6月19日(水) プエルトケツアル・ティカル遺跡(グアテマラ)
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ティカル遺跡
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プエルトケツアルは小さな港で、大きな客船が着岸できる桟橋がありません。
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簡易橋でつながれた浮き桟橋に朝6時過ぎ着岸しました。
大きな港は、倉庫やコンテナやクレーンなど殺風景なことが多いのですが、
ここプエルトケツァルは緑できれいに覆われた穏やかで優しい風景でした。
私は、1泊2日の『ティカル遺跡』ツアーに参加しました。船が2日停泊するのでオーバーランドとは言いません。
ゆっくりした朝食を食べ、船を出発したのは9時でした。
飛行場まではほんのわずかな距離なのですが、道路はスピードが出ないように、頻繁に突起が作られています。
車窓からうかがわれる人々の生活は決して豊かではないのですようです。
小川は汚れて、 道路の所々にゴミが捨てられていますが、通り全体にゴミが散乱しているわけではありません。
人々は、私達に笑顔で手を振ってくれました。
9時30分発の飛行機に乗る予定でしたが、30数人乗りの小型チャーター機が来ていません。
ここは、民間飛行場では無く、軍との供用飛行場のようで、民間の定期便などは無いらしいです。
結局そこにに待機していた飛行機は整備不良で飛行できないのでした。
そこで私達の前に出発した飛行機が引き返すことになりました。
往復では2時間半以上もかかるので、私達は船に戻って、船のランチを食べた後再出発と言うことになりました。
10:30頃、軍の落下傘訓練の終了演習が行われ、演習を終えた兵士三人が私達の所に来て、記念撮影に応じてくれました。
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11:20船に引き返し、12:45に集合し出発しました。
こうしたアクシデントに起こりうるもなのですが、「金を返せ」と怒って落下傘部隊の降下演習を見ない人もいました。
多くの人は、内心は確かに心穏やかではありませんが、このハプニングを楽しんでいるように感じました。
13:30分のフライトで、フローレスの空港に向かいました。
軍用空港というのに行きは全くセキュリティチェックも搭乗手続きもありませんでした。 窓口・構内に人はいません。
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X線のセキュリティチェックの機械はないし、人の手で荷物検査をする人員もいないようでした。
一日目と二日目の日程を入れ替えて、一日目はフローレス島の観光となりました。
14:40にフローレス島に着き、観光を開始したのですが、かなりの雨が降っていました。
フローレス島はティカルへのベースキャンプのようなところで、ホテルと土産物屋だけです。
この島は、とても狭い上に、特別の観光名所があるわけではないので、20分も歩くと終わりです。
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17時には、カミノ・レアル・ティカルホテルに着きました。
ティカル国立公園の近くに位置し、湖を見下ろす山の中腹にあります。
ホテルは、ロッジ風コテージとでも言うのでしょうか、しゃれていて文句なしでした。
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窓からの景色
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食堂
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私は、10ドルのWiFi使用料を払い、溜まっていたメールのチェックとブログ更新を夜10時頃までしました。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
私は、5時に目が覚めたので、再度メールやインターネットを楽しみました。
でも、この時はのどに少し違和感があったのですが、深刻ではありませんでした。
昨日、顔色が悪いと言われたので、のど風邪を引いたのかもしれません。船に戻る頃、のどは本格的に痛くなって来ました。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言われていたので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は悪くなく、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、その全体像・全貌はまだ明らかになっていません。
トルティーヤが道ばたで作られ、売られていました。繁盛していました。
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ティカル遺跡入り口
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CEIBA(国の木)、樹齢140年
最初に訪れたのはコンプレックスQ ピラミッドを作った王のモニュメント
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1号神殿
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ジャガーの神殿 セントラルアクロポリス
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グラン・プラザ
失われた世界 コウモリの宮殿(窓の宮殿)
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仮面は雨の神
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トイレ
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4号神殿(いわばティカル遺跡のシンボルで昇ることが出来ます。)
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まだ発掘されていない遺跡
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マホガニーの木 アライグマの一種(?)
