日本
夕方、実家に行くとお琴が出されていました。
母が練習していたようです。

聞けば、須山知行先生の13回忌で演奏するそうです。

曲は峰崎勾当作曲「残月」

峰崎勾当は18世紀後半から19世紀前半(天明~享保)に活躍した盲目の地歌三味線と琴の名手でした。
大阪出身で豊賀検校の門下です。

「残月」は宗右衛門町に住んでいた女のお弟子さんが若くして亡くなった時に追善の曲として作曲されました。

その後、この話は内田百聞に取材されました。

尺八、琴、三味線で演奏され、途中で唄も歌われ、手事と言って、器楽だけで演奏される複雑で速い部分もあり、難曲とされています。

10月にあるそうですが、母80歳、主宰の中島警子先生は96歳。
無観客でも絶対にすると、言われているそうです。

応援せずにはいられません。




母と病院、伊藤軒

2021-06-11 22:55:09 | 日記
アベリアは低木の街路樹として、すっかりお馴染みですが1886年、イタリアの種苗会社で作られた品種です。

今日は母を病院に連れて行きました。
朝8:00に枚方を出発。京田辺で母をヒラって京都の病院へ。
目の調子が悪いと言うので、
今日は脳神経内科。眼科では原因不明。
初診なので

血圧を測って、後はひたすら待ちます。
12時前までかかりました。

今日は原因がわからず、MTとCTの予約をして終わりました。

お昼過ぎたので
病院の近所の伊藤軒で




20品目ランチと

焼き野菜ランチ。

野菜ばかりですが、ガッツリ。
お腹いっぱいになります。
焼き野菜をぺろりと食べて
「エリンギ美味しそうやね。」
「欲しいの?」
「半分に切れる?」
調子悪いと思えない。

「イオンに寄って」とリクエスト。
服を買いたいらしいです。
服を買うと言っても、あちこち歩き回りさんざん見て…買いません。

「サンダルも。」
結局、食材だけを買って帰りました。

母を届け、家に帰ったら、5時前。
疲れた~。

フォーレのファンタジー、モーツアルトのカルテットAdur 、シューベルトのカルテットD96、モンティのチャルダッシュを大急ぎで吹いて。

「逆襲のシャア、Youtube 9時までだから早く見とき!」と次男のお達し。

本人は今夜は仕事終わってから「閃光のハサウェイ」を鑑賞です。
2倍速で夕飯作りながらなんとか鑑賞。
懐かしいアムロ。
もやっとする結末でした…ハサウェイ、見ないと…すっかり術中にはまっています。

夕飯は手抜きのお好み焼き。お腹まだいっぱいで半分食べられません。


別腹のおみやげの水無月と豆大福にヨモギもち。
ごちそうさまでした。




トラウマと子どものレッスン

2021-06-10 22:35:26 | フルートレッスン
この花はムラサキカタバミ。
これも南アメリカ原産。江戸時代に入ったそうです。
雑草としてあちこちに繁殖しています。

でも、かわいい。

小4女子Aさんのレッスンに今日はお父さんが見学にいらっしゃいました。
お休みができたそうです。
Aさん、大好きなお父さんの前ではりきっています。

習った曲を自分から、どんどん吹いていきます。
はりきり過ぎて早くなって吹きにくそうなので「ゆっくりね。」と声をかけたら、上手に吹きだしました。

「荒城の月」を吹いた時に、お父さん「学校でこの曲を何度もリコーダーで吹かされて、トラウマですよ。」とポロッとこぼされました。

「学校で…嫌な思いされたんですね。」
「本当に何度も吹かされて。」
「吹かされてって!」とAさん大笑いします。

23曲を一度に吹こうとするので、途中で「休憩しましょうか?」と言ったら、「嫌だ。まだ吹く!」
「音楽ゲームは?」
「後で。」

22曲を吹いて、最後の一曲「ちょうちょう」は前回初めたばかりですが、楽譜を読みながらゆっくり吹けました。

そして最後に
お父さんと一緒にリズムカードゲームをしました。
Aさんがクイズを出します。「お父さん、このカードはなんて読むか知ってる?」
「えっ、えっと…4 8 16。8分音符。」
「ちがーう!」
「えーっ!」Aさんもお父さんも、とっても楽しそう。

音楽は楽しい。
少しでもそう思ってもらえたらうれしいです。




フォーレのファンタジー

2021-06-09 23:00:10 | 近代
ご近所の子どもをサポートして小学校から塾まで送りました。
桃色山紫陽花を見つけて「おばあちゃんの好きな花!」と指差します。
他にも

ザクロの花や、

こっちの紫陽花も。
おばあちゃんが大好きなんですね。

鷺もいました。
昨日はピアノのSさんと約束の日でしたが、諸事情でキャンセルされました。
ガックリしましたが、Lineで「フォーレのファンタジーやりたいです。また日程調整しましょう。」と来て、気分アップ。
単純!

ガブリエル フォーレは1845-1924年フランス王国に生まれ、フランス共和国パリで亡くなりました。

1789年にフランス革命が起きて一挙に民主化したのでは無く、帝政と共和政を行ったり来たりしながら現代の共和政に近づいて行ったのです。

フォーレが生まれた時は7月王政。
三歳の時に二月革命で第二共和政に、四年で倒され第二帝政、18年続いて亡くなった時は第三共和政でした。

流動的な社会において、音楽も大きく変化したのでした。

1795年に設立されたパリ国立音楽院は革命後共和国の軍楽隊を養成したり、祭典の演奏家を育てるために王立音楽学校などを廃止、統合して作られました。

フォーレはここで作曲を受け持っていました。
同僚にフランク、ドビュッシー、サン=サーンス、マルタンなどなど、彼らが育てた音楽家には、ラベル、ケクラン、ブーランジェなど多数。

フォーレのファンタジーはこの音楽院のフルート科の卒業試験のために書かれています。

フォーレ自身は、古典的な形式を利用しながら、転調を繰り返すスタイルでドビュッシーやラヴェルへの橋渡し的な捉え方をされています。