釜石から山田線の宮古行きに乗車。下校の生徒や、後続の快速「はまゆり」から乗り継いできた乗客で立ち客も出る。この宮古行き、花巻から山を越えて釜石まで来たのだが、発車すると向きを変えてまた山のほうに向かい、そして山深い中に入っていく。三陸海岸を走るローカル線というとどうしても海沿いを走るイメージがあるが、ここはリアス式海岸。鋸の刃の付け根の部分を走るため、多くは山の中、そしてちらっと海が見えて小さな集落が現れ、駅に停まった後はまた山の中ということの繰り返しである。
立つ客が多かった車内も4つ目の大槌で多くが下車し、のんびりとした感じになる。井上ひさしの「吉里吉里人」で知られる(山田線のことを書いたものでよく名前が出てくるため、一度読んだことがあるのだが、何だかよくわからなかった作品だったな)吉里吉里や、本州最東端の駅の標識がある岩手船越などを過ぎ、宮古到着。
ここですぐに接続の岩泉行きに乗車。途中の茂市までは山田線の線路を走る。閉伊川の流れに沿って北上山地に入っていき、茂市到着。盛岡からの列車の接続を取るため、ここで小休止となる。一度外に出てみるが、岩泉線の起点とあって、沿線の写真パネルやかつて使用していたタブレットなどが飾られている。いかにも昔ながらの汽車の駅という風情。
茂市で下車した地元の人に代わって、盛岡からの列車から乗り継いできたのは私と同じようないわゆる「その筋」の人たち。この岩泉線は「1日3往復(途中までの便が早朝もう1往復ある)」という超ローカル線。そのためにそう簡単に訪れることができないという路線だが、逆に乗りつぶしを目指す者にとってはそれがために征服欲にかられる路線である。茂市からの車内には20人くらいの乗客がいたが、半数が「その筋」の人たちである。
15時40分、茂市を発車。途中の岩手和井内までは比較的人家のあるところで、水田や畑なども広がる。これらの駅で地元の人たちが少しずつ下車していく。1日3往復の列車であるが、それを生活の中にうまく取り入れているのだなと思う。
ここからはまた深い山の中へ。その中で、小さな板張りのホームが1本現れる。ここが、「秘境駅」として有名な押角駅。よくこんなところに駅があるものだなと思う。人家も何も見当たらないし、近くに集落がある様子もない。気動車に乗っている間は、こうした風景も車窓のものとして楽しめるのだが、駅があるということになると「なぜこんなところに駅が?」という謎が起きてくる。こういうところに下車するのは、いわゆる「秘境駅」の愛好家くらいのものだろうな。
駅前に日通の廃屋の見える浅内から川に沿って再び集落が開けてきた。そして終点・岩泉着。ようやくにして訪れることができた終着駅である。これでJR線乗りつぶしも北海道の一部を残し、ようやく本州から西の全線を乗り終えることができた。
この岩泉、名勝龍泉洞の玄関駅ということもあり、待合室の広い、近代的な駅舎である。もっとも、岩泉線で訪れる観光客がたくさんいるとは思えず、待合室もガランとした感じである。ただ、岩泉線の終着駅といえば山奥のどん詰まりで、この先どこにも行くところがないようにイメージされるが、地図をよく見れば、山に入って茂市に行くよりも、川沿いに下って海岸の小本あたりに出るほうが生活の中では自然なことだろう。だから余計に利用者が少なかったのかもしれない。もっとも、線路もこのルートで太平洋を目指した過去があるようだが、断念したといういきさつもある。
岩泉まで来たのはほとんどが「その筋」の人たちで、駅や車両の撮影をしながら折り返しの時間を待つ。帰りの列車も地元の高校生が数人乗ってきたくらいで、鉄道ファンの貸切状態で茂市に戻る。夕方18時を回ったところであるが山の中の駅はとっぷりと日が暮れ、もう一日の営みを終えたかのようである。ここで宮古行きと盛岡行きの列車が行き違う。岩泉線で往復したファンたちもそれぞれの列車に分かれる。私は宮古行きに乗車し、この日の宿泊地である宮古に到着。
これで今回の遠征の目的はほぼ終えたことになり、ビジネスホテルに荷物を終えた後、駅前の魚料理店へ。三陸名物のホヤや岩がきといったところをいただく。このホヤというやつ、東北を訪れて初めて口にしたものだが、独特の香りと、酒の味がまろやかになる不思議な味わいが気に入っており、その後居酒屋のメニューにあると注文している。
翌日は三陸の海に出かけることにする。ただ天気予報を見ても雨が降ったりやんだりのようで、どのように動こうか、時刻表をいじくりまわす・・・。(続く)