友人に連絡メールを送ると、折り返し返信が。
「強気のメールでおかしくて笑ったけど、どうしたの?」て書いてあるから、
「今、私の中で第二次佐野洋子ブームが来ているから強気が移ったのかもしれない」
と再返信。すると、今度は電話が。
「ね、佐野洋子って誰?」だって。我らの友人にそんな人がいたかって。
自分だけ忘れているのかと思ったら気になって気になってお使いにも行けないなんて。おいおい。
「ほら、谷川俊太郎と結婚してたことあるでしょ、その人よ」ミーハーな私はそっち方面から迫る。
「知らない!」そうきたか、それならばと、
「絵本に『百万回生きたねこ』ってあるじゃん、あれ書いた人よ」
と、文学部出身の彼女にそっち方面で迫る。
「絵本は興味ない!」
そっか、枕草子や源氏物語に浸っていたもんな、興味ないか。そういう私も読んだことないけど。
「ま、ま、その人が描いた『役に立たない日々』 を読んだのよ。そのせいかも。」
「なにそれ」と聞くから、
「あのね、癌になった後、苦しくてベッドに横になってひたすら韓流ドラマ?あれに嵌って1日13,4時間観てたんだってよ。幸せだったんだって。そしたら1年間あんまりおんなじ姿勢でテレビばかり観ていたから、あごの骨が外れたかずれたかしたってそんなこと書いてあるよ」
「まだあるのさ、再発して医者に余命と今後いくらいるか聞いて、ああそれならって病院帰りにぱっとジャガー買ったような人よ」
「変な人!」と友人は一刀両断。
「でもね、歯に衣着せぬっていうの?そういう向こうにあの人の孤独感が透けて見えてさ」
なんて私は佐野さんの心中なんて知りもしないのに分かった気になって、物言いが感傷的になる。
今日は を読み終わって図書館に返却してきた。
『役に立たない日々』は一次ブームの時に読んでいるけれど、こちらは初めて。
長くなるけれど、ちょっと引用。
役に立ちたい
私の人生は無駄だろうかと考えることもある。私は人の役に何も立っていない。
友人の妻のようにパッと起きやるべき事をさっさとやって、きりっと仕事を次々にして、
有意義に生きた方がいいにきまっているが、ある日ふとふとんの中で思いついた。
人生に目的を持ったら、一生は短く、時間は足りないだろう。
目的を持たなかったら、一生は実に時間があまって長い。
目的を持った人は死ぬ時やり残したことを無念に思うだろう。短い一生に違いない。
でもだらだら生きていたら、死ぬ時、あーやれやれたっぷり生きたなあと思える。
時々友人が「さっさと仕事しちゃいなよ、さっさと」と言うが、さっさと仕事したら私金持ちになっちゃうよ。
死ぬ時金があまったらどーするの、もったいない。
しかし私は、人の役に立ちたい。でも必要とされていないのが老人なのですよ。
佐野さんは2010年11月5日、72歳で亡くなっている。
けれど、もしそこに立っていたら私は駆け寄って「ほんとね、ほんとにそうよ」と言って抱きつきたい。