第2回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも後半2ヶ所。甘木観光バスの小田から暑い中20分あまり歩いてやって来たのは、第90番の浄心院。
先ほど第6番、第5番と来て、いきなり第88番もすっ飛ばして第90番まで番号が飛ぶとは。これはこの霊場の成り立ちによる。1984年に発足した時は、四国や他の霊場と同じく札所寺院は88ヶ所で、5ヶ所が番外寺院だったという。浄心院も番外寺院の一つだったそうだ(先ほど訪ねた第6番の南淋寺の駐車場には「九州八十八ヶ所」の古い看板が残っていた)。それが後に煩悩の数、また八十八ヶ所+別格二十霊場=百八霊場とするべく寺院の数を増やし、89番以降の番号が付けられた。ちなみに第88番は宗像の鎮国寺、浄心院の手前の第89番は篠栗の金剛頂院、そして第108番は鎮国寺の奥の院である。
九州八十八ヶ所百八霊場は89番以降の番号も混在するので、札所番号順はそれほど厳密にこだわらず、エリアごとに回っていくことにする。この次は福岡市近辺で宇美、篠栗辺りを回るつもりだが、その時に第89番の金剛頂院も訪ねることになる。四国、中国よりも広いエリアを回る九州八十八ヶ所百八霊場は、この先結構ハードな道のりになりそうだ。
さて浄心院だが、山門ではなく鳥居が出迎える。スマホ地図を頼りに来て場所は合っていたが、寺ではなく神社だと思って素通りする人も結構いるのではないだろうか。
そして境内では不動明王や地蔵菩薩の石像が立ち、そして建物の玄関に向かって赤い鳥居が並ぶ。一見不思議な光景だが、ここには神仏習合の歴史があるのだろう。ただ、赤い鳥居の先にあるのはは寺のお堂というよりは家屋の玄関である。本堂があらへんがな・・と思いながら、いったん不動明王の石像の前に戻り、ここでお勤めとする。
納経所はこちらだろうと、家屋の玄関のインターフォンを鳴らす。看板には九州八十八ヶ所百八霊場、九州二十四地蔵尊霊場の札のほかに、「正一位壽稲荷大明神」の扁額がかかる。仰々しいなと思ううち、寺の方が出てきた。気さくに、「どうぞ中に上がってお参りください」と玄関から上げてくれる。その先には広間があり、祭壇が設けられている。普通の家屋に見えたのが実は本堂だったわけだ。
浄心院は、浄心法尼という人がこの地で不動尊を感得して開かれたとされる。内陣は神仏習合で、中央には大日如来、不動明王、十一面観音を祀り、左手には地蔵菩薩、そして右側には稲荷大明神が祀られる。稲荷大明神(荼枳尼天)は弘法大師も信仰していたとされ、真言宗寺院では大切にされているという。
改めて本堂内でお勤めとする。寺の方はその間に朱印を押し、そしてお茶菓子を用意してくれていた。歩いて暑かったのでありがたくいただく。広島から来たというと驚かれた。やはり九州内以外から巡拝に来る人というのは珍しいようだ。
浄心院を後にして、甘木に戻るために西鉄の上浦駅を目指すべく西に向かう。この辺りは水田も広がるところ。
その一角、フェンスの向こうに高床式倉庫のようなものが見える。平塚川添遺跡という弥生時代の遺跡である。そういえば、甘木駅前に「日本発祥の地」として邪馬台国の存在をアピールする石碑があったが、ここ平塚川添遺跡は邪馬台国の甘木朝倉存在説の中心だという。甘木朝倉が邪馬台国だったかどうかは別として、古くからこの一帯が開けていて、それなりの勢力があったことは確かなようだ。
集落を抜けると単線の線路が現れ、ホーム1本の上浦駅に着く。駅そのものは大正時代、当時の三井電気軌道により設けられたが、後に西鉄の駅となった。周りには集落もあり「秘境駅」でもないが、上浦は隣の馬田と合わせて、西鉄の中で乗客の少ない駅のワンツーだという。
12時15分発の甘木行きに乗車する。次が馬田で、その次の終点甘木までは6分、駅の手前でいったん甘木鉄道の線路と並走し、また分かれる。
島式ホームの行き止まり式の甘木に到着する。ちょうど朝出発したところまで戻ってきた。次はこの日最後となる第7番・興徳院へ・・・。