まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12番「国泰寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(広島の中心にその名があるが・・)

2021年06月19日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、次は第12番の国泰寺である。

国泰寺といえば国泰寺町という地名があり、広島の中心部である。国道2号線が東西に走り、国道54号線の起点でもある。広島市役所、広島中央郵便局、広島の名門・国泰寺高校もある。

寺も当然ここにあるのだろうと思っていたが、スマホ地図が示すのは西区の己斐峠。これは間違いではなく、別の寺でもない。国泰寺はもともと広島の中心部にあり、国泰寺町も寺から取られた名前なのだが、1978年に「都塵を避けて清閑な」現在地に移転したという。

己斐峠は第9番の金剛院に向かう時にも通っており、国泰寺は己斐峠のバス停近くにある。そこには後で向かうとして、まずは以前にあった国泰寺の跡を訪ねることにする。ちょっと変則的な札所めぐりだ。

前日の安楽寺に続いて6月6日、やって来たのは国道54号線(鯉城通り)と平和大通りが交差する白神社交差点。ここから南、写真の向こう側が国泰寺町である。

そこに建つのは白神社。かつてこの辺りは海で、現在神社がある地点は海面から突き出た岩礁だった。その岩礁に衝突する船が後を絶たなかったために、事故防止のために白い紙を立てるようになった。後に三角州が広がり、干拓も進んだことでこの辺りは陸地になったが、地域の守り神として、白い紙が立てられていた岩礁に祠を建てた。これが白神社の起こりとされ、毛利輝元により社殿が整備された。

まずはこの白神社に手を合わせる。拝殿に上がると神主がお祓いをしてくれる。拝殿の後ろには、当時のものとされる岩礁が残っている。

白神社の鳥居の前にちょっとした憩いのスペースがある。ここはかつての国泰寺の愛宕池である。白神社の岩礁と地下でつながっているとされ、国泰寺の遺構として現在も残されている。

で、国泰寺があった場所はどうなっているのかということだが、現在はANAクラウンプラザホテル広島が建っている。

これから、移転先の国泰寺に向けて移動する。その道中で国泰寺の歴史について。

国泰寺を開いたのは、戦国時代の毛利氏に仕えた安国寺恵瓊。当初はその安国寺という名前だったが、恵瓊が関ヶ原の戦いで斬首された後、広島に入った福島正則により国泰寺と改められた。福島氏の後を受けた浅野氏からは手厚い保護を受け、境内も1町四方にわたったという。新たに埋め立てて開発された一帯は国泰寺村となり、現在に続く。

この場所ということで原爆で全壊し、戦後に再建されたが、市内の再開発が進む中で上記のとおり己斐に移転した次第である。こうした歴史も、今回がきっかけで初めて知った。

さて、西広島駅からボン・バスに乗り継ぐ。先日と同じように道幅が狭く、また交通量も多い中を上って行く。

己斐峠のバス停に到着する。ここから坂道を少し下ったところが現在の国泰寺。ちょうど境内からは広島の街を見下ろすことができる。広島の中心部の一等地もいいが、こうして高台の見晴らしのよいところに堂々と寺を構えるのも気持ちいいだろう。

寺というよりは武家屋敷に見えないこともないが、堂々とした造り。当然建物は現代風である。

中に上がると、結構な人数を入れての法要もできるくらいの広さ。本尊は釈迦如来である。畳に座り、お勤めとする。

あちらこちらにあしらわれているのは浅野氏の家紋である。浅野の一族も郊外で悠々自適といったところかな。

さて、恒例の?朱印が入った箱探しだが、国泰寺は本堂の片隅にあり、すぐに見つかった。黒い箱には札所番号の「12番」と書かれたテープが貼られていたが、その横に「50番」と書かれたもう一つの箱がある。広島新四国の第50番はどこかと見ると、黄金山の近くにある地蔵寺とある。ひょっとするとこれは、第50番に行った後、朱印だけは国泰寺まで取りに来る必要があるのか。まあ、今のペースだと50番までたどり着くのはかなり先のことだが、覚えておこう。

この後は境内の三十三観音像や仏舎利塔、そして市街地の景色を眺める。国泰寺も広い墓地を持っているが、その下にも広大な墓地がある。こちらは広島中央霊園である。

さて帰りだが、己斐峠のバス停から西広島駅までバスに乗ればいいことだが、ふと、同じ西区にある自宅まで歩いてみようという気になった。実は直線距離だと案外近いようで、またここからだと下りコースである。

・・ということで、国泰寺の現在の伽藍を背に坂道を下る。チェーンが張られているのでクルマは通れないが、歩行者は問題なさそうだ。そのまま広島中央霊園の中を通る。

この後、下り一辺倒かと思うと案外上りもあり、アップダウンの中、己斐上、高須台の住宅地を抜ける。やはり見晴らしがいい。途中のある地点では、私の今の住まいの建物は直接見えないが、近くの目印がはっきりとらえることができ、新たな発見にもなった。

地図上ではぐるりと回るところも歩行者用の階段があり、これで一気に下る。逆だったら大変だが。

最後は急な下り坂となって、西広島バイパスの下をくぐる。ここまで来れば先が見えてきて、広電の高須に到着。地図で道を調べながらだったので国泰寺から1時間近くかかったが、ちょうどいい汗をかいた。帰宅したらビールでも一杯やるか・・・。

コメント