記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

ゲストハウス

2008年09月17日 20時10分05秒 | Weblog

一度でいいから暮らしてみたい。
世界各国の人が暮らす小さな社会に。

先日ウルルン滞在記の最終回でへーちゃんこと石坂浩二さんが言っていたこと。
「言葉が通じなくてもちゃんと通じ合う。けれども、もっと深いとこを求めるには言葉が必要なんだと。だから今スペイン語を勉強しているんだ。」
たしかにその通りだ。
私が留学した時のフランス語力は正直表面的な付き合いしか出来ないものだった。今でも覚えている。
学校が始まって二日目あたりに郊外学習、いわゆる先生と生徒たちの親睦を深める為のイベントがあった。
電車に乗ってジャック=アンリ・ラルティーグ(1894-1986)の博物館にも行った。
ある程度気の合う仲間が出来た帰りの電車で気の強そうなイネスという子から言われた一言。
私の口数が少ないのを気にして、フランス語は話せるの?と聞いて来た。『ほんの少し』と答えると、じゃあ、英語が話せるの?と聞いて来る。『英語も少しだけ』と言ったら、『何しに来たの?』とあきれ顔で言われた。
語学と写真の両方を学ぼうなんて欲張りだったのだ。

仲良くなった友人は私の表情から推し量ってくれるていて、思った通りの返答が返ってくる。だからちょっとしたギャグを言って笑わせることが出来た。
写真学校の先生の中でも特に、ファインアートの先生は私が言葉でうまく表現できないから、撮ってきた写真から私のことを知りたい、とクラスメートに話していたと後から聞いた。それを聞いた時ウレシクなった。言葉が通じないからこそ、写真という表現手段から距離を縮めようとしてくれたからだ。
海外から戻るといつも思う。もっと言葉が理解できたら、相手をもっと理解したいのに、自分の意見も正確に伝えたいのにと。あんなに悔しい思いをしているにも関わらず、しばらくするとコロリと忘れている。
毎日どっぷり日本語に浸かってしまいフランス語を話す機会が見つからない。相手がいないと話さない。反応がないから覚えない。今は流しっぱなしのiPodを聞いてるだけ。
このゲストハウスは生活を共にするのだ。もちろんお部屋は別だろうけど、毎日誰かしら違うお国の方と会う。それって自分から選ばなければ体験出来ないこと。生活に密着しているのが語学上達の基本だと思っている。
どなたか体験された方がいたらコメント下さい。死ぬまでに体験したい。

ところで何故ウルルンは終わったの?日曜日が待ち遠しかったのに。徳光さん、理由を言ってましたか?


画像は実家のおハナ坊。まいにち午前様で、夜遊びに興じてるそう。

fine ART photographer Masumi
コメント
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