三井寺での除夜の鐘を撞くことができるというので、22時前、宿泊の東横インを出発する。フロントは24時間対応している。
夕方は買い物客もそれなりにいた商店街も人の姿がなく、そのまま歩いていく。観音堂側の入口に着き、周りも暗い中、石段を上がる。
境内に入ると観音堂の灯りがついていて、人の姿もちらほら見える。こちらはここまでずっと開いていたのかな。観音堂に入り、冥加料として1000円を納めると、番号札を渡される。除夜の鐘は番号順に撞くそうで、ポスターにあった集合時間の22時半より前に来たが、番号は90番台だった。もっと早くから受付が始まったのかもしれないし、あるいは団体など、早い番号枠があったのかもしれない。別に構わないが。
鐘楼に向けて観音堂を出発するのは23時半という。近所の人などは一度家に帰ったか、クルマの中で待機だろう。ホテルに戻るには中途半端だなと思っていると、内陣を開放しているという。椅子が置かれ、ストーブも焚かれていて足元を温めることができた。
時間が経つにつれて人の数も増えてきた。やがて、山伏姿の僧たちが現れて、内陣にずらり並んでいた灯籠の蝋燭に火を灯す。除夜の鐘を撞く参詣者はこの灯籠を手にして境内を下り、鐘楼まで歩くという。観音堂の前のいたるところに灯籠の明かりが浮かび上がる。
近江八景の一つ「三井の晩鐘」が除夜の鐘として鳴らされるのは、琵琶湖に伝わる龍神伝説によるという。除夜の鐘は108回というのはよく言われるが、三井寺の除夜の鐘は108回にとどまらず、できるだけ多くの人が撞くことで龍神が喜び、その分多くの幸運を授けると言われている。
そして、「除夜の鐘」の提灯をかかげた僧侶、山伏が先導し、参詣者はその後に片手に灯籠、片手にロープを持って進む。龍神が境内を練り歩く様を現わしているという。歩きながら、先頭で拡声器を手にした僧侶が「六根清浄」と発すると、参詣者は「懴悔、懴悔」と合わせる。宗谷って一年の厄を払うのである。
金堂が近づくにつれ、「六根清浄、懴悔懴悔」とは対照的に、ジャズのトランペットの音が前方から聞こえてくる。年越しのコンサートでもやっているようだ。16時前には人の姿がほとんどなかった一帯が、年越しを前に大いに賑わっている。その中を灯籠を手に進むのも、年越し行事に参加している実感が増す。「吉田類の酒場放浪記」には申し訳ないが、今回は三井寺にて新たな年を迎えます・・。
そのまま靴を脱いで金堂に上がる。外廊下をぐるり一周して、入口で灯籠は回収。そして阿闍梨による加持をいただいて、正面本尊の弥勒菩薩に手を合わせる。次々に参詣者が来るので、ここでお勤めをして・・とはいかず、そのまま金堂を出る。来る前は、「この時に朱印がいただけるかな」とも思ったが、金堂内、そして外のテントでもその様子はなかった。これは夜が明け、初日の出クルーズの乗船後に改めてお参りするとしよう・・。
金堂から外に出てしばらくすると「除夜の鐘!」の掛け声が響いた。それに続いて鐘の音が響く。この瞬間が午前0時、2023年の幕開けである。こういうスポットだから、NHKの「ゆく年くる年」にも何度も登場しているそうである。
以後は番号札の10番区切りで呼ばれる。呼ばれた後は鐘楼を一回りして順番を待つ。私の90番台で呼ばれるまで15分くらい経ったかな。鐘を撞く様子を見ると、撞木に2本の紐がつながっていて、一方を寺の方が持っている。老若男女いろんな人が鐘を撞くが、寺の方が相手に合わせてアシストしてくれるので、それぞれいい音を響かせる。ちなみに私の時は心持ち思いっきり撞いてくれたかな・・・。
さまざまな思いを込めての除夜の鐘となった。
これでホテルに戻るが、その途中にもう1ヶ所神社があったので立ち寄る。三尾神社といい、かつては三井寺とともに神仏習合だったのが分離された神社のようである。
普段ならそのまま通り過ぎるところだが、何でもここは境内のいたるところに2023年の干支である卯(ウサギ)があちこちに祀られている。祭神である伊弉諾尊(イザナギノミコト)がこの地の地主神として現れたのが卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻に卯の方角からということで、ウサギの神社として信仰されているそうだ。卯年の今年は特に賑わうスポットとなることだろう・・。
何やかんやでホテルに戻ったのは1時前。この後は6時45分出航の琵琶湖初日の出クルーズということで、そこそこにベッドに入るのであった・・・。