まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第2回中国観音霊場めぐり~第3番「正楽寺」

2019年07月10日 | 中国観音霊場

伊里駅から徒歩50分で正楽寺に到着した。結構汗もかいた。

寺に入る前に、熊沢蕃山の邸宅跡と、肖像画を彫ったレリーフを見る。熊沢蕃山は江戸時代の陽明学者。近江の中江藤樹の下で陽明学を学び、岡山藩主・池田光政に仕える。池田光政は前回第2番の餘慶寺を訪ねた時にも触れたが、陽明学を篤く信奉しており、その影響で神仏分離もいち早く進めた藩主である。蕃山は光政の下で藩の行政にも携わり、光政が名君と呼ばれる中での有能な実務担当者だったが、幕府の政治を批判することもあったため、藩内の反対派や朱子学者らとの対立の末、岡山城を追われてこの地に隠棲した。邸宅跡と言っても数メートル四方の塀に囲まれているのはそうした棲み家だったからか。

蕃山はその後も幕府の政治を批判することがあり、いくつかの藩の預かりや蟄居を繰り返して、最後は下総の古河藩で亡くなった。しかし後に蕃山の考え方は評価を受けることになり、藤田東湖、山田方谷、吉田松陰など幕末の活動家にも影響を与えたとされている。また最近では、治山治水をベースとした政策が日本におけるエコロジー思想の先駆者であると評する向きもあるそうだ。

さて、正楽寺である。杉の木に囲まれた仁王門に出る。門をくぐると右手に鐘楼が建つ。正面には十一面観音を祀る本堂と大師堂が渡り廊下で結ばれて並んでいる。寺の雰囲気として、四国八十八所にもこのような寺があったように感じる。

他に参詣の人はおらず、一人で本堂前でお勤めとする。その合間に空気を切り裂く音がする。そう、新幹線。般若心経を読む間に新幹線の走行音を耳にするのは他の札所めぐり通しても初めてである。本堂横の木々の隙間からも白い車体が走り抜けるのがちらりと見える。

正楽寺の由来に触れておく。奈良時代、この辺り一帯の寺院の由来に出てくる報恩大師により創建されたという。その後衰えたが、鎌倉時代に信賢が再興して伽藍を整備したとされる。

しかし江戸時代初期に火災に遭い、伽藍は焼失。そこで岡山藩の池田氏が寺を保護して、伽藍の整備をバックアップした(あれ、池田光政は神仏分離を進めた陽明学信奉者ではなかったっけ・・と思うが、岡山藩、池田氏の長い歴史の中の話ということで)。当時は池田氏の祈願寺として、また歴代藩主の位牌も安置されている。本堂や鐘楼、仁王門は江戸時代の建物として今に伝わっている。

本堂横の大師堂にもお参り。そこには「和気郡八十八ヶ所第76番札所」との立て札がある。和気郡・・またエリア限定の札所めぐりやな。せっかくなのでこの札所についてスマホで調べると、1918年(大正7年)に選定されたとある。現在は平成の町村合併により和気郡がなくなったので「旧和気郡八十八ヶ所」と呼ぶそうだが、四国全土を回るのは難しいとしても、地元のいろいろな寺やお堂、祠をお参りして回ることについて、備前のこの地の人も信仰篤く、あるいはちょっとした遠出の感覚で手を合わせて来たのだろう。

納経所に向かう。インターフォンを鳴らすとしばらくして普段着ながら僧侶(ご住職?)が出て、朱印帳に朱印と墨書をいただく。中国観音霊場では朱印に加えて本尊の御影をいただけるのだが、ここではそれに加えて、何かを引き出しから出して袋に入れたものと合わせて返していただいた。

「正楽寺は岡山藩の鬼門を守る寺としての歴史があります」と説明される。鬼門とは、ざっと言えば北東の方向で、岡山藩池田氏としてその方角(にしてはそこまででもないと思うが)に位置する由緒ある正楽寺をそれに見立てたのだろう。納経の人に渡しているというその札は、不動明王。シール式で、そのまま壁に貼ってくださいとのことだが、これを私の住む部屋に置き換えると北東はトイレで、そこには烏枢沙摩明王が陣どっている。ただ、札の裏面に(北向の)玄関の上に貼ってくださいとある。現在の住宅事情を考慮してのことか。帰宅後、この画像を撮った後で早速玄関の目の上の位置にペタンと貼りつけた。

これにて正楽寺を後にする。日生に向かう道は山越えのようなので、そのまま来た道を引き返す。目指すのは伊里駅11時45分発の播州赤穂行きの列車で、この時間帯は1時間に1本だけ走る。伊里駅からの往路の所要時間から逆算して正楽寺を出発したので何とかなるか。

果たしてこの時は播州赤穂行きの列車に悠々間に合い、一駅、日生に向かう。ここで下車する。時刻はちょうど昼時だ。

日生は駅の向かいにフェリー乗り場がある。少し待てば小豆島(大部)行きのフェリーがでる。小豆島に行ったこともない私、一瞬、このフェリーに乗り、日生の沖合いに浮かぶ島々の景色を楽しみ、そのまま小豆島まで行くのも面白いかなと思った。ただまあ、行って帰ることを考えると・・・。

日生の名物はカキオコである。牡蠣を具材にしたお好み焼だが、もちろん旬は冬。逆に夏はエビオコをアピールしているが、広がりは今一つのようだ。カキオコも店じたいが冬季限定営業のところがある一方で、年中出している店もある。ただ、年中出すといっても夏場は冷凍ものを使うそうだ。

町中にカキオコ、またはエビオコを探して散策してもいいのだが、歩くのも暑いこともあってか、駅すぐ横、観光案内所も入った建物にある「レストラン夕立」に入る。見た目は普通の食堂だが、年中カキオコが出る一方で、冬は牡蠣の単品もメニューにあるようだ。この店にしたのは、表のメニューに日生の魚料理があるのを目にしたからである。

欲張って・・ということで、刺身定食とカキオコの両方をいただく。相手するのは岡山工場出しのキリンラガー。

刺身も8品くらいはあった。生のタコ刺身があるのも瀬戸内ならでは。他に酢の物、サラダ、茶碗蒸しもあり、ビールのお供には十二分。

そしてカキオコ。画像ではほとんどわからないが、ノーマルは牡蠣が8個入っている。この時季なので牡蠣が小ぶりなのは仕方ないが、味は濃厚だ。まあ、燻製や佃煮といった牡蠣の加工食品は年中いただけるから、それの一種だと考えればよい。

中国観音霊場は瀬戸内と日本海の両方を巡る。となると海の幸を味わうのが楽しみで、特に冬は牡蠣、フグ、カニという三本柱が出揃う。巡拝のスケジュールとにらめっこだが、できれば地元の味覚も楽しみたい。プランニングが楽しみだ。

結局この日はレストランでくつろいだところで終了。次の列車で播州赤穂に戻り、そのまま乗り継いで大阪に戻った。

さて、札所順でいえばこの次は特別霊場の誕生寺、続いて第4番の木山寺、第5番の法界院である。誕生寺と法界院は津山線の同じ名前の駅から徒歩圏内だが、木山寺は津山の向こう、姫新線の美作落合駅が最寄りだが駅からも結構距離がある。これから夏場は青春18きっぷも投入できるが、鉄道利用だと1日で3ヶ所を回るのはほぼ無理で、2回に分けるか、1泊するか。参詣順の入れ替えもやむを得ない。また時刻表をあれこれいじくり回すことにしよう・・・。

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