音楽の喜び フルートとともに

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チューリップツリー

2021-06-28 22:36:13 | 日記
近所のタイサンボク。
大きくゴージャスな花のなる木はアメリカ原産です。

この花を見るといつも思い出すことがあって。

高校の美術の教師が、「ハワイで大きな花のなる木があって、チューリップツリーと言うんです。それを描いていたら、みんな集まって来て、喜んで大騒ぎになった。」

チューリップツリーは私の中ですっかりタイサンボクの花になっていて、いつも思い出すのです。
実際には、お仲間のハクサンボクだったのですが、写真を見てもピンとこない。

先生の話の中のチューリップツリーはおおらかなハワイの人と同じように、これくらい大きくてゴージャスでなくては。

そもそも、先生は小さなおじいさんにしか見えず、時々お酒の匂いがして、生徒の何人かを捕まえては「美大に行けるよ。行かないか?」と声をかけて。
私も声を掛けられた1人。

結構な頻度で、アルコールの匂いがして、本当か嘘かわからない話しをたくさんしても、首にならないのは、実は高名な画家だからという噂が静かにされていて、

でも、高圧的でなく、静かに話すせいか、反抗期の女子たちも、そのことを誰も問題にしなかった。

東京芸大に入るのは難しくて、本を食べて覚えたとか。

今でも本当だったのか?と思うのは、戦時中の話し。

学歴があったから、上官に任命されて。
南方に行かされた。
絶対にこの戦争で部下を死なせたくなかったから、「敵を見たら逃げろ。」と教えた。
お陰で他の部隊が全滅したけれど、うちの部隊だけは1人も死なずに日本に帰ってきた。

もう1つは、ひめゆり部隊を教えていた。
出征で別れて、後で全滅したと聞いていたけれど、ある日
生き残りの人がいることがわかってホテルで会った。

顔を見た途端、何も言えずに二人とも背中を向けて泣くだけだった…。

最近になって先生の名前をネットで探してみたけれど、出てこない。
当時でさえ高齢だったので、もう消息は無理かもしれない。

お話も変えて覚えているかもしれません。
本当のところ、どうだったのだろう?
なぜ美術の授業でこんなことを話していたのか?

とにかく、
数式や、公式、単語ほとんどを忘れてしまったけれど、薄暗い美術室で、聞いた話しだけは
タイサンボクの花をみる度に思い出す。