東広島をめぐる広島新四国。第41番・観現寺を後にして次に向かうのは第42番・福成寺である。いったん国道2号線まで出て、少し走って南下して新幹線の東広島駅近くに出る。広島新四国めぐりの各札所へのシミュレーションをやった時、ここ福成寺については、広島から1駅新幹線で東広島に移動して、そこから歩くのもいいかなと思っていた。ちなみに、広島新四国の公式サイトでは、東広島駅から福成寺まで徒歩60分とある。ただしこの夏の時季、しかもこの後雨が降る予報が出る中では・・。
クルマを走らせて看板が見えたのは広島カンツリー倶楽部の「西条コース」。広島カンツリー倶楽部、前回の広島勤務時から名前は聞いたことはあるぞ。1955年竣工という広島県でも歴史がある名門コースということで、プロのトーナメントも行われる。
カーナビはそのホールとホールの間の道路を指し示すが、別にコースに乱入したわけでなく、福成寺への矢印もあるし、正しい道路である。
西条コースを抜けると本格的な上りである。東広島駅から徒歩なら結構きついだろう。途中、東広島駅や周辺のホテルも眼下に小さく望むスポットもある。
朝方に訪ねた第40番・竹林寺と同じく標高500メートルほどの地点。多少涼しさも感じて福成寺の仁王門前に出る。もう少し進むと広島天文台があり、寺と天文台の駐車場が兼用のようだ。天文台があるということは、広島県内にあって建物や照明の影響が少なく、空気も澄んだところと言える。
どこかぎこちない造りの仁王像が並ぶ門をくぐる。福成寺は奈良時代、網衣上人が開いたとされる。源平の戦いの舞台にもなったところで、西条の国分寺は平家方、そして福成寺は源氏方につき、この時は平家方が勝利して福成寺も焼かれたという。
その後再興され、大内氏や毛利氏の保護も受け、現在に至る。江戸時代以降の歴史について触れられていないが、そこは平穏に過ごしていたということなのかな。
屋根付き橋を渡り、本堂へ。石州瓦を乗せる建物にて、中には入れなかったがまずはお勤めである。朱印も扉前の箱からいただく。
本堂の右手には杉の木がある。樹齢数百年という夫婦杉だが、落雷により二つに割れて燃え上がったそうだ。そのため先端を切り離したとある。夫婦杉で、炎上したとか切り離したとかいうのはあまりよろしくないようだが・・・。
その奥に六所大権現が祀られている。最近になって再建されたのかな。
再び本堂の脇に戻ると、九品仏堂がある。2019年、90年ぶりに再建されたとある。再建を機に修復された九品九体の姿の阿弥陀如来を祀る。
また本堂の裏手には顕彰碑があり、源頼政の名前が見られる。この前の観現寺で、源頼政と妻の菖蒲御前について触れたが、ここ福成寺は菖蒲御前が出家したところと伝えられる。当時の安芸の国府近くの古刹で、源氏方ということで身を寄せたということだろう。
境内を一回りしたところで福成寺を後にする。再び、広島カンツリー倶楽部西条コースの中を通る。来た時には両側でプレーしている人はいなかったが、帰りにはちょうど両側でプレーが行われていた。幸いグリーン周りだったので道路に打ち込んでくることはなかったが、こうしたコース、私なんかだったら車道に飛ばすこともことも一度や二度あるだろう・・(この数年クラブは握っていないのだが)。そしてもし通りがかったクルマにぶつけた場合、その補償はどうなるのやら。
これで当初の目的だった東広島の3ヶ所を回り終えた。札所番号順の関係で西条にはもう一度来ることになるが、とりあえず一段落である。そして次回からはいよいよ呉市内に移るが、時刻は昼頃、そしてまだ雨は落ちてくる様子もないので、コマを進める意味で帰りは呉を経由しよう。呉市内にも数ヶ所札所があるが、まずはその一つである第43番・照明院に行ってみよう。
東広島から呉へは国道375号線が走っているが、今は無料の自動車専用道だる東広島呉道というのが通っている。国道じたいは呉から三次を経て島根の大田市まで続くが、東広島呉道は山陽自動車道の高屋ジャンクションと接続することで呉へのアクセス改善に資している。まあ、ここは鉄道の及ばないところで道路建設は有効なところだろう・・。
両市を結ぶ移動は順調に進み、終点の阿賀で国道185号線に合流。焼山トンネルを抜けて呉市の中心部に入った。目指す照明院はトンネルを出てすぐのところだが・・・。