元日、風が少々冷たいとはいえ穏やかな朝を迎え、夫は近所の神社へ初詣に行き、
家内安全、家族の健康諸々を欲張ってお願いし、私は子供たち家族を迎える準備を
していた。とはいえ、のんびりした日常の始まりで今年もこの調子かな、なんて。
4時前に息子夫婦、娘夫婦と揃って、チュッパが恥ずかしそうに挨拶して。
「さあやるか」とささやかな宴会が始まった。婿さんは飲まないので、声の大きい
わが家に交じっていては退屈だろうと、テレビ見るか、なんて勧める。
「5時からの格付けでいいです」と言うからそれまではおしゃべりに興じて。
さあて5時になったからとテレビをつけたらまさかの地震情報、能登半島地震。
それからは宴会どころではないテレビにくぎ付け。子どもたちが帰って。
すぐに実家を買ってくれたお隣さんに連絡。何といっても両家は目の前が海だ。
新潟地震の時も波は押し寄せてきて被害にあっている。
+メッセージの電話は通じない、繋がらない伝言メッセージが流れるだけ。
メッセージだけ書いたが既読の印がつかず、携帯見る余裕もないんだなと察する。
マサちゃんママからはお昼1時ころにラインが入っていた。
「家族10名の賄婦に追われて忙しいです。また後でゆっくりと」12:59
そうだ、30日から首都圏に住む娘さん一家4人が帰省すると言ってたもんな。
いつもの料理人が大車輪で活躍するんだ、大変だななんて人ごとのような感想を。
それがわずか3時間後の大地震だなんて。
お隣さんへの電話の後、すぐにライン電話。出ない。
メッセージを書く、見るか見ないか分からないけど心配だから取り敢えず書いた。
思いがけずすぐに返信が来て。
「みな無事時に中学校に逃げてきました。初めて避難所に泊まることになるかも。
〇さんたちもいます。恐ろしすぎて命縮みました。とりあえず元気です」19:19
愚痴をこぼしながらもくるくる立ち働いていたマサチャンママの元日が、
暗転してまさかの避難生活へと。
寒さの中、お正月に、しかももうすぐ家族揃っての楽しい飲み会というときに、
大惨事が起きるなんてもう神も仏もない。
警報が注意報に変わったから、多分家には戻ったと思うけれどしばらくは不安な
生活が続くことだろう。想像すると胸が痛む。被害が最小限にとどまってくれればいいのだが。
私の今年の目標がますます真剣味を増してきた。
”変化のない日々に感謝し、小さな嬉しさを大きな喜びにして。
今年はなんとなくできそうな気がしています。”
変化のない日常がいかにありがたいか、実感している。
そうですが、能登半島地震全体から見れば、
その被害の大きさに胸が痛むばかりです。
日本海側の冬の気候を知っているので、余計に
被害にあわれた方たちの心労に思いがいきます。
これ以上の出来事が怒らないように願うばかりです。
幸いにも佐渡は津波の被害も揺れの被害も
そう出てはいないようですが、恐怖は忘れられないと
言っています。
それにしても、本当に何が起きるかなんて
誰もわかりませんね。
心して過ごさねばと改めて思いました。
面白くないだの楽しくないだのぶつぶつ
文句を垂れてましたが、心入れ替えます。
つつがなく過ぎる毎日に感謝を。
ご実家の方は被害がなくてよかったですね。
ともかく揺れが大きかったようです。
その後の連絡で私の知り合いの皆さんは
無事だったようでひと安心しました。
道路もめくり上がって、亀裂もスゴイ
滅茶苦茶です。
日本海側ずっと北海道から長崎まで
津波警報が出てた。
東日本大震災での津波の恐ろしさは
日本全国の人たちは分かっているから
尚更心配が増すばかりです。
これより以上日本列島を痛めつけないで
欲しいものです。
佐渡も被害が大きかったとのこと、お知り合いや
ご親戚の方々がご無事でありますようにと
ひたすらお祈りもうし上げます。
でも、みんな揃っていて反って心強かったかも
なんて思ったりして。
私だったら1人で避難所に行くなんて
心細くて涙が出る。
少しでも被害が小さく収まるようにと願うばかり。
何事もない日々に感謝を新たに、つましく生きようと
心底思います。
昨夕の能登半島・佐渡近海の地震にはびっくりしました。
長く続きましたので、心配し、しばらく落ち着いてから実家に電話しましたら、被害がないとのこと、
真野新町では、海岸に近いので、高台に避難した人が多く居られたとのことでした。
でも、被害がなく、自宅に帰られたようでした。
緊急連絡放送も時々発せられ、怖かったですね。