まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

お母様のこと エッセイ『女のイイ顔』田辺聖子著

2024-09-25 09:00:56 | 

涼しくなった。
寝室で23℃パソコンのある部屋で21℃、猛暑の夏とは室温が逆転してしまった。
涼しくなったのはいいけれど、気持ちまで涼しくなってしまって、もてあます。

先日、我らの子どものつれなさを嘆いたことを書いたが、田辺聖子さんのエッセイ
『女のイイ顔』を読んで、ムムムと唸った個所があったので。

田辺さんはお母様とご主人(世にいうカモカのおっちゃんね)の川野さんと毎夕食卓を囲む。
和やかな笑い合う食卓。
田辺さんの老母(田辺さんがそう書いているので)の追憶談。そこらへんの話から、

かねて抱懐せる人生観や牢固たる信念の披瀝という、お決まりのコースになる。

二十代三十代の人間には耐えられぬ老残の愚痴、と受けとめられるが、七十の私、
七十四の夫にとっては、それほどでもない。
「聞くたびにいやめづらしきほととぎす いつも初音の心地こそすれ」 
ー老人の愚痴に、いい知れぬ滋味と興趣をおぼえるようになる。

我らの子どもは四十代だが、耐えられぬ老残の愚痴と思われているのね。
彼らが七十代になったら、滋味と興趣をおぼえるようになるのかしら。
その前に、現実問題、私は夫の繰り言を「聞くたびにいやめづらしきほととぎす 
いつも初音の心地こそすれ」の心境になるかしら。不安だ。

で、田辺さんの老母はあれこれ話して、突然、

<それで、わたしはいま、なんぼになったんやろ?>
私が九十三だというと、老母は愕然とする。
目は頓狂に丸くみひらかれ、口はO形に開いたまま、鼻の下は長く引っ張られて、
鼻腔も伸び、茫漠たる過ぎし時間の累積、あるいは残骸に、ただ驚倒するという風情である。

その時のお母様の顔がしっかり目に浮かんできて可笑しいのなんの、笑わずにいられない。
そこで、実に哲学的な質問をするそうな。

<わたし、そんなトシになるまで、何してたんやろ?!> 

うふふ、いいわいいわ、すごくいい。私ももし90まで生きていたとしたら言いたいね。
しかも盛り上がっている中、突然、みんなの話の腰を折って、
「私、いくつになった?」
<わたし、そんなトシになるまで、何してたんだろうね?!> 
ん?言える相手がいるのかしら、不安になってきた。


 

 

追記
もう少し「MINIATURE LIFE展2  ―田中達也 見立ての世界―」
の記事を書くつもりが、前書きで田辺さんのエッセイの中から抜き書きしていたら、
すっかり長くなってこちらをアップしました。いつもの私です。

それなのに、下書きで投稿せずそのまま本文なしの完成で投稿してしまい、
ごめんなさい。見てくださった方、なんじゃこれ、とお思いになったことでしょう。
「見立ての世界」は明日アップします。

コメント (2)
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