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12:30公園の入り口に戻り、レストランでランチを食べました。豪華なバッフェスタイルでしたが写真は撮り忘れました。
気温・湿度が高くだいぶ汗をかき、この後は歩かないのでビールを飲みました。
13:30バスで出発、15:00飛行場に着きました。
この空港も軍用飛行場ですが、フローレス飛行場より大きく、職員も多いのですが、X線によるセキュリティチェック機械は無いようで、
鞄を一つ一つ開けてチェックするので、時間がかかり、爪切りなどもだめで預け荷物となりましたが、水などは無頓着でOKでした。
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結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。飛行機は30数人乗りでした。
驚いたことに飛行機はチャーター便で、アテンダントが二人がいて、飲み物とスナック菓子を配りました。
ホテル一人部屋利用者にはビジネスシートが割り当てられ快適でした。フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そしてそこで最後のハプニング。
機内に持ち込めない物は添乗員が集め、飛行機への預け荷物になりましたが、その荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗で機内を探したり、連絡したり。約15分後到着したもう一機の飛行機にそれは乗っていたのでした。
バスの中から 港ターミナルで
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私のどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず帰船し、シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずにきんきんに冷えた缶ビールを2杯飲みました。
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マヤ文明はインカ文明と同一視、混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に栄えた都市・神殿国家連合です。
それは単一の中央集権的な国家では無く、メキシコ半島やユカタン半島の各地に、神殿を中心としたかなり広い地域国家が、
緩やかに連合、並存していたようです。
彼らは、ジャングルや山を越えて相互に交流してしたことは遺物からわかるようです。
そのいくつかが、今日、ティカル遺跡やテオキワカン遺跡として今日残っているのです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今もなぞで定説は無いようです。
有力説は、アジアから来たモンゴロイドで中南米各地に散らばり、インカやアステカ文明につながっがたとする考えですが、
その連続性と断絶性は簡単には説明できないようです。
彼らの滅亡は、人口増加による食料を巡る内紛、内戦、病気、自然災害などいろいろありますが、まだ明らかにされていません。
多くの巨大ピラミッドは分厚い漆喰で覆われていました。その漆喰を作るには、たくさんの火力=木材を必要とするそうです。
現在は、豊かなジャングルですが、広大な森林が伐採され、大地が荒れ、また人口の増加が相まって内紛・内戦に至ったというのと私は思うのですが。
いずれにしても、ヨーロッパでは古代ローマ、アジアでは秦の時代で、日本はまだ弥生時代です。
マヤ人は、独特の文字体系と天文学に特に優れていたようです。
天文というと私達は、農耕を思い浮かべますが、彼らの主食はトウモロコシでした。
アマゾンの段々畑は有名ですが、この地にもあったのでしょうか、それとも森林が伐採され広大な農地があったのでしょうか、
現在はジャングルなので、想像が付きません。
古代文明だけで無く、中世・近代でも大きな都市が開かれ発展したのは、水が豊かな地域が多いです。
ところがマヤには大きな河川や湖などはありませんが、人工のダム・湖・貯水池が沢山作られたようです。
熱帯性気候は、一年の9ヶ月は雨季ですので、それらに水が蓄えられ、また地下には豊かな水が潜んでいるのでしょう。
支配者は、ダム・湖・貯水池などの潅漑に神経を注いだと思います。その技術が神殿ピラミッド建設に使われたと思います。
社会的インフラより、宗教的意味が強いピラミッドに心血をより注いだ理由が私にはやはり理解できません。
この地全体が霊的スポットで、人々はこの地に頻繁に巡礼して来たようです。
インカ道は巾1~3メートですが、マヤ道は100メートルほどあったそうです。
それはたくさんの人が巡礼に訪れるからと言う説明がありましたが、私はその説明はちょっと釈然としません。
マヤの人口は最盛期では、20万人ほどと言われています。
20万人が毎日巡礼する訳では無いのですから、道幅100メートルは必要無いはずです。
権力の誇示という理由ならそれはあまり有用ではありません。
とにかく、私達が現在通る道でも10~15mはあります。
雨の多いティカルのピラミッドは、エジプトのそれとはだいぶ違って、まず大地より数メートル高い勾配のある台が作られ、
その上に作られました。つまり水はけを良くする工夫分のためわずかに傾斜しているのだそうです。
また、ピラミッドは一つでは無く、左右対称の2基だったり、東西南北の4基だったりするそうです。
それらの塊は今日コンプレックスと言われ、時代によってその様式が変化しているようです。
さて、同時代のローマは、その後長く繁栄し、マヤはそうではありませんでした。
単純な比較で軽々には言えませんが、政治体制と社会的インフラの問題が大きかったと私は思っています。
ローマは、共和制から帝政となりましたが王の独裁体制ではありませんでした。
ローマでは、水道橋や道路などの社会的インフラという生産に効果的な設備に資本が投下されましたが、
他方マヤは非生産的な宗教的施設に多くの富が費やされました。これは一面的すぎるでしょうか。
そこにはそれぞれの社会観や文明観があったと私は思います。
ティカル遺跡、規模は広大ですが、発掘・調査はまだまだ十分行われていません。
私は、ティカルについてはほとんど予備知識がありませんでしたが、感激はいまいちでした。
そのわけは、発掘・調査がまだ十分でなく保存状態が良くないことにもよるのですが、私にはこの遺跡全体の魅力が希薄だからです。
もう一日グアテマラに滞在して、グアテマラ市内のほんの一部でもゆっくり歩けたら良いなぁとつくづく思います。 【ティカル終わり】
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ティカル遺跡
