風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

池上本門寺を歩く

2009年07月12日 | ウォーキング
池上本門寺を歩く 2009/7/11

東京・大田区の池上本門寺(日蓮宗)を訪れた。
京浜東北線蒲田駅乗り換え、京急池上線二つ目の池上駅から歩いて10分。
 
急な此経難持坂[しきょうじざか]を登り切ると風鈴の音が涼しかった。
                 1総門                                 2此経難持坂


3日蓮聖人像        4長栄堂                                5淨行[じょうぎょう]菩薩


6日朝堂                               7仁王門(三門) 



8鐘楼堂                               9霊宝殿


10大堂(太子堂)                           11経堂                                経堂内
 

12客殿寺務所


13本殿[釈迦牟尼仏と四菩薩が奉安されている]        内部[ガラス越し]


14御廟所                               17宝塔[工事中]         右は、引用                  

18歴代墓所                             19五重塔


境内には、たくさんの風鈴があり、高台にある境内には涼しい風が吹いていた。


15大坊本行寺[日蓮聖人はこの地で無くなったと言われる] 本殿                         16御臨終の間

  左から、御硯井戸、毘沙門堂、稲荷、旅着高祖日蓮大菩薩    ・宗祖御灰骨堂、その右に万霊供養塔
  

20妙見堂                           21芳心院墓所[家康の側室・お万の方の孫]、弥生時代の集落遺跡が発見された[レプリカ]


本門寺墓所に力道山の墓があった。              22久遠林[照栄院の永代供養廟]


東急池上線は初めて乗った。東京は広く、訪れていないところがたくさんある。
池上は、下町という感じであった。

日蓮聖人は今から約700年前の弘安5年(1282)に、この地で61歳亡くなったといわれる。
檀家の池上宗仲が、法華経の字数(69384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、以来
「池上本門寺」と呼ばれるようになったそうだ。
その後、徳川幕府から庇護を受け発展したが、太平洋戦争で消失し、その後再建された。

大師臨終の地と言うことからであろうか、大師堂は本堂より大きく、本堂の手前にあった。
日蓮聖人臨終の間と言われる大坊本行寺だが、必ずしも十分手入れ・維持が行われているとは私には思えなかった。
寺務所などがあまりに巨大で豪華なのに、それらとの落差があまりに大きいからかも。
また、大坊本行寺への参拝者の数も多くはなかった。
本門寺境内はとても広く、建物も大きいのだがコンクリート製のようで、古刹という雰囲気はない。
仁王像はプラスティック製のように感じた。仏像などは見えなかった。
それらは宝物殿に安置されているのだろうが、開放は日曜だけで見られなかった。
寺務所はすごく大きいのだが、参道入り口ではなく本堂の裏手にあるのはおもしろい。
もっとも、布教道場、文化会館なども豪華で、これらは総門の脇にあった。
境内は広大なのにベンチや休憩所がなかったのは残念だ。案内・説明板なども少なく、とても親切とはいえない。
盆のため墓参りの人がかなり見えていたが、まだ多いと言うほどではなかった。

このお寺、小高い丘の上にあり、夏とは思えない涼しい風が吹いていて、薄曇りでもあり、散策は心地よかった。
仁王門前の広場にはたくさんの風鈴が吊されていて、耳に心地よかった。
振り返ると池上の街が下に見えた。

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さて、以下余談。
7月13日~21日、家族とトルコの旅に出かけます。しばらくお休みです。


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