記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

Artistとは

2016年09月25日 00時05分34秒 | Weblog
先日見たDVD、「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」で、「そのとおり!」と、改めて響いた言葉があった

「画家は市場のために絵を描くんじゃない」

これ、画廊のオーナーに向けて、画家である夫の妻が放った言葉。

映画を見ていない方のために、前後関係を簡単に説明しよう
主人公は画家。知り合いの画廊に自分の作品を扱ってもらっている。時代の流れと共に市場が求める絵が、主人公の描くスタイルとは変わってしまった為、画廊として売れる絵が欲しいので、画風を変えるように勧めたというわけ。

実は、かなり前に同じような場面に出くわしたことがある。
「写真を売るためには、市場の求めるものをしっかりリサーチしてから人が望む写真を撮った方がいいんじゃないか?」と言われたのだ。
一応頷いてみたものの、自分が撮りたいものを撮るスタイルは変えられないと決まっていた。

芸術を表現する者にとって、これは決してブレてはならないこと
人が好む絵を率先して描くことは、芸術でもなんでもない。そこに自己が存在しないから。
自己ありきで完成した結果、人に好まれる作品だった、というのとは近いようで全く異なるのだ。

芸術は人の為に表現するものではなく、ありのままの自分を曝け出すこと
自分が求めるモノをとことん追求し、そこにまぎれもない己の魂が宿ったもの、それが芸術だ。


先日歯科雑誌を見ていたら、こんな歯科医師の求人広告が目に入った

「高収入を得たい方」

の太字のキャッチコピーの下に、小さいフォントで「高度な技術を学びたい方」が付け加えられていた。

なぜ「高度な技術を学びたい方」をキャッチコピーにしなかったのか?
思うに、休む暇もなく働かされるのかな、一人の患者さんを診る適切な時間が足りなくて満足いく治療は出来るんだろうか?患者さんとの会話も少なく、意思の疎通がおろそかになるんじゃないかななどなど、お先真っ暗な想像ばかり浮かぶ
こんな広告を見ると、唯々、怖いなとしか思えない。

業種は違っても、まずはじめにお金を考えてしまうと、自己を失う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする