スイムやランを始めた平成に入ってから約30年、
1月2日、3日はいつも「箱根駅伝」の実況中継にくぎ付けだった。
昨日、今日も見た。
今朝の日の出(稲毛ヨットハーバー突堤より)
毎回手に汗をにぎるドラマがある。
箱根駅伝の生みの父は「金栗四三」さんだという。
彼を始めて知ったのは、「知ってるつもり」というテレビ番組だった。
草鞋を履いて長距離練習をしている映像や、はじめてオリンピックに参加して走った姿の映像が記憶にあった。
今朝の検見川浜
それから、しばらくして10年余前のこと。
佐渡トライアスロンでスイム-バイク-ランのリレーチームを組んだ、千葉JTRCのKさんに
金栗四三さんに感動した話をしたことがあった。
今日の夕方(検見川浜)
その時、
「私の郷里の近くの人で、彼の歴史を編んだ小冊子があるので美浜さんにあげますよ」
と、下の写真の小冊子をいただいた。
今年のKさんからの年賀状には、「金栗四三がNHKの大河ドラマになるので、ぜひ見て下さい」とあった。
今年は、平成最後の箱根駅伝であり、オリンピックも間近い。
東洋大学、東海大学、青山学院大学などの、すがすがしくも熾烈な争いの余韻が残る中で
諸々のことが想い浮かんできた。
日没後の検見川浜
私的にも「汽笛一斉ウォーク」で9区、10区の走路を2回ほど歩いたことがあった。
鶴見中継所の箱根駅伝のモニュメント「明日へ走る」なんかもデジカメパチリしたことを思い出した。
また、だいぶ昔になりますが、地域のマラソンクラブの当時の走友と1泊で
小田原かまぼこやの鈴廣前から大平台~宮ノ下~…芦ノ湖までの、箱根5区の山上りの練習をしたことがあった。
その発端は、金栗四三さんだったのだ。
ちなみに、NHKの番組紹介から概要を抜粋すると、
『オリンピックに初参加した男” 金栗四三と“オリンピックを呼んだ男” 田畑政治
日本のオリンピックは、マラソンの金栗四三と陸上短距離の三島弥彦、たった2人の選手から始まった。まだ“スポーツ”の言葉もなかった時代。1912年に初参加した「ストックホルム大会」で、金栗は日射病で失神、三島も大惨敗。だが、そこから持ち前の根性で猛勉強、日本はスポーツ大国へと成長する。1936年の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取る。だが、時代は戦争へと突入、夢は幻と消えてしまう。 敗戦。田畑は蛙と芋で飢えをしのぎ、執念で競技を再開。ついには、1964年の「東京オリンピック」を実現する。
戦争、復興、そして…平和への祈り。オリンピックには、知られざる日本人の“泣き笑い”の歴史が刻まれている。ドラマでは、1912年「ストックホルム」から、1936年「ベルリン」、1964年「東京」までの3大会を中心に、激動の52年間を描いていく。』
とあった。
テレビ番組はあまり見ない方ですが、この大河ドラマはちょっと覗いてみたいです。