まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第19回四国八十八所めぐり~第74番「甲山寺」

2018年08月19日 | 四国八十八ヶ所
猛暑の中の八十八所めぐり、曼荼羅寺、出釈迦寺からは平坦な道を歩く。周りには水田が広がる。風がないわけでもないのだが、日差しを遮るものがないので照り返しもきつい。八十八所めぐりの時には菅笠ではなく登山用の帽子をかぶっているのだが、もう汗でグシャグシャになっている。

この辺りは歩き遍路の標識が見られない代わりに「四国のみち」の道標が目立つ。「四国のみち」は歴史・文化指向の国道交通省ルート(約1300キロ)と自然指向の環境省ルート(約1600キロ)があり、四国八十八所めぐりの遍路道と重なるところもある。いや、遍路道の保存の一環ということで定められたものもある。

ちょうど工場の裏手が陰になっており、用水路の仕切りがちょうど腰かけるのによさそうな高さだったので少し座って休憩する。この日は休憩の頻度が増えている。札所ごとにペットボトルの水や麦茶を購入し、リュックの中も予備を絶やさないようにしているのだが、朝から何本飲んだかなというところである。

それでも気を取り直して、甲山寺に到着。歩きで来たら勝手口のようなところから敷地に入る印象だ。中門もポツンと建っている。代わりに新しい手水場や鐘楼、水の流れるミニ庭園もある。本堂や大師堂は昔からの建物のようだが、手前のところは最近整備された感じである。

先ほど出釈迦寺でお勤めをしていた団体だろう。訪ねた時にはちょうど読経の最中だった。先ほどと同じようにこの人たちのお勤めが終わるまで一休みとして、その後でお勤めをすることにする。今度は本堂と大師堂でまとめて一度で済ますことなく、それぞれでルーティンをこなす。

善通寺に近いこの場所は弘法大師が幼少期によく遊んだ地で、壮年になって寺を建立しようとこの辺りを探索すると、老翁が現れて「この地に寺を建てるべし」とお告げをした。弘法大師はこの老翁を毘沙門天の化身と悟り、この地の岩窟に毘沙門天を祀った。その後、弘法大師は満濃池の修築を成功し、その功績で与えられた銭の一部によって薬師如来を祀るお堂を建てた。それが甲山寺の始まりとされている。

大師堂の横にはその岩窟がある。奥行は12メートルといい、鉄の扉で仕切られた奥に毘沙門天が祀られている。五来重の『四国遍路の寺』では、善通寺の北方守護として毘沙門天を置いたのではとしている。七ヶ所まいりの七福神はもちろん毘沙門天で、これは寺の由緒から見ても当然だろう。

お参り後、ここでも境内のベンチでしばし休憩する。時刻は11時半、次の善通寺までは1.5キロで、そこを終えればもうこの日は打ち止めとする。実質午前中だけの行程となるが致し方ない。

善通寺方面に山門がある。これも2008年に再建されたもので駐車場もこちらにある。その前は砕石工場で、遍路道は甲山寺の前の小川を渡るよう道標が出ている。砕石工場の対岸はテーブルマーク(旧・加ト吉)の善通寺工場がある。その工場の横を抜けていく。

養護学校や四国こどもとおとなの医療センターの横を通り、細い道に入る。善通寺の門前の風情となり、やがて仁王門に出た。これから、八十八所めぐりの総本山といえる善通寺である・・・。
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