マサチャンママから電話。
「今年は雪がやぼだわよ、雪かきやっとるっちゃ。私の町内じゃ誰もするもんがおらん。
年寄りばっかりだからさ」って。
実家の前の道路もそうだろうな。除雪車が来てくれるのはいいけれど、
払った雪が小山のようになるからその始末をしなくてはならない。
海に捨ててはいかん、とのお達しがあるからね、苦労したわ、なんてなことを思い出した。
続けて、
「あんた、年越しの晩に諏訪神社行ってきたが、人が大勢並んどったっちゃ」
夜中だからウトウトしてたけど、孫が起こしてくれて一緒に行ったのだそう。
「毎朝、神様仏様拝んでいろいろと悩み事を聞いてもらっているから、
ここで行かにゃあどうするっちゃね、神頼みだわよ」
ってなことを言うから、そうだそうだと大いに同調した。
お神酒と甘酒飲んで帰ってきたそうだ。雪の諏訪神社光景が浮かぶわ。
3日、私はほんとにほんと10数年ぶりに春日神社に初詣。
夫に行ってもらっていたからいいかと思ったけれど、
そうだ、原チャで行って広々公園駐輪場に止めて歩けばいいんだと思いついて。
それに、お参りする人も少ないと聞いたからそれってんで、ね。
広々公園のこんもり森の向こうが春日神社
こちらも拝んで どなたかがお供え 律儀にヤクルト1本づつ いいねえ
本堂横の石の階段を上がる
こちらも拝んで
あれ?頭は下げたけれど、コロナ終息のお願いを忘れたわ。
ま、清々しい気持ちにはなったからいっか。
「数年前から賀状によるご挨拶を止めさせて頂いてます。
私もご多分に漏れず、コロナによる自宅蟄居生活を余儀なくされています。
20 世紀初頭のスペイン風邪の如く、ポスト・コロナは従前の社会とは異なったものになるでしょう。
かのダーウィンの言葉ではありませんが、適応して自らを変えることができるものだけが生き残る、でしょう。
でも、私にはもう残された時間がそう沢山あるわけではないので、変わり切ることはできませんね。
それより、目前の今年、恐らく今とはそう大きく変わらないだろうコロナ状況下で、どうやって上手に我慢するか、それがチャレンジです。
皆さんも頑張って下さい。」
大いに参考になり、ついで老爺心ながら姫を想いて。「こうるせー・へちこぜー」と思われるかもしれんけもノー 深刻にならないようにしてくれっちっや。
今年もよろしくお願いします。
「こうるせー・へちこぜー」じゃありません。
どうやって上手に我慢するか
「ありがてえっちゃ」のお言葉。
がんばるっちゃね。