父が倒れて入院してからちょうどひと月たちました。
昨年の12月12日のことです。
朝食を食べ終えて、父は洗面所にいました。
私はお山の会の忘年会に出る予定だったので、さっさとブログを書きあげ、趣味の園芸を見ていました。と、廊下の向こうでバタンと大きな音が。
どうしたのかと居間の戸を開けてみると、父が倒れていました。
父は食べ終えてストーブに手をかざしながら、
「何時ごろ家を出るんだ」と聞き、私は「9時20分ごろかな」と答えました。
それが父との明瞭な言葉を交わした最後でした。
2度目の脳梗塞でした。
2度目だからやはり症状は重くて、右半身マヒ、口から食べることや会話はできなくなりました。
4年間、朝から晩までどっぷり父と暮したことは大きくて。
ちょっとした小さなことが母の時とは全く違う思いがあふれ出て。
なにかといえば鼻水すすり、言葉に詰まり、涙決壊。
でも、もう大丈夫。私は元気です。
父に関することを話すときは、ちょっとこみ上げそうになりますが大丈夫です。
3日目、医師にはっきり宣言されて、受け入れるしかないんだなと少し覚悟ができました。
毎日病院に顔を見に行き、少しでも変化があるとうれしくて。
今日は笑ったわ、とか、言葉をかけると何を言っているのか分からないけれど返事をするとか、手をしっかり握るようになった、なんて些細なことです。
これからは、見守りではなく介護の日が来るのでしょう。
母のように運よく特別養護老人ホームに入所できるかどうか分かりません。
またいろいろな選択肢の中からひとつひとつ判断し決断し(これが一番疲れるの)行動しなければ。
ありがたいことに、今のところ命に別条はありません。
私はこれまで以上に自由にやっています。
医師の許可をいただいたので、横浜にも帰ろうと思っています。
それにしても、父は、何時ころ家を出るんだと聞いてから、確信犯のように私が出掛ける20分くらい前にきっちり倒れてくれるなんて、ね。
そうでなければ、夕方家に帰って来て、倒れている父発見となったのですから。
どこまで子供孝行か、まったく。
それに引き換え私と言えば、父が倒れているのを見て、救急車を呼ぶ前にまず、大急ぎで歯磨き洗面を済ますという鬼娘。
だってね、救急車はすぐ到着するし、その前に火の始末から多々のことをしなければならないからね。
救急車出動をお願いするときは忙しいのです。
やはり寒さは大敵です。
皆様方はじめご家族の方々も、どうぞ寒さ対策をしっかりし、お身体に気をつけてこの冬を乗り切り春を迎えてくださいませ。