もう半袖は仕舞って長袖を出そうと押入れをしみじみ見た。
ってちょっと変なこと言うようだけれど。
押入れをしみじみ見るなんて、ね。そんなことふつうしないわね。だけど、したの私は。
我が家の天袋は2間が奥行半分、1間半のクローゼットと和室の1間の押し入れが全面奥行。
奥行半分は大正解だったなあとほっとしているわけよ、
物は7分目しか入れないは素晴らしいことだと自画自賛しているわけよ。
(ネズミの額ほどもない庭)
それというのも、8月に引き続き9月も実家の天袋を整理してきてくたびれ果てた、心底。
(空間にはバラがあったがこれも整理 楽しみに見ていたのにとマサチャンママに怒られた)
私、いずれ実家を処分しなければいけないとは思っていたけれど、
その時は一切合財潰して更地にすればいいと考えていた、だから天袋の整理はいいのよ、なんて。
が待てよと。もしかしたら家はそのままで、という奇特な人が現れるかもしれない、その時には。
と思い至ったら、こうしてはいられないと。
私の体がまだ動くうちにやらねばいけないと、固く決心したわけ。
夫は指図してくれればやるというけれど、その指図が面倒だから丁重にお断り。
ぎっしり詰め込んだ天袋からいやあ出るわ出るわ。
打ち出の小づちから出てくるのはお宝だけれど、実家の天袋から出てくるのはゴミばかり。
思い出す限り並べ立てます。
○茶色に変色した新聞紙の束、市広報の束、パンフレットの束・・・これらが天袋半分
○使い古しのカーペット、茣蓙、旅行鞄、
○丸いちゃぶ台、赤い長丸の電気がついた電気炬燵、お釜、おひつ、アルミの大なべ
○ビニール袋が一抱え、父が仕事にしていた漁具
その他、賞状、額縁、掛け軸などなど
もう、何でこんなの仕舞ってるんだ!というものばかり。
燃えるごみの日に出せるものは出したけれど、後は取りあえず降ろして部屋にほっぽりっぱなし。
そのまま帰って来た。
薬局ご主人に「体がきくうちに出せるものはみんな出しとけ」ってアドバイスもらったからね。
実家は狭くて納戸など作れなかったから収納はすべて押入れか天袋(自宅もそうだけれど)。
昔人間だから、何でも大事にとっておいて捨てられないのね。
父は背が高かったから、何もかも天袋に押し込んだのね。
引っ張り出すことは苦労だけれど、押し込むことは簡単にできるものね。
まだ2間分の天袋があるの。見るのもいや!
そして私は知っている、台所床下に母が作った梅干しがいくつもあることを。どうしようかしら。
(ロシアンセージも引っこ抜いたはず)
ヨーコチャン実家は姉妹や子や孫や使うから10年はそのままでいいって、わりあいに気楽。
それでもご両親が使っていたいらないものはだいぶ捨てたと言ってたな。
木曽に実家(空き家になっている)のある友人は、帰るたびに車でクリーンセンターに持ち込むと言ってた。
次の佐渡行は3月の彼岸だ。
くたびれ果てると言いながら、整理好きの娘は手ぐすね引いて待っている。