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プエルトケツアルは小さな港で、大きな客船が着岸できる桟橋がありません。
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簡易橋でつながれた浮き桟橋に朝6時過ぎ着岸しました。
大きな港は、倉庫やコンテナやクレーンなど殺風景なことが多いのですが、
ここプエルトケツァルは緑できれいに覆われた穏やかで優しい風景でした。
私は、1泊2日の『ティカル遺跡』ツアーに参加しました。船が2日停泊するのでオーバーランドとは言いません。
ゆっくりした朝食を食べ、船を出発したのは9時でした。
飛行場まではほんのわずかな距離なのですが、道路はスピードが出ないように、頻繁に突起が作られています。
車窓からうかがわれる人々の生活は決して豊かではないのですようです。
小川は汚れて、 道路の所々にゴミが捨てられていますが、通り全体にゴミが散乱しているわけではありません。
人々は、私達に笑顔で手を振ってくれました。
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9時30分発の飛行機に乗る予定でしたが、30数人乗りの小型チャーター機が来ていません。
ここは、民間飛行場では無く、軍との供用飛行場のようで、民間の定期便などは無いらしいです。
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結局そこにに待機していた飛行機は整備不良で飛行できないのでした。
そこで私達の前に出発した飛行機が引き返すことになりました。
往復では2時間半以上もかかるので、私達は船に戻って、船のランチを食べた後再出発と言うことになりました。
10:30頃、軍の落下傘訓練の終了演習が行われ、演習を終えた兵士三人が私達の所に来て、記念撮影に応じてくれました。
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11:20船に引き返し、12:45に集合し出発しました。
こうしたアクシデントに起こりうるもなのですが、「金を返せ」と怒って落下傘部隊の降下演習を見ない人もいました。
多くの人は、内心は確かに心穏やかではありませんが、このハプニングを楽しんでいるように感じました。
13:30分のフライトで、フローレスの空港に向かいました。
軍用空港というのに行きは全くセキュリティチェックも搭乗手続きもありませんでした。 窓口・構内に人はいません。
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X線のセキュリティチェックの機械はないし、人の手で荷物検査をする人員もいないようでした。
一日目と二日目の日程を入れ替えて、一日目はフローレス島の観光となりました。
14:40にフローレス島に着き、観光を開始したのですが、かなりの雨が降っていました。
フローレス島はティカルへのベースキャンプのようなところで、ホテルと土産物屋だけです。
この島は、とても狭い上に、特別の観光名所があるわけではないので、20分も歩くと終わりです。
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17時には、カミノ・レアル・ティカルホテルに着きました。
ティカル国立公園の近くに位置し、湖を見下ろす山の中腹にあります。
ホテルは、ロッジ風コテージとでも言うのでしょうか、しゃれていて文句なしでした。
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窓からの景色
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食堂
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私は、10ドルのWiFi使用料を払い、溜まっていたメールのチェックとブログ更新を夜10時頃までしました。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
私は、5時に目が覚めたので、再度メールやインターネットを楽しみました。
でも、この時はのどに少し違和感があったのですが、深刻ではありませんでした。
昨日、顔色が悪いと言われたので、のど風邪を引いたのかもしれません。船に戻る頃、のどは本格的に痛くなって来ました。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言われていたので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は悪くなく、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、その全体像・全貌はまだ明らかになっていません。
トルティーヤが道ばたで作られ、売られていました。繁盛していました。
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ティカル遺跡入り口
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CEIBA(国の木)、樹齢140年
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最初に訪れたのはコンプレックスQ ピラミッドを作った王のモニュメント
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1号神殿
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ジャガーの神殿 セントラルアクロポリス
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グラン・プラザ
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失われた世界 コウモリの宮殿(窓の宮殿)
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仮面は雨の神
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トイレ
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4号神殿(いわばティカル遺跡のシンボルで昇ることが出来ます。)
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まだ発掘されていない遺跡
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マホガニーの木 アライグマの一種(?)
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12:30公園の入り口に戻り、レストランでランチを食べました。豪華なバッフェスタイルでしたが写真は撮り忘れました。
気温・湿度が高くだいぶ汗をかき、この後は歩かないのでビールを飲みました。
13:30バスで出発、15:00飛行場に着きました。
この空港も軍用飛行場ですが、フローレス飛行場より大きく、職員も多いのですが、X線によるセキュリティチェック機械は無いようで、
鞄を一つ一つ開けてチェックするので、時間がかかり、爪切りなどもだめで預け荷物となりましたが、水などは無頓着でOKでした。
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結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。飛行機は30数人乗りでした。
驚いたことに飛行機はチャーター便で、アテンダントが二人がいて、飲み物とスナック菓子を配りました。
ホテル一人部屋利用者にはビジネスシートが割り当てられ快適でした。フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そしてそこで最後のハプニング。
機内に持ち込めない物は添乗員が集め、飛行機への預け荷物になりましたが、その荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗で機内を探したり、連絡したり。約15分後到着したもう一機の飛行機にそれは乗っていたのでした。
バスの中から 港ターミナルで
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私のどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず帰船し、シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずにきんきんに冷えた缶ビールを2杯飲みました。
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マヤ文明はインカ文明と同一視、混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に栄えた都市・神殿国家連合です。
それは単一の中央集権的な国家では無く、メキシコ半島やユカタン半島の各地に、神殿を中心としたかなり広い地域国家が、
緩やかに連合、並存していたようです。
彼らは、ジャングルや山を越えて相互に交流してしたことは遺物からわかるようです。
そのいくつかが、今日、ティカル遺跡やテオキワカン遺跡として今日残っているのです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今もなぞで定説は無いようです。
有力説は、アジアから来たモンゴロイドで中南米各地に散らばり、インカやアステカ文明につながっがたとする考えですが、
その連続性と断絶性は簡単には説明できないようです。
彼らの滅亡は、人口増加による食料を巡る内紛、内戦、病気、自然災害などいろいろありますが、まだ明らかにされていません。
多くの巨大ピラミッドは分厚い漆喰で覆われていました。その漆喰を作るには、たくさんの火力=木材を必要とするそうです。
現在は、豊かなジャングルですが、広大な森林が伐採され、大地が荒れ、また人口の増加が相まって内紛・内戦に至ったというのと私は思うのですが。
いずれにしても、ヨーロッパでは古代ローマ、アジアでは秦の時代で、日本はまだ弥生時代です。
マヤ人は、独特の文字体系と天文学に特に優れていたようです。
天文というと私達は、農耕を思い浮かべますが、彼らの主食はトウモロコシでした。
アマゾンの段々畑は有名ですが、この地にもあったのでしょうか、それとも森林が伐採され広大な農地があったのでしょうか、
現在はジャングルなので、想像が付きません。
古代文明だけで無く、中世・近代でも大きな都市が開かれ発展したのは、水が豊かな地域が多いです。
ところがマヤには大きな河川や湖などはありませんが、人工のダム・湖・貯水池が沢山作られたようです。
熱帯性気候は、一年の9ヶ月は雨季ですので、それらに水が蓄えられ、また地下には豊かな水が潜んでいるのでしょう。
支配者は、ダム・湖・貯水池などの潅漑に神経を注いだと思います。その技術が神殿ピラミッド建設に使われたと思います。
社会的インフラより、宗教的意味が強いピラミッドに心血をより注いだ理由が私にはやはり理解できません。
この地全体が霊的スポットで、人々はこの地に頻繁に巡礼して来たようです。
インカ道は巾1~3メートですが、マヤ道は100メートルほどあったそうです。
それはたくさんの人が巡礼に訪れるからと言う説明がありましたが、私はその説明はちょっと釈然としません。
マヤの人口は最盛期では、20万人ほどと言われています。
20万人が毎日巡礼する訳では無いのですから、道幅100メートルは必要無いはずです。
権力の誇示という理由ならそれはあまり有用ではありません。
とにかく、私達が現在通る道でも10~15mはあります。
雨の多いティカルのピラミッドは、エジプトのそれとはだいぶ違って、まず大地より数メートル高い勾配のある台が作られ、
その上に作られました。つまり水はけを良くする工夫分のためわずかに傾斜しているのだそうです。
また、ピラミッドは一つでは無く、左右対称の2基だったり、東西南北の4基だったりするそうです。
それらの塊は今日コンプレックスと言われ、時代によってその様式が変化しているようです。
さて、同時代のローマは、その後長く繁栄し、マヤはそうではありませんでした。
単純な比較で軽々には言えませんが、政治体制と社会的インフラの問題が大きかったと私は思っています。
ローマは、共和制から帝政となりましたが王の独裁体制ではありませんでした。
ローマでは、水道橋や道路などの社会的インフラという生産に効果的な設備に資本が投下されましたが、
他方マヤは非生産的な宗教的施設に多くの富が費やされました。これは一面的すぎるでしょうか。
そこにはそれぞれの社会観や文明観があったと私は思います。
ティカル遺跡、規模は広大ですが、発掘・調査はまだまだ十分行われていません。
私は、ティカルについてはほとんど予備知識がありませんでしたが、感激はいまいちでした。
そのわけは、発掘・調査がまだ十分でなく保存状態が良くないことにもよるのですが、私にはこの遺跡全体の魅力が希薄だからです。
もう一日グアテマラに滞在して、グアテマラ市内のほんの一部でもゆっくり歩けたら良いなぁとつくづく思います。 【ティカル終わり】